病気なんて怖くなかった。死ぬことに不安なんて感じなかった。
大切だと思える、彼に出逢うまでは。
切望
病院のベッドの上。広い個室。大きな窓。全部気に入らなかった。
私が欲しいのはこんなものじゃない。
もっと
簡単なもの。
毎朝7時にここへ来る医者が大嫌いだった。
看護婦も引き連れず、必ず一人でやってくる。
気を遣われているようで
遠回しに馬鹿にされているようで
不快だった。
ノックの音。返事は返さない。それでも彼は入ってくる。
いつも穏やかな表情で
そのくせすぐに感情を丸出しにして
矛盾した男
嫌いだった。
「おはよ」
「・・・おはようございます」
目はあわせずに、顔もそむけて。
何故?
単純に、嫌いだから。
「はいはい、今日も不機嫌ですねー、クラピカちゃんは。でも薬は飲めよ」
ベッド際の椅子に腰掛けて、彼は笑う。そして表情を180度変えて。
真剣な表情で何を言うかと思えば。
「――おまえがここに入院して、1週間。いっこうにオレに口を聞いてくれない」
「・・・ちゃんと挨拶してるじゃないですか」
「それ!その態度!ほんっと可愛くねぇ。いっつもふてくされてさー・・・
笑った方がぜってぇ可愛いのに」
そんなことを言われたのは
初めてだから。
――少し、不意を突かれたのかもしれない。
「・・・ん?何?オレと話す気になった?」
「ちがう!」
「ほんとに?」
私の担当のレオリオ先生が
大嫌いだった。
・・・・・
クラピカには家族が居なかった。遠い親戚が保護者代わり。
何を言っても笑わなかった。オレは医者でコイツは患者。
――それだけ。
「ほら、ちゃんと前開けろ」
「・・・わかってる」
すごい目で睨む。ただでさえ大きな瞳をより大きくして。――毎回。
この目つきが気に入らねぇ。
「・・・んだよ。別に何もしねぇよ。診察してるだけだろ?」
「私は何も言っていない」
「いちいちカンに触るやつだなぁ。おまえみたいなガキ、興味ねぇっつーの」
「私だってあんたみたいな男は嫌いだ」
コイツには怖いもんがないのかね。
「まだか?」
「つーか喋ってたらわかんねぇだろ。黙ってろ」
「先につっかかってきたのは先生だろう」
「・・・分かったよ、オレの負け。いいからしゃべんな」
聴診器を通して聞こえる心音。早かったり――遅かったり。
「・・・おいおまえ、不整脈かよ?」
「それを調べるのが医者だろう」
「・・・ほんと達者な口。可愛くねぇー。オレより9つも下のくせによ」
「・・・もう26歳なのか?」
「もう、ってなんだ。もうって」
「・・・おじさんだな」
「な・・・っ、まだ17歳の小娘に言われたかねぇよ!!」
声を荒げたとたんに、クラピカは口に手を当てて、小さく笑った。
「・・・なんだよ、笑えるんじゃねーかよ」
「・・・う、うるさい。いいから早く終わらせろ!寒いのだよ!」
「へいへい」
何を言っても笑わなかった。今日、少しだけ笑ってくれた。
その夜、クラピカの咳は止まらなかった。
・・・・・
こういう男は嫌いだった。そう思っていた。
朝7時。また――私の嫌いな彼が来た。
「おはよークラピカ。今日は血を採りますよー・・・って、おまえ何見てんの?」
「何でもいいだろう」
「・・・写真?」
「写真集だ」
「海。好きなのか?」
「・・・関係ない」
「オレの故郷はさ、海に囲まれてて、その海がすっごいキレイなんだよ。そう、こんな感じに」
いつもの椅子に腰掛けて、彼は笑顔で写真を指差した。
あどけない、少年のような笑顔だった。
「行きたいのか?海」
「・・・行ったことがないからそう思っただけだ。それに、行きたくたって・・・絶対に行けない。
どうせ長く生きられやしない。昨日だってずっと咳が止まらなかった・・・
先生、医者だろう?はっきり言ったらどうだ?私は死ぬって――」
――視界が飛んだ。頬には鈍痛。殴られたのだと、解った。
「――クラピカ」
固まって、動けなかった。両肩を引き寄せられて、向かい合わざるを得なくなった。
「ちゃんとこっち見ろ」
まっすぐな瞳。真剣な表情。
――怒っている?
