fragrance
「クラピカ、あなた・・・――」
センリツは、自分の半歩後ろを歩いていた同僚――
クラピカの心音が、一瞬にして大きく波打つように乱れたことに驚き、振り向いた。
そして思わず立ち止まる。昼前の中心街、人々が行き交う混雑した通りを徒歩で移動中のこと。
クラピカは表情を動かすことなく、涙を流していた。
頬をつたう一筋の涙。それがあまりにも美しく見えて、センリツはそれ以上なにも言えなかった。
心音は徐々に、落ち着きを取り戻していた。なんだか不思議な音だった。悲しさで溢れかえった涙ではない。
あたたかさ。それに混じるどうしようもない切なさ。そして感じた、この人の中にある愛情。
鼓動の音を聞いただけで、こんなにも感じ取ってしまうのは、時に煩わしくもある。
けれど、今は、彼女の音に寄り添って、そばにいてあげたいと思った。心から。
「・・・、クラピカ」
そう思い、再び声をかけた。
クラピカはそれにこたえるように小さく口角を上げた。
センリツと目を合わせ、一拍おいて、静かに瞳を伏せて、こう言った。
「・・・会いたいと思って」
誰に、なんて、聞かなくてもわかる。
お互いただの仕事仲間、プライベートなことなんて、「まだ」知らないけれど、わかる。
ヨークシンでのあなたと、あなたの周りを見ていれば、誰だってわかるわよ。
クラピカの涙は、頬を少し濡らしただけだった。たった一筋の涙。
それでも、センリツは、クラピカの涙を見ることなんて、後にも先にもないことだと漠然と感じていた。
それは私とあなたの距離。そう、私はあなたのこと、もっと知りたいと思っていた。
「ねえ、少し、休んでいかない?」
そうして彼女を誘ったのは、どこにでもある、公園内の静かな緑地。
小高い丘に登り、思いのほか低いフェンスに二人並び、街を一望する。たいした高さではない。水平線だって見えない。
けれど都会の中のこの場所は、空気の色も匂いも違っていた。
なんだか、あの時を思い出す。ヨークシンで、お互いの秘密を打ち明け合った、あの夜を。
しばし、二人は無言のままフェンスからの眺めを見ていた。
センリツはそれとなく、隣のクラピカの方に視線を移す。
その横顔の、涙のあとはもう、消えていた。けれどその瞳は、いつもよりも、物憂げだった。
センリツは鞄からフルートを取り出し、柔らかな音を奏で始めた。
クラピカは一瞬センリツの方へ視線を落とし、再び遠くへ戻した。
二人を包む空間は、明らかに、やさしいものに変わっていた。
一曲が終わり、センリツはいつも通りの笑顔を浮かべた。
「いいものね、たまにはこういう場所で吹くのも」
「・・・そうだな」
つられるように、クラピカも小さく微笑む。そして今度は、クラピカの方から口を開いた。
「すまないな、気を遣わせて」
「いいえ。すてきな時間だったわ」
「・・・、香水の香りがしたんだ」
「・・・」
「歩いているとき。すれ違った男から、レオリオと同じ匂いがした」
彼女からその名前が出た時、センリツは空港での、彼――レオリオとのやり取りを思い出していた。
クラピカを、よろしく頼む。そう言った彼の顔は、瞳は、そして心音は、思わず疑ってしまうくらい、まっすぐだった。
確かに、あの時、彼のそばにいたとき、コロンのような匂いがした。
包まれるような、やわらかい香りだったように記憶している。
「もちろん違う男だった。似ても似つかない。ただ・・・会いたくなってしまったんだ」
この人に、こんな顔、させるなんて。
センリツは、自分の中の複雑な感情を、受け止めきれずにいた。
もう、たいていのことは受け入れられる。そういう生き方をしてきたし、せざるを得なかった。
ああ、――この人の、力になってあげたい。純粋にそう思った。その関係性は、何と呼べばいいのだろう。
必死に思いを巡らせる。けれど、紡いだ言葉はセンリツ自身でも意外なものだった。
「すてきな関係なのね。妬けるわ」
呆れたように嬉しそうに。まるで、気の置けない女友達を、肯定する意味でからかうような―――
そう、友達。私はこの人の友達でいたい。
そう気づいた途端、センリツは自分の胸が満たされたことを、静かに受け止めていた。
ずいぶん上の方にあるクラピカの顔を、悪戯っぽく見上げる。
クラピカは、先ほどの言葉に、少し照れくさそうに、困ったように、笑みを返した。
気兼ねなく、なんでも話してしまうような、女友達。
なんて、程遠いかもしれないけれど、なんだか胸が高鳴る。
落ち着いた、小洒落たお気に入りの店で、あなたと並んで、他愛もない恋の話――してみたいわ。
2019/10/03
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