タイムアップ
修学旅行。
こういうイベントにはゆかりの方が乗り気なのに、今回は逆だった。
放課後、誰もいない教室でガイドブックを広げて向かい合う。
「わー、これ美味しそう!」
「あーうん、美味しいよ」
「ねえねえ、このお店は!?」
「ゴメン、そっちは行ったことないの」
「うーん、やっぱ抹茶は外せないなあ」
「てかあんた、食べ物のことばっかじゃない」
「だってゆかりみたいに行ったことないし、ぜんぶ美味しそうだし」
「ふつうは雑貨とか限定コスメとかに目が行くもんよ?」
「それも興味あるよ?甘いモノの次に」
「あんたらしい」
ゆかりは呆れたように、でも嬉しそうに笑って机に肘をついた。
「一緒に回ろうね!ゆかり」
「え?先輩といればいいじゃない」
当たり前の返答に、馨は少しだけ笑顔を曇らせた。意外とわかりやすい。
「せっかく3年生も一緒なんだから」
「んー、いい」
「なんで。ケンカでもしてるの?」
「違うけど。ほら、一応ヒミツでしょ」
「・・・そうね」
どこが秘密なんだか。そう言いたくなるのをこらえた。
仲間内はおろか、学校中に知れ渡っているようないないような。そんな気がしてならない。
気づいてないのはたぶん当人たちだけだ。その証拠に、馨は真顔でしょんぼりしている。
「それとなくわかるの。先輩の言いたいこと」
「・・・」
「それに、ゆかりと回った方が楽しそうだし」
「強がんなっての」
「ほんとなのに」
先輩の言いたいこと、ね。ただ単に恥ずかしいだけでしょ?あの男は。
やきもきする。まったく手のかかる二人だ。再びガイドブックを見て笑う馨を、そんな気持ちで見つめていた。
・・・
そして迎えた当日。
昼間は予定通りゆかりや風花と一緒に行動したわけだが、ゆかりはやたらと美鶴を気にかけていた。
ゆかり、どうしたの?何度もそう聞かれるくらいに。その理由はのちに知ることになる。
「ちょ、あんたまだ食べる気!?」
「だって」
「だってじゃないわよ!夕飯食べれなくなるよ」
「そうだよ馨ちゃん!まだ明日もあるじゃない」
「せめて抹茶アイスだけでも」
「ほら行くよ!お財布しまいなさい」
「えぇ〜」
そしてあっという間に夜になる。
気づいたら布団の中で、影時間にさしかかっていた。どうしてこんな微妙な時間に目が覚めてしまったのか。
ぼやける頭で考える。隣で寝ている象徴化したクラスメイトを見て実感した。
ああ、屋久島でも京都でも影時間はあるんだと。その隣のゆかりはもちろん変わりなく寝息を立てている。
ていうかゆかり、布団かかってないじゃない。意外と寝相悪いんだね。
小さく笑って起き上がり、ゆかりの布団を上までかけ直した。さて、どうしよう。すっかり目が覚めてしまった。
少しはだけていた浴衣をしっかり着直して、そっと部屋を出た。
かといって何をするわけでもない。
売店はもちろんやっていないし、廊下は薄暗いし。誰もいないし、少し不気味だ。
もともと影時間自体が不気味だ。やっぱり戻ろう。そう思い階段の方を振りむいた。
「あ」
「・・・あ」
進行方向には彼がいた。
だいたいこの時間に動けるのは適性者だけなのだし、自分の恋人を見間違えるはずもない。
あまりに突然のことに足を止めざるを得なかった。彼はそんなそぶりは見せずにこちらに歩いてくる。
思えば、こうして顔を合わせるのは今日初めてだ。なんだかずっと会っていなかった気分になる。
「なんだ、こんな時間に」
「寝れなくて」
「枕が変わると、か?」
「あ、そうかもしれないです」
「子供だな」
「先輩こそ、どうしたんですか?」
「別に。寝れないだけだ」
「同じじゃないですか」
少しむっとして指摘すると、彼は可笑しそうに口元を緩めた。
しかしなかなか目を合わせてくれない。二人きりなのに。
わかりやすいようでまったくわからない。好きだからわかりたいのに。
少しの不安と嬉しさとが入り混じる。ここはストレートに、聞くしかない。
「・・・、避けてます?」
「なにを」
「私を」
「そんなことはない」
「じゃあちゃんと見てください」
「・・・」
「先輩」
控えめに一歩距離を縮めると、それに合わせるように顔をそむけられた。
ショックを感じる間もなくこう言われた。
「・・・直視できない、その格好」
「え?」
浴衣のことか、と理解するのに少し時間がかかった。
そむけられた顔は赤い。眉間にはしわが寄っている。
それに対してどういう反応が正解なんだろう。いつも決まって、答えは「沈黙」しかない。
少しは学習したいと思うのだが。それにしても直視できないとはどういう意味だろう。
胸元はしっかり締め直したし、着方も間違ってはいない。直視できないほど似合わない・・・?
「・・・色っぽくて困る」
不機嫌そうにつぶやかれた言葉は予想外だった。つられて顔が紅潮する。
「えっ!?」
「変な意味じゃない!」
「それはいったいどうしたら」
「一刻も早く部屋に戻れ」
「どうしていつもそう勝手なんですか」
「ならどうすればいい」
「・・・。こっち来てください」
「ああ」
「そっちに座って」
「ああ」
「はい。これでオッケーです」
促されるまま廊下のベンチに座ると、馨もその隣に腰を下ろす。意図がわからない。
「なにがオッケーだ」
「眠くなるまでこのまま話してればいいと思います」
「・・・」
「影時間に見回りの先生は来ませんよ?」
「まあ、そうだな」
かみ合わないペースも、いつの間にかちょうどよくなっている。
付き合っていてよかったと、思うのがこの瞬間だ。
不気味に思えた薄暗い館内も、隣に彼がいることでなんでもなく思える。
共有できなかった旅行の些細な出来事を話して聞かせる。それだけで嬉しかった。
「馨」
「はい」
「・・・、あんまり近寄るな」
話に夢中でいつの間にか肩と肩が触れ合っていることに気が付いた。
眉間にしわがよるのは照れるときの癖なのだろう。だんだんそれがわかってきて、変に反応せずに続きを待った。
「いろいろ我慢できなくなるから」
「いろいろ?」
「ああ」
「例えば」
「知らなくていい」
「ずるい」
「・・・」
「ずるい!」
わざと距離を縮めると、それを逆手に取られて抱きしめられた。一気に体がこわばる。
「ずるいのはどっちだ?」
「・・・」
「もう少し影時間が長かったら、部屋に連れ込んだのに」
ずるいのはどっちだ。それをそっくりそのまま言い返してやりたい。
広い背中に腕を回そうとした瞬間、影時間の違和感は消えてなくなった。
2011/12/11
先輩にとって浴衣はツボだったようです。