BELOVED


自分らしく生きてゆくのに、あなたがそばにいてくれたら――
これ以上のことはない。



馨が落ち込むことは珍しかった。
超がつくほど前向きで、人前では弱気になったりしない。
だからこそ看護師として働く仕事先でも絶大な信頼を得ているらしい。
ただ、医者ほど直接的ではないが人の命を扱うことに変わりはない。
まるで自分の命を削って働いているように見えたのは、気のせいじゃないと思う。

目に見えて疲れているわけでもない。体調管理をおろそかにするほど未熟でもない。
ただ、小さなもやもやが心に降り積もることは防げない。それが最近は顕著だった。

「馨」
「なに?」
「今日は二人とも非番だな」
「そうだね」
「どこか行くか?」
「・・・ん」

二人の休みが重なることなんてめったにないことだった。以前だったら、馨は目を輝かせて俺を外に連れ出しただろう。
俺はまんざらでもない顔をして、黙ってついていけばいい。今日はそれがなかった。
「どうしたんだ」
「え」
「疲れてるのか?」
「・・・ごめんなさい」
一応の着替えを済ませたのち、再び馨はベッドに横たわっていた。
俺は隣に腰かけて、やわらかい髪を静かに撫でる。何も言わない俺に気を使ったのか、馨は体を起こして笑顔を作った。
「あ、大丈夫。体調はいいから」
「なあ、」
「ん?」
「・・・行こうか」
一日静かに休ませてやるという手もあった。しかしそれは少し違う。今やるべきことはもっとほかにもあるはずだ。
馨の手を引いて、外に出かけた。

「・・・久しぶり」
「ああ」
「デートなんか、ほんと、久しぶり・・・だね」
高校生の頃とは違う。お互いを思いやっていればいい時期は過ぎた。
自分の人生を生きなければならない。たまには足がすくんで動けなくなることだってある。
馨にとって、それはまさに今なのだろう。なら俺にできることはなんだ、と考えた。なんのために一緒にいるのだと。

「あ、これかわいいー」
馨の目に留まったのは、店先のディスプレイのマネキンだった。
彼女が好きそうなデザインの服がきれいに飾られている。しかし馨はすぐに歩き出した。俺は思わずつないだ手を引き留める。
「なんだ、いらないのか?」
俺の言葉に、馨は少し目を泳がせた。わかりやすいやつだ。
「ほら、来い」
少しだけ、あのころを思い出した。

試着室から出てきた馨は少し照れくさそうだった。文句なしに似合っている。
「ど、どうかな?」
「かわいい」
「あ、ありがと・・・」
いつからこんなぎこちない笑い方をするようになったんだろう。俺は何も気づいてやれなかった。

そばに控えていた店員を呼んだ。
「お似合いですわ。いかがいたしますか?」
「着て帰りたい。ついでにあのマネキンの装飾まるごともらう。彼女に着せてやってくれ」
「ありがとうございます」
「カードで頼む」
「かしこまりました」
店員にクレジットカードを渡すと、馨は驚いたように俺を見る。
俺は何も言わないで小さく微笑んだ。

・・・

何が食べたい?と聞いた。すると返ってきた返事は「牛丼」。
あ、ラーメンもいいですね、と。だんだん笑顔のぎこちなさがとれていく。
俺は馨の希望通り、チェーン展開している「海牛」に入った。

楽しいときはあっという間に過ぎて行った。日は暮れ始めている。時間の流れに不公平を感じた。
来た時と同じように、手をつないで家路をたどる。ふと隣の馨の横顔を目に入れると、穏やかに笑っているように見えた。
少なからずほっとする。それでも俺にできることは少なかった。

「ね、明彦」
「なんだ?」
「今日はありがとね・・・たのしかった」
馨はつないだ手を力を込めた。嬉しそうに笑って俺を見上げる。
ああ、とだけ言って指を絡ませる。
そうだな。言わなきゃ伝わらないことも、ある。それは何年連れ添っても変わらないんだ。

「俺の方こそおまえに礼を言わなきゃならない」
「え?なに、いきなり」
「俺はいつでも、おまえにしてもらってばかりだったから」

一生懸命与えてきたつもりでも、実際にはそれは自己満足だった。
それでいいのかもしれないが、馨は俺以上に俺のことを支えてくれた。
それに応えてやりたい。義務じゃない、そうしたいからだ。

「こうやって少しずつ、恩返しさせてくれ」

大げさなことを言うなと笑われそうだ。けど馨はしっかり俺を見つめている。
それに安心して、言葉をつづけた。
「例えば、おまえが調子悪い時とか・・・落ち込んでるときとか、
そうだな、どうしようもないときだ。俺にできることはなんでもしてやる。
だいぶ前だけど、俺が言ったこと、覚えてるか?」
小さく笑って馨を見つめた。だいぶ前。そう、高校生の頃、告白した後だ。不思議と昨日のことのように覚えている。

「おまえのつらいときは、俺がいるからな・・・馨」

つらいときは、俺がいるからな。それはあのころの気持ちと変わっていない。
俺はこれまで、その通りに行動できていただろうか?

馨は大きく頷いて、俺の腕にしがみついた。
今までしてきたことは無駄じゃない。健気に笑う彼女を見ているとそう思う。
だからこれからも、変わらず馨のそばにいさせてほしい。

2011/11/12
星コミュ10の先輩のセリフが、とてもすてきだったので。
あと、マネキンの服まるごともらいたいって言ってさらりとカードを出す真田さんを書きたかった(笑)