「死ぬなんて簡単に言うんじゃねぇよ。おまえの病気は必ず治る。
それには手術を繰り返さなきゃいけない。そのためにここにいるんだろ。
病気が治ったら・・・海、連れてってやるよ。殴って悪かった。・・・ごめんな」
ふっと優しい笑顔を浮かべて
赤くなった私の頬を大きな手で撫ぜてくれた。
そのとき感じたのは
温かい
心地いい
嬉しい
――悔しい。
こんな矛盾した男、嫌いだった。
自分も矛盾だらけなことに
気が付いた。
・・・・・
「ほら、あーんしろ」
「いらない」
「なんで」
「食欲がない。それに・・・自分で食べられる」
「おまえなぁ、ただでさえそんな細いんだから人並み以上に食わねぇとダメだろ!
それとも口移しがいいのかよ」
「セクハラで訴えるぞ」
「イヤだったら口開けろ」
「・・・・・」
こんなどうでもいい時間が
朝の7時が
待ち遠しくなっていた。
「レオリオ先生、ちょっとよろしいですか」
「ああ、どうした?」
ドアをノックして入ってきたのは若い看護婦。
レオリオは食器を置いて、そそくさと出て行った。
一人になる時間が長く感じる。
今まではそんなこと
なかったのに。
しばらくして、彼は戻ってきた。
「わりぃ、ちょっと長引い・・・クラピカ?なんだよ、全然食べてねぇじゃんか」
「――・・・」
「分かった。オレが居なくて寂しかったんだろ?」
「・・・・・」
だったら何が悪い。そう言いたくなるのを必死に押さえた。
そんな微妙な仕草に、いかにも鈍感そうなこの男が気付くはずもなく。
「しょーがねぇな、オレがまた食わせてやるから」
「いい。自分で食べる」
「遠慮すんなって」
まぁ、いいか。
・・・・・
「・・・もうすっかり春だなー。病院の中まで春めかしい」
「・・・そうだな」
「なんだよ、元気ないじゃん」
「今から手術室に向かう人間がそんなに元気ではおかしいだろう。
それに手術着では春めかしくもなんともないぞ」
今日は
1回目の手術の日。
「安心しろよ、オレが執刀するから」
「・・・先生が?」
「なんだよ、不安か?」
「そうでもない」
「そいつはよかった。で、心の準備は?」
「いるのか?そんなものが・・・」
「ばかやろう。本人がしっかりとした意志持たないでどうするよ。
オレたち医者は病気を治す手伝いをするだけなんだぜ。
だから一番大切なのは本人の強い意志なの。」
「・・・そうか」
それでも。
「――怖いか?」
「・・・・」
「おまじないしてやろうか」
「え?」
その言葉に、ふと先生を見上げると。
頬に感じた、柔らかい唇の感触。
「――・・・・な・・・っっ!!」
「そうやって驚いてる間に手術なんか終わっちまうよ」
最後に見たのがその笑顔。
気が付いたら、いつもの部屋の、いつものベッドの上にいた。
窓からは、満開の桜の木が見えた。
・・・・・
桜の花びらは3日も経たないうちに枯れ落ちた。
そして新緑の季節がやってきた。――5月。
今の私の部屋に窓はなかった。今が春なのかも夏なのかも分からない。
「・・・・・先生、なんで、そんな格好しているんだ」
「強いて言えば、ここが集中治療室だからかな」
「・・・治るんじゃなかったのか?」
「治るさ。今はその過程だ」
「・・・嘘だ。だったら何で・・・こんなところに入れられなくちゃいけないんだ」
「言っただろ?次の手術が最後。今はその過程だって」
笑顔も
抗菌手袋越しの体温も
すべて嘘にしか思えなかった。
「なぁ、約束したろ。治ったら、海に連れて行くって」
「・・・・そうだったかな」
