09 天田乾の一日


あの日を境に、僕は自分の力だけで起きなくてはいけなくなった。
昨晩、大好きなフェザーマンRのビデオを見すぎて夜更かししてしまっても、学校で嫌なことがあって寝過ごしたくても。
僕を毎朝、卵焼きを焼く音で起こしてくれた母さんはもういなかった。

情けないことに、この巌戸台分寮に入ってからもそういう昔の夢を見ることは多々あった。
うるさく響く目覚まし時計を止めて、起き上がる。もう僕は、一人で起きられるようになっていた。

部屋に設置されている小さな冷蔵庫から牛乳パックを取り出す。お腹が痛くなるからコップ一杯が限度だ。
これが僕の朝ごはん。ラウンジに降りて何かしら残り物があったりしたらそれを食べて学校に向かう。
寮の中で一番年下な僕が言うのもなんだけど、皆さん食生活最悪だよなあ。普通、寮って言ったら決まった時間に食事を全員でとらないか?

寮を出ようとすると、ゆかりさんか順平さん、たまに馨さんが血相を変えて僕の隣を追い越していく。
義務教育でない高校生にとって遅刻の回数というのは死活問題になるようだ。僕はあと4年間、その心配はいらない。

のんびりと用意をして、コロマルに「いってきます」を言って寮を出る。
ランドセルを極力揺らさないようにしながら、僕はふと考える。・・・せめて朝ぐらいは、全員分のごはんを用意してあげてもいいかもしれない。
遅刻ギリギリでも片手で持っていけるように、サンドイッチとかおにぎりとか。それくらいなら僕にもできる。毎朝食べていた、母さんみたいなおいしい卵焼きも。

5年A組の教室に入って、挨拶よりもまずため息が出る。
周りが一気に高校生ばかりになったということもあるのだろうが、クラスメイトがより一層馬鹿っぽく見えるのだ。
大声を出して騒ぐ男子たち。女の子の方がよっぽど大人に見える。それが年相応なのか、僕がひねくれているのか、そんなのはとっくにわかりきっていた。

一人で窓際の自分の席に着くと、後ろの席から騒がしい声が聞こえてきた。僕は聞かないふりをする。
「なぁ、昨日のフェザーマンR、俺見逃したッ!」
「俺も俺も、だって放送時間いきなり変更とかふざけたよなー!お母さん録画してくれなかったし」

反射的に振り向いた。もちろん目があい沈黙。彼らと仲がいいわけでもない僕は、明らかに不思議そうな目で見つめられた。
しかしここまで来たら言うしかない。言ってそのまま、また前を向けばいい。
「・・・僕見たよ」
「えっ!?まじで!なあ教えて!魔人ロボはどうなったんだ!?」
「・・・えっと」
気づいたら1時間目のチャイムが鳴り、先生が入ってきた。僕らも周りも急いで席に着く。
後ろから、さっきまで話していた奴が小さく声をかけてきた。

「天田、サンキュ!休み時間さ、また話そうぜ」

そうやって年相応な幼い笑い方をする彼に、僕は年相応とは思えないぎこちない笑いを返した。
要は僕は怖かった。――年齢とか境遇とかを人一倍気にする前に、友達を作るのが。

放課後に時間を忘れて泥だらけになって遊ぶ。最近ではそれもいいなって思えてきたけど、やっぱりまっすぐ寮に帰る方が今はいいかもしれない。
単純にあの人たちはいい人だ。だから僕も、SEESの一員であると実感できるんだと思う。
学校帰りのポートアイランドの駅で、僕はばったり馨さんと会った。赤い瞳が驚いたように見開かれたのは一瞬、ぱあっと花が咲くように笑う。
つい、つられて笑ってしまうのは、彼女の得意技だろう。そんな彼女の隣には、珍しく誰もいなかった。
一緒に帰ることになった。つきあってほしいところがあると言われてついてきたのは交番。外で待っていると、馨さんは大荷物を抱えて出てきた。
装備の買い付けはリーダーの仕事。こんな重いものを毎回一人で――かどうかわわからないが、寮まで運んでいたなんて知らなかった。
僕は慌てて片方の袋を受け取った。持ちます、と半ば意地のような声を出すと、馨さんは素直に「ありがとう」と言った。
きっと荒垣さんや真田さんなら、平気な顔して両方とも受け取るのだろう。体の小さな僕にはそれが出来ない。馨さんの負担を軽くすることはできなかった。

すっかり夜も更け、影時間まではだいたいがみんなラウンジにいる。僕もそこに溶け込む。
我慢してブラックコーヒーをちびちび飲んでいると、必ず誰かが僕をからかう。宿題をしていると、教えてやろうかと必ず誰かが僕の隣に座る。
この寮で、僕は孤立するなんてことは一度もなかった。要は一日中誰かと会話しない日がないということだ。以前はそっちの方が多かったというのに。

そうして心地いい疲れを感じながら布団をかぶる。やれやれ、明日もまた濃い一日になることだろう。自然と笑顔が浮かぶことに、僕は毎回気づいていない。

2012/01/20
高校生の中に小学生一人って、普通はやっていけないと思うのですが天田くんはすごい。