小春日和


辰巳記念病院。
迷惑にならない程度に、やってきている。その頻度がどれくらいならいいのか、私自身よくわからない。
行きなれた病室までの道。一呼吸おいて、小さく2回ノックをした。

「山岸です」
「・・・あぁ」
返ってきた低くかすれた声。おそるおそるドアをあける。

「あ・・・、えと、こんにちは」
「・・・よう。いつも悪ぃな」
こういう人を気遣うことばを、節々に言う。ぶっきらぼうに。荒垣先輩らしいです。

「調子はどうですか?」
「見てわかるだろ。暇すぎて死にそうだ」
「よかった、元気そうですね」
「・・・死にそうだっつってんのに」

少しだけ開いた窓から、風が入ってくる。1月にしては今日はあたたかい。日差しがあついくらいだ。
隙間風が気持ちよく思える。
「今日もいい天気ですね・・・」
「ああ」
「あ、そうだ。教えていただいたビーフシチュー、おいしくできました!」
「あ?ああ、そりゃよかった」
「馨ちゃんも、みんなもおいしいって言ってくれました」
「よかったな」
「はい!荒垣先輩のおかげです」
「べつに、口で説明しただけじゃねえか」
「その細かい説明があったおかげです」

そう言って、小さな字がびっしりつまったノートを広げて見せた。
「――お、おまえ・・・なんだこりゃ」
「レシピノートです」
「いつも何かメモってんなと思ったら・・・ここまでしてたのか」
「私、こういうの得意なんです」
「・・・すげえな、オレには無理だ」

最近は、少しだけ笑うようになってくれた。
相手が私でも。

「馨ちゃんの誕生日・・・3月なんですよ」
「・・・?」
「私、無事に、祝ってあげたいんです」
綾時から告げられた”世界の終り”は、もうそこまで来ていた。
1月31日、ニュクスが降り立つ。
「ここまで一番がんばってきたのは、たぶん馨ちゃんだから・・・」
「・・・そうかもな」

今の自分に、いったい何ができるのか。
そこまでの力を、持てているのか――不安はつきなかった。

「ケーキでも作れよ」
「え?」
「あいつの誕生日」
「・・・!」
私は気づいていた。馨ちゃんのことを話すとき、荒垣先輩は少し穏やかになる。
「そっか・・・!今からしっかり研究しておけば、ぜったいおいしくつくれますよね!」
「で、作り方は?」
「・・・お願いします」
「やっぱりな」
すごいなあ、荒垣先輩。ケーキまで作れるなんて。
隠し味になにをいれたらおいしくなるとか、そんなことまで。
先輩の言葉を、びっしりとノートに書き連ねていった。
「・・・そういやぁ」
「?」
「あいつバナナ好きだったな」
「え・・・そうなんですか?」
「バナナ大福とか、バナナカップケーキとか、あいつの話にはやたらバナナが出てきてたからな。
スライスして、スポンジの間に入れてみろ。チョコクリームも入れればチョコバナナだ」
「うわあ・・・おいしそう!」
思わずペンを止めて想像してみた。なんだかおなかへってきちゃったかも・・・。
「アイツは・・・」
「・・・?」
「馨は・・・ちゃんとやってるか?」
「・・・はい」
「・・・そうか」

さみしさとやさしさが混じった顔だった。そんな表情をみるのは、初めてかもしれない。
下の名前で呼んだのは
無意識なのか、わざとなのか。

「アキが一緒なら、大丈夫だろ」

しばらく、何も言えなかった。
荒垣先輩の弱い部分を
私が見てもよかったのだろうか。

「馨ちゃんて・・・」
見晴らしのいい病室の窓。
顔だけを空に向けて、小さくつぶやいた。
「馨ちゃんて、なんか不思議ですよね」
「・・・まあな」
「頼りたくなるし、守りたくもなりますね」
「・・・はねっ返りだからな」
「ふふ」

私の周りのこのやさしいひとたちを
どうしたら、守れるだろう?答えはもう、出さなければいけない。

「すみません、こんな遅くまで」
「どうせ暇人だから平気だ」
「暇人じゃなくて病人ですよ。ちゃんと治してくださいね」
「・・・山岸、ちょっとあいつに似てきたな」
「冗談です。・・・じゃあ、ありがとうございました」
小さく一礼して、病室を後にしようとした。
「――山岸!」
「・・・?」
「負けんなよ」

その言葉がうれしくて
精いっぱいの笑顔を向けたつもりだったけど、ちゃんと伝わったかな。

世界の終わりを超えて、みんなの気持ちをあなたに届けたい。

2011/08/14
荒女主からの荒風もありだと思う。