逢瀬
ハンター協会本部のビル。エレベーターが10階で止まる。
ふと、予感がした。扉の先に、アイツがいるって。
姿を確認する前に、先に会話が聞こえてきた。・・・ミザイストムと、クラピカだった。
「わかった。その件については調べておく」
「すまないな。ああ、そうだクラピカ」
「なんだ」
「少し休んだ方がいい。このまま自室へ戻ってくれ」
「・・・了解した」
扉が開き終わり、上階行きのエレベーターに乗り込もうとしたクラピカは、俺の姿を見て一瞬立ち止まった。
目が合う。さっき再会を果たしたばかりなのに、なんだろう、この感覚は。なにかが、こみあげてくるような。
「レオリオ。君も上へ?」
ミザイが俺に声をかける。
「まあな。アンタも乗るか?」
「俺はまだ会議中だ。またあとでな」
ミザイと別れ、エレベーターの扉が閉まる。
密室に、俺とクラピカふたりきりになった。
「何階まで?」
「62階だ」
クラピカのかわりに、階数ボタンを押す。俺の行先は、70階。
1分、いや2分かかるだろうか。
――願ってもいないチャンスだ。表情に出さないようにして、心の中で小さくガッツポーズ。
無駄に広いエレベーター内、俺とクラピカはほぼ中央に、少し距離を置いて並んで立った。
目を合わせることは、できなかった。視線だけを右斜め下に落とす。少し昔と同じ位置に、さらさらの金髪。影を落とす長い睫毛。
黒いスーツは、似合わないことはないが、違和感があった。俺は昔の服の方が好きだったが、そんなことは今言えない。
クラピカはまっすぐ前を見据えている。俺も、同じように扉を見つめながら口を開いた。
「よぉ。なんで電話でねぇの」
「・・・私は忙しい」
「知ってるっつーの。じゃメアド」
「断る」
「つれねーなァ」
再会したときと、同じ会話内容になってしまった。
俺はネクタイに手をかけて、小さく息をついた。
「おまえ、アイツと気合いそう?」
「アイツ?」
「ミザイだよ。さっき一緒にいたろ」
「・・・気が合おうが合わまいが任務に支障はない」
「そーだけどさ・・・」
クラピカは微動だにしない。
俺は言葉を続けた。
「さっき、親しげだった」
「・・・」
「ま、おまえが少しでも楽に仕事できるんなら、それでいいけど」
「なにが言いたい?」
クラピカは形のいい眉をひそめて、俺の方を向いた。やっとこっちを向いてくれた。
それを待っていたように、すかさず言葉をかぶせる。
「やきもち妬いてんの。おまえが他の男と、ちょーっとでも感じよく話してんのが嫌なの。悪ィかよ?」
クラピカの表情が一瞬にして無防備になるのを、俺は見逃さなかった。
動揺している。その事実がたまらなく嬉しくて、彼女の手を取って、壁際に追い詰めた。
きっと、ふだんのクラピカならひらりとかわすのだろう。
エレベーターという四角い箱の中、隅っこに閉じ込めるように距離を縮める。
懐かしい、この身長差。少し屈まないと顔がよく見えない。
クラピカの顎をそっと持ち上げて、顔を近づけた。
驚き、戸惑い、少しの好意。彼女はそんな表情をしていた。
碧眼が、少しずつ紅く染まっていく。澄んだ緋色になるのに、3秒もかからなかった。
その美しさに、思わず息が止まる。――我慢できない。
「・・・クラピカ」
「・・・なんだ」
その声色に余裕はない。
畳み掛けるように、抱き寄せた。久しぶりのクラピカの匂い。高鳴る胸を抑えることはできなかった。
「キスしていい?」
「ッな・・・」
「返事は?」
「・・・っ」
「もう着くぜ」
天井近くの表示板は、30階を超えた。もう時間はない。
「なァ」
「・・・」
クラピカは耐えかねて、顔をそむけた。それが肯定の合図だと、俺は解釈した。
「イエス、てことな」
とっさに何かを言おうとした唇をふさぐ。柔らかい頬を包んで、角度を変えた。
小さく漏れるクラピカの息づかいが、密室の箱の中に響いた。
それがひどく卑猥なことのように思えて、背筋がぞくりとした。
「ん・・・っ、れ、レオリオ、待っ」
「もう黙れよ・・・」
余裕のない俺の声。情けない、今が何階かも、わからない。
小さな口の中に舌を入れると、遠慮がちに絡ませてくる。
クラピカが必死に俺の背中に腕を回し、身体はさっきよりも密着した。
その瞬間、到着ベルが鳴り、エレベーターは止まった。
ゆっくりと顔を離す。緋色は濃く、より鮮やかに発色していた。
扉が開いても、そのフロアには誰もいなかった。62階だ。俺は開ボタンを押し続け、クラピカはよろけるように扉の枠にもたれかかった。
「・・・っ、この、非常識者・・・」
クラピカは息を整えながら俺をにらみつけた。
そんな状態ですごまれても、かわいい以外になにもない。
しかし、危なかった。あんなに夢中になってしまった。自分を戒めつつ、なんでもないような表情を繕った。
「ふつうだろ。みんなやってるぜ」
「ッ、場所を考えろ!ここは」
知ってる。泣く子も黙る、ハンター協会のお偉いさん方の本拠地だろ。
しかし、そんなことを言う余裕はなかった。
いつまでもエレベーターを止めているわけにもいかない。
「しょうがねえだろ。我慢できなかった」
好きになってしまったものはしょうがないのだ。
「少しのチャンスも逃せねえんだよ、俺としては」
そう、それが本音だ。
これから先どうなるかわからない。だったら1分1秒も無駄には出来ない。
惚れた女をそばにおきたい。そんなの、当たり前じゃねえか。
黙って俺の言葉を聞いていたクラピカは、ポケットから小さな紙を取り出し、俺のみぞおちに乱暴に押し付けた。
「電話にも出られないしメアドも教えられないが、これだけは教えてやる」
その口調はいつも通り、のようでやっぱり余裕はない。赤い顔がそれを物語っている。
紙を受け取り、くしゃくしゃになったそれを開く。数字だけが書いてあった。
「なんだよ?これ」
「私の部屋の番号だ」
「・・・、へ?」
間の抜けた声を出すと、クラピカはさらに頬を紅潮させて、そのままフロアに降り立った。
くるりと俺の方へ向き、彼女は半ばヤケになってこう言った。
「今夜10時ちょうどに来い!・・・時間をつくっておいてやる」
離れた距離がもどかしい。俺もここで降りようか。
はやる気持ちを抑えて、「それは、いつまで?」と聞いた。
5分か。10分か。いずれにしろエレベーター内よりは長く過ごせるだろう。
少しの期待を込めて、クラピカの返事を待った。
「・・・好きなだけいればいい」
予想外の返答が耳に届いたと同時に、扉は閉まった。
長く開けすぎていたようだ。そのまま数十秒、70階へと到着する。
密室から一歩外へ出た瞬間、空気が変わるのを感じた。
さっきまでのは、夢だったのかと一瞬不安になる。が、手のひらの中の、さきほどのメモの存在を確認して、嬉しくなった。
「・・・相変わらず、素直じゃねえなァ・・・」
安心した。しばらく会っていないから、心配だった。だから声が聞きたくて、電話をしているのに。
ちっとも変わっていない。こういうところ。
「早く夜になんねえかな〜」
鼻歌を奏でて歩き出す。
彼女の好きなものでも買っていこうか。
今夜だけは、俺だけのクラピカでいてほしい。
2019/07/24
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