生クリームに少しのアルコールを


部活後の帰り道に、馨が隣にいることは当然とまではいかないものの、珍しくはなくなった。
俺の方が早く終わればテニスコートまで迎えに行くし、馨の方が早ければさりげなく校門で待っていてくれる。

たまには気を利かせて一人で帰ることもあった。
馨は同じテニス部の岩崎という女子と仲が良く、二人の邪魔をしてはいけないと思ったからだ。 馨のような人気者が彼女だと、独り占めできないのが唯一つらい。同時に自分の独占欲の強さにうんざりもする。

乗客もまばらなモノレールで、二人並んで座る。
俺はいつものように本を開いて、(苦手な英語を克服する時間に充てている)馨はお菓子を食べたり音楽を聞いたり手帳を開いたり。 しばらくはお互いの時間を過ごした。
ふと、肩に馨が寄りかかってきた。ふわりとした髪が肌をくすぐる。なんだ、寝たのか?もうすぐ着くのに。 本を閉じて馨の方を向くと、顔の近さに驚いた。狙ったかのように、馨の顔は俺の方に向けられている。
それが、まるでキスをせがんでいるように見えてしまったあたり、俺は重症だと思う。 無意識にそのまま顔を近づけた。こうして見るくらいなら――いいだろう。

規則正しい静かな寝息をたてる馨の唇は、きちんと手入れされているように見えた。
色づきのリップがよく見ないとわからない程度に適量塗られていて、空気が乾燥するこの時期でもみずみずしく潤っていた。 どうしても目が離せない。こんなふうに、俺はよく馨の作戦にまんまとハマる。一度罠にかかったら抜け出すことはできない。 抜け目ない戦略はさすがリーダーと言ったところか。馨にそんなつもりがあるとかないとかは関係ない。

そんな罪深い唇にそっと触れる。起きる気配はない。周りに人はいない。同じ車両の端に眠りこけたスーツの男がいるだけだ。 隣の車両には数人いるが、誰もこちらを見てはいない。言い訳のようにそう確認して、唇を近づけたときだった。
「まもなく終点ー、巌戸台です」
不気味なほど静まり返っていた車内に、場違いなほどのボリュームでアナウンスが流れる。 一瞬で平静さを取り戻した。いや、取り戻された。馨も身じろぎをしてゆっくり瞳を開けた。
「んー、眠・・・、先輩?」
「・・・なんでもない!」
柄にもなくぶっきらぼうな返事を返す。列車が止まり、ドアが開いた。 いぶかしげな顔をする馨の手を引いて、早足でホームへ出た。 ・・・なにやってんだ、俺は・・・。

・・・

さっき車内で覚えた英単語がきれいさっぱり頭の中から抜けていったのがわかった。 代わりに馨のことでいっぱいになる。アホか俺は。小学生か。
駅を出て寮への道をひたすら歩く。変わらずに馨の手を引く。馨は黙ってついてきた。会話はなかった。
やばいな・・・。おさまりそうにない。なんなんだ。欲求不満か?俺は順平か!? いくら憤ってもどうしようもないことは自分がよくわかっている。
・・・馨には悪いが少しだけつきあってもらわないと寝れそうにない。男の煩悩ほどやっかいなものは本当にないと思う。
寮に着くまでにどこかひとけのない場所で、冷たくなった耳元に手を滑り込ませて顔を引き寄せて、 角度を変えながら舌を絡ませて甘い口づけを深く味わう。そんなよからぬ自分勝手な妄想まで出てきてしまった。
いや、だめだ。・・・それを実行したとして、それだけですませる自信がない。悔しいことこの上ないが、自信をもって「自信がない」と言い切れる。 ・・・くそ。

「・・・あの」
煩悩と必死に戦っていると、後ろから馨が遠慮がちに声をかけた。はっとして足を止める。
「さっきから変ですよ?」
「・・・な、なにがだ」
そんなことはわかっている。今の俺は変だ。むしろ変態か?しかしそんなことを認めたくはない。
気まずそうに声を詰まらせる俺を見て、馨は笑いながら首をかしげると、明るい声でこう言った。

「あ、さてはエッチなこと考えてたんじゃないですか?」
その言葉に、俺は一気に顔が紅潮する。つないだ手も明らかに汗ばんでいる。 残念ながら馨の指摘は図星だ。・・・さらりとかわせばよかった。自分の醜態を自らさらすことになるとは・・・。
軽いノリでからかうつもりだったらしい馨は、俺のあからさまな反応を見て一気に動揺する。

