カクテル



かわいい、という言葉の響きは甘美であるけれど、同時に、ひどく棘のある言葉だとも、思う。
レオリオは私のことを、しばしば「かわいい」と言う。

素直になりたくてもなれない私を、「かわいい」。
情事の最中、何度も何度も、耳元で「かわいい」。
普段着ないような服を着れば、目を輝かせて「かわいい」。

あまりにも頻繁に、私をそうやって形容したがる。ありがたみもなにもない。
けれど嬉しい。毎回、毎回、胸の奥があたたかくなる。・・・悔しいが。

けれど、その「かわいい」が、私ではない女性に向けられることだってある。

「おっ、あの子カワイイ〜」
「最近のアイドルは可愛い子多いよな〜」

同じ響きでも意味は違う。
レオリオが私以外に使う「可愛い」に、特別な感情が込められていないことくらい、わかっている。
けれど、頭では理解していても、心のどこかで、引っかかるのだ。
その響きに反応してしまうのだ。「可愛い」という言葉が持つ、棘の部分に。
それがおもしろくなくて、私はつい、レオリオに悪態をついてしまう。
すると彼は取り繕おうとする。もう、何回も、何回も、こんなやりとりを繰り返しているのだ。

レオリオがかわいいと思う女性の基準は、なんなのだろう。
かわいい、とは、愛らしい、大切にしたい、心惹かれる、という意味だろう。
かわいい、に絶対的な定義はない。人それぞれ、何にそう思うかは、十人十色。
あまりにも曖昧だ。理論や理屈が通用しない。まったく非効率的。
考えただけで辟易してしまうが、それが恋愛であるし、人の心なのだと思う。
レオリオと付き合うようになってから、私は人間らしく、昔のように自分の気持ちに従順でいたいと、願うようになっていた。
好きなら好きのままでいたい。したいことをすればいい。大切なものは守ればいい。そんな、自分の気持ちに。




不定期に、レオリオと酒を飲む機会がある。
彼のお気に入りの、小さなバー。入り組んだ路地裏の、ビルの2階。看板も出ていないから、知る人ぞ知る、というような店。
どちらかの仕事がひと段落して、落ち着きたいときに行く。長居はせず、彼はひととおりの種類を、私は一杯だけ、付き合うようにしている。

数えるほどしか出入りしていないが、きちんと整えられた髭を貯えた、初老のバーテンダーは、寡黙だが友好的に、私たちを迎えてくれる。
決まって通されるのは、窓際の半個室。センスのいいパーテーションのおかげで、ちょうど、他の客の視線が気にならない。
そこは狭く、けれど妙に落ち着く。バー独特の、明度を落とした柔らかな照明も相まって、秘密基地のようだ。私はこの席が、気に入っている。
紅い座面、高級感のあるスツールに腰掛け、同席者と肩が触れ合うくらいのスペースしかないカウンターからは、
ガラス窓越しに、ビルのすぐ下に流れる河が見下ろせる。
季節が変わるごとに違った趣向のライトアップが施され、なかなかの眺めになる。人がたくさん集まる流行りの街へいかなくとも、私はここで充分だ。
――と、思ってはいるのだが、ことあるごとに、レオリオは私をいろんな場所へ連れ出したがるから、黙っておくことにする。

酒を飲みたいわけではない。
こうして、レオリオの隣で、酒に酔う彼を見ていたいだけなのだ。
彼はアルコールに強いので、酔いつぶれるようなことはない。最後まで、ちゃんと、いつもの紳士的なレオリオだ。
私はそれが嬉しい。彼の「恋人」として扱われていると実感できるから。

こうして二人の家以外の場所で、なんら変わりのない、いつも通りの会話をする。
しかしそれは新鮮であり、やはり私は彼の顔が、手が、視線が、笑顔が、好きなのだと再確認できる。
今まで気づけなかった、彼のすてきなところに気付くこともできる。
家に帰るまで、違う二人になれる。それはいつも、私を少しだけ、大胆にさせた。

まずはお互いをねぎらい、意味もなく息をひそめて、肩を寄せ合い、乾杯をした。
この「秘密基地」では、そんなふうな振る舞いが求められるのだ。

私の酒は、いつもレオリオが選んでくれる。
理由は簡単で、はずれがないから。私はこういう嗜好品に詳しくないし、エスコートされているようで、なんだか嬉しい。

「きれいな色だ」

繊細なショートグラスの中の液体をゆっくり転がしながら、口に含んだカクテルを楽しむ。
大丈夫、今日もちゃんと美味しい。

「だろ?おまえに似合うかなって」

そう言ってほほ笑む彼の顔は、いつも通り。目じりが優しく下がり、声も柔らかくなる。けれどいつも以上に好きだと思った。
恋の病。それは万国共通、老若男女、不治の病だろう。優秀な医者である彼にも、治せそうには、ない。


カクテルは、ひとくち、ふたくちと、のどを通るごとに、私の中を侵していった。それが心地いい。今日もこの一杯で充分そうだ。
ふと、思い出した。彼に聞きたいことができた。
いつもなら考えた末、躊躇して、やめる。けれど今なら無用なためらいも、必要ない。

