これは私の命を救った男の話。
あしたあさって
気持ちのいい風が吹いている。
春は嫌いではない。
嫌いではない春に自分の誕生日があることも
別に嫌いではないが特にうれしくもない。
自分しかおめでとうを言える人はいないし
誕生日に祝い事をするなどとうの昔に忘れた。
あと少し
あと少しなんだ
これで最後の一つなんだ
最後の緋の眼の手掛かりをつかみ
明日現地へ出発する。
そうしたら今は無き故郷へ帰ろう。
そしてすべて終わりにしよう。私の手で、私の人生すべてを。
この街には1か月ほど滞在したが、居心地はよかった。
発展目覚ましい、というわけではないが、庶民の活気があふれている。
少しだけ、懐かしいような気がした。胸の奥が、わずかに締め付けられるような懐かしさ。
しかし明日去る私には、どうでもいいことだった。感傷に浸ることなんて、しばらくしていない。
いつものように町の雑踏を歩いていた。
すると。
「――なあ」
私の後ろで男の声がした。私は振り向かず歩き続ける。
「おいって」
その声が私にかけられていると、肩に手を置かれるまでわからなかった。
振り向くと、長身の男が立っていた。
仕立てのいいスーツに、重そうなカバンを持っている。旅行者か、ビジネスか、地元民か、パッと見ではわからない。
ファッション性の高いサングラスの奥の、澄んだ焦げ茶色の瞳には、少なくとも悪意は見られなかった。
これまでいろんな人間を見てきた。
一目でわかった。
こいつは、きっとおせっかいな男だ。
「これ、落としたぜ」
彼の手には、なんと私の免許証。
ありえなかった。いつ落としたのだ。――ケータイを出した時か。
「明日」を考えるあまり注意力散漫になっていたのだ。
たぶんもうハンター証を落としたとしても
「明後日」がない私には関係ないことだろう。
「・・・すまないな。礼を言う」
私は小さな声でそう言い、彼から免許証を受け取ろうとした。
しかし。
「・・・あれ、今日誕生日なんだ」
「・・・」
彼は私の免許証を渡そうとしなかった。
常識を疑う。確かに落としたのは私だが、本人の目の前で堂々と個人情報を目に入れるとは。
やっぱりこの男
おせっかいだ。
しかもたちが悪い。
他人との距離なんて気にすることなく、土足で踏み込もうとする。
それを歓迎する者も、いるだろう。けれど私はそんなこと望んではいない。
「きみには関係ないだろう。悪趣味だと思わないのか」
「不可抗力。見えちまったの」
「・・・」
なにも悪びれずそう言う彼に、私は不快感を隠せなかった。
不快感
いや違うか
調子が狂う、だ。
思えば私に友人と呼べる存在なんていない。いなくなった。
だから、他人と無駄な会話なんて、する機会がなかった。
必要かつ効率的に。それが染み付いてしまっていた。
なのに今、私は無駄な会話をしている。こんなのは何年ぶりだろうか。
「にしても、すっげー偶然。これも何かの縁かもな。
一応言っとくか?えー、誕生日おめでとう!ってな」
彼は少年のような笑顔を見せた。
その笑顔は、古くからの友人に向ける類のものではない。
やはりどこか距離を置いた、けれど、この出会いに何の疑問も抱かない、彼の人間性が表れていた。
こういう男も、いるのだろう。世界は広い。けれどやっぱり私には、どうでもいいのだ。明日以降の未来なんてない私には。
私はそのまま踵を翻した。
「あっおい待てって。いらねーの?」
「もう必要ない」
「じゃ、これはいいからオレの名刺だけもらっとけよ」
彼は私の前に回り込み、半ば強引に引き留めた。
必要ない、なんて普通はありえないのに、彼はそこには触れずに、スーツから手際よく名刺を取り出し、それを押し付けた。
私はしぶしぶ受け取り、視線を落とす。そこには、意外な職業。
「・・・きみは医者なのか」
「そ。この街の優秀なドクターレオリオです」
「そうか。私には関係ない」
「そーもいかないんだよなあ。オレってばお人よしだからさ、
おまえみたいに死にそうなくらい血色の悪い奴はほっとけない」
「・・・なに」
彼の眼の色が変わるのを、私は気づけなかった。
「レオリオ」は一瞬だけたじろいだ私の間合いに入り込み、念を押すようなしぐさで顔を近づける。
かすかな消毒液の匂い。ツンとした香りが、私の全身に入り込む。
彼の存在感は、圧倒的だった。
「なにをそんなに思いつめてるのか知らないけどよ、ほんとに死んじまったらどうしようもないんだぜ」
「・・・おまえに」
「おまえになにがわかるか、って?」
「・・・」
「わかるさ」
なにをわかるんだ。
なにもわからないくせに。
やっぱりきみのような人間は、私の調子を狂わせる。医者であるが故の、いらぬおせっかいなのだろう。
彼を無視して、その場を去った。
そして来たるべき最後の
最期の日。
仲間たちのもとへ眼を返すことができた。
そして私の人生も終わるはずだった。
はずだったのに。
来るはずのなかった「明後日」、妙な医者「レオリオ」のいる街へ戻った。
「来年の4月4日もここで逢えたら、すげえよなあ」
彼の最後の言葉が、私の頭の中から離れなかったから。
2011/04/04 Happy birthday Curarpikt.
2011/4/8
レオリオは誰にでも気さくなわけじゃないと思うんですよね、いまさらですが。
たぶん、クラピカのことを見て、「ほっとけなかった」から、こういう絡み方をしたのでしょう。
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