「えっ!?や、あの、冗談、だったんですけど・・・」
馨の顔は赤い。俺の顔を見れずに、目は泳いでいる。恥ずかしいのか、無意識に体を一歩後ろへ引いていた。
・・・どうしてそう、俺を煽るようなことばかりするんだ。

「誰のせいだと思ってんだ!」
「わ、私のせいですか!?」
ヤケになった声を出して、そのまま馨を後ろのフェンスに追い詰める。
「・・・あんな無防備な寝顔を近づけられて、何も感じるなという方がおかしい」
「そ、そんなことを言われましても・・・」
「・・・責任とってもらうからな」
馨が後ろに下がる余地はもう残されていなかった。 偶然にも人気のない曲がり角、歩道に面したフェンスに、馨を間に挟んでガシャンと手をついた。

「責任て・・・どうやって」
「言わせるのか?俺に」
切羽詰った表情のままそうつぶやくと、馨は眉をひそめてぐっと何かをこらえた。赤く染まった頬がかわいくてたまらない。
「・・・なあリーダー、今日はタルタロス中止でいいよな」
「は、はい・・・」
「昨日いったばかりだし」
「そう、ですね」
「岳羽も順平もそろって風邪気味だ」
「・・・」
「はっきり言わないとわからないよな」
「あっ、え、えと」
「・・・おまえを抱きたい」
あえて視線は外さなかった。やわらかい頬にそっと手を添える。ギリギリの譲歩だ。 一瞬の沈黙の後、馨は頭をふらつかせながら力なくフェンスに寄りかかる。

「・・・めまいが」
「めまい!?」
「・・・・・先輩の色気にあてられたというか・・・」
馨は両手で自らの顔を覆った。くぐもった声は弱々しい。 どうしようもなくかわいくて、思わずそのまま抱きしめる。言っておくがタガが外れたわけじゃない。
「ばか。それは俺の台詞だ」
「・・・だって、反則です」
「それもそっくりそのままおまえに返す」
「・・・あ、相変わらずふつつかものですが・・・お願いします・・・」
意外なその言葉に、思わず笑みがこぼれた。まったく、おまえ以外にこんな気持ちになるわけないだろう。 それを理解させるにはまだまだ時間が必要なようだ。

「あの」
「ん?」
「・・・たまには私の部屋とか」
「いいのか?」
先輩だけですから。
馨はそう言って困ったように笑いながら、俺の胸の中で顔を上げた。再び目が合う。 ・・・前言撤回。正確にはタガが外れる一歩手前、ギリギリだ。そのまま彼女の顎を持ち上げて、ぐっと距離を縮める。
「・・・馨」
「・・・はい」
「部屋に着くまでに、少しだけ・・・いいか?」
返事は待たずに、そのまま口づけた。暗闇に馨の甘い声が小さく響いて、真後ろのフェンスが小さく音を立てて揺れた。 果たしてまっすぐ
寮に帰れるかどうか。

・・・

「ああ、おかえり二人とも。遅かったな」
帰宅した寮のラウンジには美鶴がいた。・・・できれば顔を見られたくはなかった。
「・・・どうした?明彦」
「な、なにがだ」
「そんなしかめっ面をして」

美鶴の指摘通り、俺の眉間には深くしわが寄り、どこからどう見ても上機嫌には見えないだろう。 仕方ない。あれからずっとギリギリのところで我慢してたら嫌でもこうなる。
「槇村も、顔が真っ赤じゃないか。岳羽たちの風邪がうつったんじゃないか?」
「あっ、だ、大丈夫です!えと、走ってきたんです!」
「そ、そうか・・・」
明らかに不審がる美鶴をかわして、階段を上った。 後ろをついてくる馨が俺の背中をつついて小声で文句を言ってきた。

「もう、先輩のせいです!」
「言いがかりだ!」
「少し、とか言ってあれのどこが少しですか!」
「な、人聞きの悪いこと言うな!あ、あれしかしてないだろ!」
「あんなやらしいキスは外でするもんじゃないんです!」
「しょうがないだろ、おまえのせいだ」
「また人のせいに――」

俺の毎日は、こんな風に少しずつ彼女の色に染まっていく。

2011/11/11
ついにやってしまった、外でタガが外れる真田先輩・・・。この男ならいつかはやると思っていたが・・・。(ガクブル) うちの真田先輩は照れながらも開き直ってずいずい迫る傾向があります。 そんな今までの「恐ろしい男」の集大成がこんな感じになるというすさまじい妄想。