「夏までには、絶対連れてくからな。おまえがそんなんでどうすんだよ。
本人の意思が一番大切だって――オレ、言っただろ」
赤の他人を信頼できるほど出来た人間じゃない。
ましてやこの男は嫌いな男。
「・・・約束だぞ、レオリオ先生」
信じても
きっと損はしないだろうから。
賭けてみてもいい。
この男に。
・・・・・
「うわー、あっちぃー、でもすげぇー気持ちいー」
「はしゃぎすぎだぞ、先生」
いつごろだろう
こうして二人で海に行こうと約束したのは。
もう遠い昔のことのように思える。
難しい手術だった。
正直、自分でも奇跡だと思う。
絶対に治してやると、約束したくせに。
それでもその約束が
今この現状を作り出していると
そう思う。
「・・・迎えに来なかったな」
「ああ」
金銭面だけを世話していたただ一人の彼女の身内。
退院したクラピカを、迎えにはこなかった。
「退院・・・したくなかったな」
「・・・滅多なこと言うもんじゃねーぞ」
「・・・馬鹿。分かってない」
「ば、ばかってなんだよ」
「・・・もうこうやって先生と会えない」
オレはフェミニストでもないし
紳士でもないから
こういう時にどうすればコイツが喜ぶのかとか
正しい言葉が分からない。
でもそんなもんに頼るようなオレじゃない。
演じたって意味がない。
思ったことをそのまま
言えばいい。
「・・・おまえはさ、その親戚のこと慕ってたか?」
「・・・いや、全然」
「じゃあ決まりだな。オレと一緒に暮らすのが一番だろ」
意外と恥かしいもんだから
目なんか
ましてや顔なんか見れなくて。
それでも沈黙が怖くて、目を開くと。
今にも泣き出しそうな真っ赤な顔。
思わず抱きしめてしまった。
「先生は・・・こんな、17歳のガキなんか興味なかったんじゃないのか」
「おまえだってこんなオッサン、嫌いじゃなかったのかよ」
「・・・あ、あのときはあのときだ!あまりに先生が・・・」
「なぁ、その先生ってのもうやめようぜ。レオリオって、名前で呼んでくれよ」
「・・・・、・・・・レ、レオリオ」
「何?クラピカ」
「よ、呼んだだけだっ」
どれくらい
時間が経っただろう。
ずっとこうして、抱き合ったまま。
「・・・先生が・・・レオリオが初めてだった」
「・・・え?」
「ああやって、本気で怒ってくれたのは・・・」
”死ぬなんて簡単に言うんじゃねぇよ”
「悔しくて・・・嬉しかった」
「なんだそれ、どっちだよ」
「それくらい自分で察しろ」
「わかってるよ」
「先生は私が欲しいもの、全部持ってる」
「は?オレそんなに金持ちじゃないぜ」
「・・・やっぱり分かってないな」
「まぁいいや。一生かけて解ってみせる」
そうだ。
オレのあんな汚い部屋に一緒に住むことになるわけだから。
せめてダブルベッドくらい買っておかないと。
「また一緒に来ような。海」
「・・・ああ」
喧嘩もするかもしれない。
周りからすればとんでもない恋かもしれない。
だけどここから始まっていく。
隣にクラピカが居る、オレの人生。
2005/03/17
パラレルものです。初めて書くかもしれない、こういう傾向の話。
パラレルはいっぱい書いているんですが、ちょっと書き方が違うかなと自分で思っております。
まとまりのない話になってしまい、反省。設定としては結構お気に入りなのですが・・・。
設定を活かせるような小説が書きたいです。
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