My Gift to You


夜の警察署内は冷え込んでいた。
部屋から一歩出ただけでこの突き刺すような寒さだ。ったく、上着来てくりゃよかった。
伊藤は無意識に身震いして舌打ちをした。

彼がいつもいる部屋には明かりがついていた。ノックをして部屋に入る。
「――参事官、お帰りになったはずじゃ」

いるはずのない男がいた。相変わらずの表情でノートパソコンと向き合っている。
手元には大量の書類。それを遠目で見る限り、間違いなく今回の案件についてだろう。
崩れていない姿勢を見る限り、疲れていないようだ。まったく、涼しい顔して仕事熱心な官僚もいることだ。

「もう帰りますよ。伊藤さんこそ、何か御用ですか」
「いや、用というほどじゃ・・・」
それは本音だった。どこか引っかかるこの男の寝首をかきに来たわけでもない。
ただ、気になると言えばこれくらいだ。まさか、結婚してたとはねえ。知ったときは純粋に驚いた。
「奥様が待ってるんでしょう」
その言葉に、彼は小さく反応した。手を止めて、視線だけを上にあげて伊藤を見据える。
その鋭い目つきにはもう慣れた。数秒の沈黙の後、彼は視線をもどして小さく息をつくと、
思い出したように、いや言わざるを得ないような雰囲気でこう言った。
「そういえば今日はクリスマス、でしたね」
「そうですね」
女子供にとっては25日当日よりも、24日のイブの日の方が重要なようだ。だがこの男にとってはその違いは関係ないのだろう。
アイツが――アイツらが生きてりゃ、俺も今頃ケーキを持って帰ってたんだろうな。珍しくセンチメンタルな気分だ。

「どこか・・・」
彼は机の上を片付け始めながら、独り言のようにつぶやいた。伊藤は黙って耳を澄ませる。
「どこか、ケーキの売っている店を知りませんか」
「ケーキ、ですか」
「来たばかりで、そういう類の店には用がありませんでしたから」
すぐ近くにある個人経営の洋菓子店の存在を伝えると、彼は一言礼を言ってすぐに部屋を出た。
しまった、営業時間ギリギリじゃないか?他人事なんだからどうでもいいが、なんとなく彼が間に合うことを祈った。
雪が降りしきる中、車を飛ばしてホールのケーキを買って、あの男はどんな顔して「ただいま」と言うのだろうか。
それを想像する限り、ああいう男でも少なからず人間らしいところがあるのかもしれない。

・・・

今日は早く帰ってきて。せっかくのクリスマスじゃない。
馨のそんなセリフは仮眠中の夢の中だけだった。実際には何も言われていない。
誕生日もバレンタインもクリスマスも、当日の朝にはいつもと変わらず「いってらっしゃい」だ。
そしてプレゼントを持って帰宅すれば、いつもと変わらない「おかえりなさい」で迎えてくれる。
用意してある夕食は少しだけ豪華だ。俺はそれを見て、買ってきたプレゼントを馨に渡す。それが当たり前になっていった。

「おかえりなさい」

馨の顔を見るのは2日ぶりだ。昨日は――クリスマスイブの夜は、帰れなかった。不毛なイブだったな。
慎やその友人たちは、それなりに楽しいイブを過ごせたようだ。大人の都合に子供を巻き込むのはやはり心苦しい。
それしかないと理解して納得していても、だ。それしか方法がなく、それが最善であっても。
片手に鞄を、片手に買ったケーキを下げて部屋に入る。購入したケーキは奇跡的にも最後の一個だった。まあ、時間帯を考えれば当然の結果か。

「昨日はすまなかったな、帰れなくて」
「ううん。私も忙しかったから」

それは事実なのか、遠慮なのか。情けないことに、俺にはそれもわからなかった。
ふと、ちょうど10年前のクリスマスを思い出した。あのころからだ、馨が俺の隣にいてくれるようになったのは。
ポロニアンモールの噴水の前で、二人並んでいろいろな話をした。プレゼントも交換した。
その頃のプレゼントを、お互い大切にしている。俺がもらったマフラーは、最初の2、3年は毎日のように使っていたが、
経年劣化は防げない。泣く泣く保管することにした。その時の賢明な判断のおかげで、ぎりぎりきれいなままで残されている。
それを思うと、なんだか急に感慨深くなった。柄にもないな。

「馨」
「ん?」
「出かけないか」
「・・・はい!」

その返事に、さっきまでの懐かしい記憶が一気に色づいた。名前を呼べば、嬉しそうにこう答えてくれる。
今では当たり前の些細なことも、あのころは嬉しくて仕方がなかった。
どこに、とか。今から?とか。そういうことは一切聞かれなかった。深夜というには早すぎるし、今日は夜の街も特別だ。
買ってきたケーキはそのまま冷蔵庫にしまった。スーツのまま、鞄だけを置いて再び靴を履く。
馨は「少し待ってて」と言うと、1分もしないうちに身支度を整えてきた。相変わらずの早さだ。
部屋を出て玄関の鍵を閉めた馨の手を、そっと取った。馨は嬉しそうに微笑んで、俺の隣にぴったりくっつく。
雪は相変わらずしんしんと降り積もる。この地方の雪の多さには、慣れ始めていた。
「寒いな」
「都会育ちだと、ちょっとつらいよね」
「ああ」
「でも毎年ホワイトクリスマスなんて、すてき」
「そういうものか?」
「そういうものです」
「おまえが言うなら、そうなんだろうな」
小さな肩が冷えてしまわないように、ぐっと抱き寄せた。

たとえどんなに変わっても、こういう日だけはあのころの二人に戻っていたい。
街には二人を歓迎するように、クリスマスソングが流れていた。
コートのポケットの中のプレゼントを、馨は喜んでくれるだろうか。

2011/11/12
フライングメリークリスマス。参事官はクリスマスでも仕事しそうです。それでもしっかり帰ってきます。