「きみは・・・どんな女性を、かわいいと思う?」

グラスの中身は半分になっていた。
もともと少量であるから、大した量ではない。
レオリオは2杯目に口をつけ、少し間をおいて、グラスを置いて、私に向き直った。

「そうだなあ。おまえのことは、かわいいって思ってるよ」

それは知ってる・・・。そういうことじゃない。
私の不満げな表情から、彼は意図をくみ取ってくれたらしい。

「あー、ほら、条件反射みたいなもんよ。男はいつだって、女には弱いのよ」

こんなふうに、幾度となく、なんでもかんでも理由をつけて安心させてほしい。
私は面倒な女だろうか。彼に弁解させる癖がついてしまった。申し訳ないと、いつも思っているのに、こうなる。

甘ったるいカクテルが、手の先、足の先まで染み渡る。
それに気づくと同時に、意志とは無関係に口を開いていた。

「きみがかわいい、と言う女は・・・私だけがいい」

熱を帯びた指先は、自然と彼のスーツの袖をつかんでいた。
レオリオは一瞬動きを止めて、驚いたように私を見た。視線がぶつかる。
彼の瞳に、いまの私がどんなふうに映っているのか、まったく想像もしたくない。
いつもならそう思う。羞恥心が勝るから。
けれど今は、できるだけ、彼の思う、かわいい私でありたいと、そんな思いで頭がいっぱいだった。

数秒の沈黙。互いの心臓の音が聞こえるほどの静寂。店内に、まだ客は私たちのほかにいない。
レオリオは袖をつかんだ私の手をとって、自分の膝の上に置いた。
「わかったよ」
その手はするりと彼の口元に運ばれ、そのまま口づけられた。

「仰せの通りに、お姫様」

手の甲にキスをされるなんて、そんなの、初めてだった。
首元の脈が波打つのがわかる。これは酔いのせいか、それとも。

「俺がおまえに言う”かわいい”の意味、知りたい?」

手を取られたまま、引き寄せられる。スツールに預けていた体は、バランスを崩し始めていた。
彼の問いに、答えられなかった。視線を絡め取られて動けない。

「愛してるってこと。それ、ストレートに言うの、恥ずかしいだろ?」

めまいが、した。
そんな顔をしておいて、そんな風に近寄ってきて、
なにが、恥ずかしい、だ?君の頭のねじは、どれだけ緩みきっているのだ?
確信犯にもほどがある。私も私だが、彼も彼だ。重症だ。恋の病。

ぐるぐる、ぐるぐると、彼への小言と、あふれる気持ちと、分解されないアルコールが、巡り巡っている。
レオリオは追い打ちをかけるように私の肩を抱き寄せて、顎を持ち上げた。流れるようなその動きに、私はされるがままだった。
そして口づけられる。今度は唇に。すぐに角度を変えられ、気づいたら舌を絡めあっていた。
ここが公共の場だとか
向かいのビルから見られているかもとか
思うには思うのだが、どうでもよかった。どうでもいい。この瞬間の方が大切だった。

しかしすぐに離される。息継ぎが追いつかず、小さく声が漏れて、力が抜ける。
彼はそんなこと、初めからわかっていたように、私の体を抱きとめて、胸で支えた。こういうときに、彼のたくましい体が、ほんとうに愛おしく感じる。

「・・・っ、馬鹿・・・こんなところで」
やっとの思いで発した言葉は、思いのほか、いつも通りだった。
「わり。まあでも・・・続きは、まだ、しないさ」

悪戯っぽく彼はそう言い、頬杖をついた。
まだ、しない。じゃあ、時がきたら、するのだろうか。遠くない、数十分後くらい、だろうか。
それが待ち遠しい自分に気づいて、赤面する。
早く抱いてほしい。端的に言えばそういうこと。やさしくてもいい。強引にでもいい。きっともう、瞳も深い深い緋色だろう。



「愛してるってストレートに言うの、恥ずかしいだろ?」

レオリオは頬杖をついたまま、先ほどと同じ台詞を繰り返した。
彼の腕は私の首元へ延び、伸びかけの金髪を耳にかけた。
そのまま私の耳元に、彼の唇が近づく。いつも身に着けているイヤリングが揺れて、熱い息がかかるのがわかった。

「だから、これなら、何回でも言えるわけよ」

お願いだから、もう、やめてほしい。
これ以上、私をおかしくさせないでほしい。

今飲んだカクテルのように、とろとろと、どこまでも甘く、やさしく、けれど、つかんで離さないような、ピリッとした苦み。
そんな、溺れてしまいそうなカクテル。私は、彼になら溺れてもいい。


「…かわいい」


かわいい、という言葉の響きは甘美であるけれど、同時に、ひどく棘のある言葉だとも、思う。
愛しげにつぶやいた彼の声が、私のなかに、響いた。






2019/08/18
ただ、どえろいレオリオが書きたかった。
かわいい・カワイイ・可愛い、同じ響きでも意味が違う、って思ってて、私の中でクラピカは「かわいい」なんですよね〜。
このあと二人は家じゃなくてホテル行くと思う。


BACK