ミステイク


家事も料理も一通りはできる。だから極端な話、いつお嫁に行っても大丈夫だと思っていた。
料理部だって簡単なお菓子なら上手に作れている。しかし。

「なんでぇ!?なんで真っ黒なの」
焼きあがったホットケーキは黒焦げの薄っぺらだった。

「おい・・・キッチンで素っ頓狂な声あげんじゃねえよ」
顔を出したのは荒垣だった。ラウンジには誰もいないはずだったから、コロマルとの散歩から帰ってきたところのようだ。 制服の上にエプロンをした馨は、涙ぐみながら振り返る。片手には残念なフライパン。
「荒垣先輩〜」
「なんだそりゃ。皆既日食の再現か」
「ホットケーキですよ!」
なるほど。荒垣は了解を得てから、フライパンで黒焦げになった物体を一つまみ口に放り込む。
「味はわるくねぇ」
「なんでこんな真っ黒でぺらぺらに」
「卵白と卵黄を分けたか?」
「・・・いいえ」
「油はどんくらい入れた」
「勘で・・・」
一通り受け答えると小さくため息をつかれて、ぎろりとにらまれる。思わず後ずさった。
「確かにホットケーキは誰でも簡単に作れる。小学生のガキでもな」
「・・・」
「けどほんとは難しいんだ」
「その通りです・・・」

荒垣は棚からエプロンを取り出した。見たことがある柄だった。彼の自前だ。
手馴れた手つきでエプロンを身に着ける彼は、こう言っては何だが少しかわいい。
「先輩」
「まだ材料はあんのか」
「はい!」
「特別に教えてやる」
「ほんとですか!?」
「とっとと準備しろ」

・・・

30分後。
「ま、こんなもんか」
出来上がったホットケーキは、パッケージ商品のようにきれいだった。
均一な焼き色。ふっくら厚みのある生地。真ん中に添えられたバターもほどよく溶けている。

「す・・・すごい」
「ちょっと手間かけるだけだ。頭には入ったろ?」
「はい」
「おまえは器用だし、1回見て真似りゃすぐ出来んだろ」
それは彼なりの褒め言葉だったのだが、果たして伝わっただろうか。
目の前の彼女は飽きることなくホットケーキの周りをうろうろしている。
まったくしょうがねえ。荒垣はエプロンを脱ぎながらそもそもの疑問を口にした。
「何で急にホットケーキなんだ?」
「えっ」
馨の肩がこわばるのがわかった。女ってのはどうしようもないことばかり考える。まあ俺には関係ない。
「そういやアキが好きだったな、ホットケーキ」
「・・・」
思いついた一番身近な可能性を口にしただけだったのだが、図星のようだ。
むずがゆそうな表情は、見ているとからかいたくなる。

「へえ。けなげだねえ」
小さく笑って、ポニーテールの頭にぽふん、と手を置く。
「こ、子ども扱いしないでください」
「わりぃわりぃ」
「・・・ありがとうございました」
ひらひらと手を振りながら背を向ける荒垣に、馨はぺこりと頭を下げた。

・・・

せっかく作り方をマスターしたというのに、肝心の真田に避けられている気がする。
付き合い始めのぎこちなさとは少し違う。なにか気に障るような事でもしたのだろうか。胸に手を当てても全く分からない。
「気が向いたら今度作ってくれ。ホットケーキがいいな」
その言葉を思い出して、喜んでほしくて始めたのに。作ってあげる機会はなかなか来なかった。

夜のラウンジで、偶然二人きりになった。本当なら緊張しながらも、嬉しさの方が増していた。しかし今は、少し気まずい。 視線を向けてもこっちを向いてくれない。それが本当に不安になった。でもこの場を去るのも違う。もっと距離が離れてしまうような気がした。 しばらく沈黙したところで、真田は歯切れ悪く口を開いた。
「・・・なあ」
やっと喋ってくれたのと、何を言われるのかという不安で「はい」という声は少し震えた。
「その、・・・なんていうか」
「・・・」
ずいぶん言いにくそうだ。形のいい眉は不愉快そうにしかめられている。それを見るのさえつらい。
「おまえ、シンジと」
「えっ?」
予想外の名前に、思わず声が漏れた。どうして今この状況で荒垣先輩?
真田は馨の反応に触発されたようにぱっと振り向いて、思い切ったようにこう言った。
「だから、・・・シンジと二人でなにしてたんだ」
「なに・・・って・・・」

切羽詰った瞳に詰め寄られて、必死に荒垣の顔を思い浮かべる。
二人で、と言えば先日のホットケーキ講習だろうか。
「こないだ見たんだ。キッチンで」
180度間違った方向に誤解されていることを、馨は今ようやく理解した。 目の前の彼の瞳は切なそうに細められて、珍しくうつむき気味だ。 必死に弁解する。
「あ、あれは荒垣先輩にホットケーキの作り方を教わって」
「ホットケーキ?」
しまった。内緒で作って驚かせる作戦が水の泡だ。しかし今は誤解を解くのが先だ。
「ぜんぜん上手にできなくて、・・・荒垣先輩に教えてもらってたんです」
「・・・それは、」
真田は顔を上げて、思いついた可能性を自信無さげに口にしてみた。
「もしかして、俺のために・・・」
「も、もしかしなくても先輩のためです!い、言わせないでください・・・」

どうやってもかみ合わなかったパズルのピースがうまく当てはまった瞬間だった。
すれ違っていた気持ちは一致した。考えてみれば当たり前のことも、ここまでたどり着くのに本当に時間がかかった。
つかれた。ものすごく。しかしそれ以上に安心して、気持ちは満たされていた。

・・・

荒垣が踏んだ手順を丁寧に頭の中に思い返して、その通りに作ってみた。
完璧、とまではいかないものの、許容範囲の出来のホットケーキが完成した。
「いただきます」から「ごちそうさま」までの時間はあまりに短かった。
そんなに急いで食べなくてもいいのにと言うと、彼はばつが悪そうに笑いながら目をそらした。

キッチンで残った洗い物をしていると、急に後ろから抱きしめられる。
ずいぶん驚いたが、少し予想はしていた。実際にされるとやはり嬉しくてたまらない。
手も水道の蛇口も、止めないわけにはいかなかった。

そのままおとなしく体を預けると、耳元に唇を寄せられたのがわかる。
些細な刺激に心臓は飛び跳ねた。

「・・・悪かったな、変に疑って」
「やきもちっていうんですよ、そういうの」
小さく笑いながら言うと、観念したような、含み笑いを込めたため息が聞こえた。

「また作ってくれ・・・うまかった」

その言葉に、ホットケーキミックスの買いだめをどの程度すればいいのか――
真田の腕の中で、馨は真剣に悩んだ。

2012/01/09
ホットケーキと牛丼を見ると、反射なのか脳裏に真田先輩がいるんですよね・・・。