幸福論
彼は私の前では煙草を吸わない。
彼の荷物の中に、シガレットケースがあるのを知っているから、たまに、吸うのだと思う。
たまに、というのはそのケースが全く汚れる気配がなく、部屋に置きっぱなしのこともあるから、という根拠がある。
けれど、レオリオから煙草の香りがしたことなど、一度たりともなかった。
レオリオにそのことを聞いたことはないし、私には、関係がないといえばそれまで。
私には関係のない、レオリオの身の回りのことなんて、他にもたくさんある。
大雑把な性格の割に、アイロンがけだけはプロ並みなこと。
ネクタイ選びに余念がないこと。その基準を、私はいまだに理解しきれていないこと。
ある時から、ふと、こう思うようになった。
彼のことが知りたい。
今、現在のレオリオのことは、私がいちばんよくわかっていると思いたい。
だから、それよりも、前の彼のこと。
どこで生まれて、どんな両親だったのか、どんな少年時代だったのか、――レオリオの心に深く刻まれた、亡き友はどんな人間だったのか。
嵐吹き荒ぶ船上での決闘が、彼と私の出逢い。まるで運命の出逢いとは言い難いが、それより前の彼は、どんな人生を歩んできたのだろう。
知りたいと思った。けれど、同時に恐れた。それは依存なのではないかと思ったから。
恋は盲目、とはよく言ったものだが、まさか自分の身に降りかかるとは…。
自嘲気味に笑っても、何も変わらない。私が彼を、愛しすぎてしまっていること。それはもう、逃れられない事実だ。
恐れたって、もう戻れない。戻れないのなら前を向くしかない。
ただ、コントロールしなければならない。我を忘れて暴れる、競走馬の手綱を握るかのごとく。
依存だけはしたくなかった。
アルコール依存。ギャンブル依存。不利益しかない。なにごとも程よく。行き過ぎはなんであれ、身を滅ぼす。
人間関係もしかり。程よい距離感で、彼のそばにいたい。
きっと彼もそれを望んでいるし、正しい男女交際のあり方だと、私なりに思う。
頭のなかでは、そんな風に、私とレオリオの関係性、それに伴う依存について、結論を出していた。
あとは実行するだけだ。程よい距離感で、今まで以上に良好に、彼と付き合うのだ。
が。
まるでなにもうまくいかない。
すれ違い。思い込み。嫉妬。コントロールできやしない、感情の起伏…。
私は大きくうなだれた。人生思い通りになんていかない。そんなことはわかっている。
それも踏まえての、私なりの、彼との付き合い方を導き出したのに。
なのに、なんで、こんなにも、混沌としているのだろう。それでいて、ひどく幸せで、楽しくて、嬉しくて、切ない。
訳もなく泣きたくなった。
世の女性は、皆、こんな張り裂けそうな思いをして、好きな男のそばにいるのだろうか。
だとしたら、たびたびメディアで取り上げられている、百戦錬磨と揶揄される恋多き女性たちは、
さぞ精神が鍛えられているのだろう。それは尊敬に値する。念能力の厳しい修行にも劣らないのではないか、とまで思う。
はてさて、いったいぜんたい、どうしたらいいというのか。
依存は怖い。かといって程よい距離感もつかめない。
正解がない。人それぞれ。相手による。恋愛は本当に、高度な技量を要求される…。
レオリオ。
きみはどうなんだろう。
そのあっけらかんとした笑顔の裏で、私のように、悩みあぐねたり、しているのだろうか。
知りたい。きみの気持ちが。いつもいつも、きみのそばにいるのに、きみの気持ちがまるでわからない。
依存が怖い。
彼に、そのまま、言ってみた。ストレートな主張。主語も何もなく、その言葉になにかを付け加えることさえ難しかった。
私にはもう、答えが見つけられなかった。
レオリオは普段と変わらない表情で、私を見た。
昼下がり、開けた窓からそよ風がカーテンを揺らす。予定の特にない休日。
季節の変わり目の、気持ちのよい風を感じたくて、ソファには座らずに、二人で窓際の壁にもたれかかっていた。
床に直接座ると、視線が途端に低くなる。室内で飼われている、猫や、犬の気持ちがわかる気がする。
彼らの見る景色は、私たちからしたら、なかなかに非日常だ。
けれど今、私の頭は憂いている。たったひとりの、この男を愛することが、こんなにも難しいなんて。狂おしいなんて。愛おしい、なんて。
私はやるせなくて、目をそらす。彼は少し考えて、あぐらの姿勢を崩し、片膝を立てて、こう言った。
「おまえ・・・誰かに依存できるほど、弱くも強くもねえだろ」
その意味をどう解釈したらいいのか、すぐにはわからなくて、続きを促すように彼の顔を見た。
やっぱりいつもと変わらないその表情。けれど瞳は少し、真剣だった。
「ま、俺としては、もーちっと頼ってもらっても、構わないぜ」
真剣なまなざしは、いつもの陽気な笑顔の中に消えて、その声は、私を落ち着かせる、明るい声だった。
今、口を開いたら、頭の中で考えていたこと、すべて論理立てて、起承転結、最初から最後まで、すべて話してしまう。
だから黙った。かわりに視線で訴えた。もっときみの言葉がほしいと。私には思いつきもしない、前後の脈絡なく素っ頓狂とも言える、けれど心に刺さる言葉。
「お互い、そんな言葉とは無縁だと思うけどな。だってさ、そんな暇、なくねえ?
まー、でも、あれか、このままずっと、俺がおまえのこと好きだったら・・・それは依存症かもな」
レオリオがその言葉を――依存という言葉を口にすると、なんだか違う意味みたいだ。
えてして自堕落な印象を持つその言葉を、そんな風にやさしく発音できるなんて。
彼はものごとをいい方向に運んでいくのが、上手いのだ。
依存症。お互いがいないとお互いが成り立たない。
含み笑いをこめて、それでいいではないか。恋に正解などないのだから。
「レオリオ。・・・きみのことが知りたい」
そうと決まれば、一つずつ、消化していかなくてはならない。
私が彼に”依存するために”躊躇していたこと、すべてを。
「きみは、どんなところで育ったんだ?」
思えば、こんな、当たり前のことすら、知ることを恐れていた。
一から十まで理由をつけて、勝手な解釈をしていた。
「そうだな・・・じゃ、お茶淹れて、あっちでゆっくり話そうぜ」
レオリオは立ち上がり、少し離れたソファへ促した。
私も同じようにする。曲げていた膝が少し痛い。けれど変わらず、外から感じる風は心地よかった。
彼は鼻歌を歌いながらキッチンに立ち、マグカップを二つ、戸棚から取り出した。
私たちはきっと依存しあっている。お互いがいないとお互いが成り立たない。
それはときに狂気とも思える。けれどいい。長い目で見たら、そんな時期はこれっぽっちもないのだろう。
これから先の長い人生、振り返れば、きっと二人の笑い話になる。
思いのまま、自由に生きる彼を、少しは見習ってもいいかもしれない。
2019/09/10
潔癖なところがあるクラピカは、なにかに依存するってことを嫌いそうだなと思って書いた話。
問いを立てたらそれに対する答えがほしい。きっとそんな風に考えてるから、恋愛に苦労しそう。
ありもしない答えをくれるレオリオは、クラピカにとって最良だったのかも。レオクラすばらしい。
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