いさかい
真田が馨に殴られた。しかもグーで。
どんな強敵にも倒されたことがない、そんな無敗神話を持つ真田が、女子のパンチにしりもちをついた。
それを見ていたメンバーは開いた口がふさがらなかった。あの美鶴でさえも。
馨は目に涙を浮かべながらその場を走り去った。タルタロスの外へである。
リーダーのいなくなったエントランスに永遠とも思える沈黙が訪れる。
真田は殴られた頬に手を当てて、そのまま立ち上がろうとしない。
彼にとってのダメージは毛ほどもなかった。証拠に口の中も切れていないし、痛みもない。
だからといって、決して馨のパンチが弱かったわけではない。相手が真田だからこその無傷だ。
一般的な男子が食らったら歯の1,2本は折れるんじゃないだろうか。馨もだてにリーダーをやっているわけじゃない。
体は無傷でも、全身の力が抜けて、立つことができなかった。心が致命的ともいえるダメージを受けていた。
好きな女に、しかもグーで、さらに手加減なしで殴られるなんて、そんな経験はできればしたくなかった。
いつもは明るく彼を慰める順平も、今回は何も言わなかった。
「私を殴ってください」
馨が真田にそう言ってきたのは1週間後の、同じくタルタロスエントランスでのことだった。
もちろんメンバーは適切な距離でそれを見守る。口を出していい雰囲気じゃない。
「先輩の言い分も聞かないで先に手が出るなんて、私最低です。
だから、先輩も同じように私を殴ってください。それから話を聞きます」
何の迷いもなくそう言い切る馨は、男よりも男らしかった。
直前になってびくつくような目ではない。もし本当に殴られれば顔が腫れるくらいの覚悟は必要だろうに。
男女の差はそれくらい無慈悲なものなのだ。馨はそれもひっくるめてそう言っている。
順平はつい「一生ついていきます、兄貴」と言いたくなる衝動に駆られた。
しかし今そんなノリで口を開けば、SEES追放だろう。いやむしろリアルな方の処刑か。耐えろ俺。
「何言ってんだ。俺におまえが殴れるわけないだろ」
「男とか女とか関係ありません!遠慮しないでください!」
「断る」
「なんでですか!?私を見下してるんですか!」
「違う」
「なら」
続きを言われる前に、歩み寄って手を伸ばして、そのまま馨を抱きしめた。
いつもとは少し違う。抱きしめかえしてくれる細い腕は宙ぶらりんのままだ。
それでも構わず腕に力を込めた。拒否されても離すつもりはなかった。
「俺はおまえを殴るなんて絶対にできない」
「・・・」
「だからせめて謝らせてくれ」
「・・・」
「悪かった」
二人を見守る中で、美鶴と荒垣は同じような気持ちを抱いていた。
あいつ、少しは大人になったな。自分から謝るなんて。
それを感じたのか、二人は自然と目が合い、微笑んだ。
(槇村のおかげだろうな)
(まったくだ・・・リーダーには頭が下がるぜ)
それまで真田の胸の中で口を固く閉ざしていた馨が肩を震わせて口を開いた。
「・・・もうぜったいにあんなことしないでください」
「・・・ああ」
「先輩が大事だから言ってるんです・・・」
「ああ・・・すまなかった・・・本当に」
「・・・殴ったりしてごめんなさい」
「いいんだ」
「ごめんなさい・・・」
「もういい。泣くな」
一件落着だな。
美鶴がメンバーを見渡した。他の者もほっとしたように美鶴に相槌を送る。
ただ、しばらくはこうして少し離れたところで見守っていよう。せめてリーダーが泣き止むまでは。
しょせんは彼氏彼女、そんなふうに思っていた。
多感な高校生というこの時期、気が変わったり別れたりしてもおかしくはないし、それが普通なはずなのだ。
けれどこうして二人を見ていると思い知らされる。
先輩には馨が、馨には先輩がいないとそもそも自分たちの調子も狂うということを。
2011/11/12
先輩がなにをしたのかは、ご想像にお任せします。