運命じゃない。
でも偶然じゃない。

私は彼に会えてよかった。





マグカップ





いたい。
いたいよ。

運動オンチで
体育の授業がいちばんきらいで
私はいつもおなかがいたくなる子だった。

もちろん足も遅くて
体も弱くて
正直、自分に自慢できることはなかった。


・・・いたい。
足をくじくって、こんなに痛かったんだ。


しかも
寒い・・・。

こんなにたくさん人がいるのに
なんで誰もあたしに声かけないのかなぁ

だってあたし、足を引きずりながら壁にもたれかかるように歩いてるんだよ?
ここ、駅前なのに。
こんなに人が歩いてるのに。
明らかに怪我してる私を横目でみるだけ。そして通り過ぎるだけ。

でも
あたしも同じだと思う。
たとえ今のあたしみたいに調子が悪そうな人をみかけても
見て見ぬ振りを
すると思う。


誰がそうっていうわけじゃなくて
「人」って
こういうものなんだなぁ

そう思いながらズキズキ痛む足をひきずって
歩いていた。

まあいいか
もう帰るだけだし・・・。
でも
あと何時間かかるだろう・・・。

今日に限ってケータイ忘れちゃったし
うちにつくの何時になるんだろう・・・
お母さん
心配するよね・・・。

ああもうほんとうに
ごめんなさいお母さん。
あたしはなにをやってもダメな子です。



「――おい、どうしたんだその足」

後ろから聞こえた低い声。
えっ
あたしですか?

おそるおそる振り返る。
「・・・」


男の人だった。
黒いスーツに
高そうなサングラス。
めちゃくちゃ背が高くて
若い人。

・・・思った。
ちょっと
怖い・・・。

あたし
からまれてるの?

動けないこと知ってて
お財布とるつもりなの?

でもあたしバイトもしてないから
小銭しかないよ?

あたしは固まったまま肩をすくませていた。
ほんとに背が高くて
彼の後ろの景色がぜんぜん見えないくらいだった。


「痛いんだろ?」
「・・・あの、転んで・・・ひねっちゃって・・・」


30分前。
階段を下りていたら
あと2段で終わりというところで
足を踏み外して、べちゃっと地面に叩きつけられた。
衝撃と恥かしさで、すぐに立ち上がって歩き出そうとしたら
・・・このザマなの。
なんだか左足だけがズキズキと痛むの。

「そっかー、ちょっといい?」

彼はひょいっと腰を屈めてあたしの足首に手を触れた。
靴下を少しずらして見えたあたしの肌。
・・・びっくりした。
今まで見たこともないような色になっていた。

「うわー、これじゃあ痛いだろ?」
彼は眉をひそめて大げさに言った。

・・・うん、すごく痛い。



気付いたらあたしは近くの花壇の段差に座らされていて
足首を固定されていた。
これは応急処置っていうやつなのかな。

「あの・・・」
「いいからいいから。困ったときはお互い様だよ。ついでに病院いこうか。おんぶしてやるから」
「ででででも・・・」
「ほらほら早く」


その背中はとっても大きくて温かくて
――お父さんってこういう感じなのかなって
思った。


あたしは150センチしかなくて
でも彼はきっと190センチ以上あるくらい大きくて
そんな人におぶわれて見る景色は初めてみるものだった。
いつも見慣れた歩道も、こんなに違って見えるんだ。

不思議。足はこんなに痛いのに
なんだか楽しい。



「あの」
「ん?」
「・・・お兄さん、ヤクザさんですか?」

彼はいきなり笑い始めて、
「お嬢ちゃん、おもしろいね」
といった。


男の人の歩幅の広さに
少し驚いた。
いつもなら歩いて30分はかかる病院まで
彼におぶわれて、10分で到着。

大きな病院。
小さい頃、よく風邪をひいてここに来たっけ。

「じゃあちょっとここで待ってて」
受付の前のソファに降ろされて、彼は小走りで廊下の向こうへ行ってしまった。

なんだか
いろんなことが起きてる。
今、あたしの周りに。



そういえば
男の人と話すなんて久しぶりだなぁ・・・。


ぼーっとしていたら足元に大きな影。
顔をあげると白衣のお医者さんが立っていた。
・・・さっきの人だった。

・・・・・・・えっ?
ヤクザさんじゃなかったの?


「オレね、ここで働いてるの」
「・・・・お医者さんなんですか?」
「そう。オレは診てあげられないけど・・・これ飲んで待ってて」


にっこり笑ってそう言われた。
同時に差し出されたマグカップ。
かわいい動物の絵が描いてある。
受け取ると
すごく温かかった。
中はホットミルクみたい。


「ありがとう・・・」
「どういたしまして。外寒かったからな。
あと・・・今日はその足じゃ帰れないだろ?
特別にお迎えの車を手配してやるから。
でも治す努力を怠っちゃダメだぜ」



それから何分もしないうちに私は処置を受けることができて
あんなに痛かった足首も、落ち着いてくれたみたい。
お医者さんがいうには、転んだだけのわりに、けっこう重傷だったみたい。
・・・だからあんなに痛かったんだ。

そばにいた看護士さんに、このマグカップをどうすればいいか聞いたら、
「あら、これレオリオ先生のだわ。ふふ、じゃあ私が返しておくわね」

レオリオ先生・・・っていうんだ。
・・・やさしい先生。



生まれて初めて
松葉杖をついた。
けっこう歩きにくい。

大きな自動ドアを出ると、一台の車が止まっていた。
「よークラピカ。悪いな呼び出して」
「構わない」

気付くとレオリオ先生があたしの後ろにいた。
そして車から出てきたのは
・・・金髪の、綺麗な人。
すごく
綺麗だった。


「じゃ、この子うちまで送ってってくれな」
「ああ。了解した」

状況がよくわからないけど
どうやらあたしを送ってってくれるらしい。


「あっあの・・・そこまで迷惑かけられないです。あたし、一人でも・・・」
「だーめ。ドクターストップ。人に甘えることも大事だぞ」
「・・・」
「でもさっきも言ったけど、治す努力は怠らないように」
「・・・ありがとう」


レオリオ先生はにっこり笑って白衣のポケットから手を出して、あたしの頭をなでた。
・・・大きくてあったかい。




それから
彼に会うことはなかった。
送ってもらった車の中で
あたしは金髪の女の人と、こんな話をした。


「そうか、レオリオのほうが声をかけたのか」
「はい」
「困ってる君を見て、いてもたってもいられなくなったんだろう。
医者としても彼自身としても」

助手席から見る彼女の横顔は
やっぱり綺麗で
レオリオ先生のことを話すときの口元は
緩んでいて
瞳も嬉しそうに細められていた。


この人、レオリオ先生の奥さん・・・だよね。
そうだよね。
じゃなきゃこんな顔
できないもの。





怪我した足はものすごく痛かったけど
レオリオ先生に会えてよかった。

あのとき手渡されたマグカップの温かさ
きっとあたしは忘れない。



2008/12/18
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