position
真田明彦のファンクラブにおいて、絶対的に有利――
というか一気に彼と親密になれる(可能性のある)ポジションがある。
ボクシング部のマネージャーである。
現在のマネージャーは部員兼マネージャーという形で、男子生徒が担っている。
聞けばマネージャーになるには部長にうんと言わせればいいらしい。(ファンクラブ調べ)
つまりいつでも下剋上のチャンスはあるわけだ。誰もがその勝ち組ポジションを密かに狙っていた。
現マネージャーを階段から突き落とすか弁当に毒を盛るか怪文書を送り続けるか。そんな常軌を逸した行動をとる者もいたとかいないとか。
そしてその熾烈な戦いは、今日も。
・・・
月光館学園ボクシング部の予算は他の部活動より優遇されている。
全戦無敗の真田を筆頭に、ボクシング部の活躍の度合いを見れば当然ともいえる。よって施設設備等も充実している。
唯一部室のドアの立てつけが悪かったり壁にひびが入っていたりするのは、部員しか知らない小さなイザコザの結果である。
今日のように、練習試合も月高で行われることが多い。
「きゃあああ真田せんぱぁい!」
「こっち向いてー!」
毎度おなじみ黄色い声。応援というより追っかけ。いくらリングのある練習場が広くても、ファンクラブのための席など一つもない。
試合前の人払いは副部長の沢村の仕事になりつつあった。これが結構しんどい。
その光景に、相手校の生徒は例外なく不思議がり、たまに(むしろ頻繁に)女子マネジャーが寝返ったりする。
「私、月高に転校したい」と目をハートマークに輝かせて。
「ほらどいた!中入っちゃだめ!」
「なによー!沢村のくせに」
「なっ、なんだと!?」
こうして試合前に体力も精神力も削られる。どうして俺がこんな目に?そもそも悪いのはおまえだろ。
あの子たちに少しだけでも優しくしてあげればここまで加熱しないだろうに。
無理やり中に入ってこようとする女生徒をどうにか追い出して、ドアをピシャンと閉める。
妨害はなくなったが、ガラス窓の向こうには不気味なほどの数の女子。どうしても視界に入る。まったく病気かおまえら。
「部長。あれおまえの金魚のフン。どうにかして」
「知らん」
「認知しろ!むしろ整形して失敗しろ」
「そんな金はない」
やっぱり無駄だった。こいつに何言っても聞きやしない。
いや一つだけ。女絡みでこいつを動かすことができる。
「あれ、馨ちゃん」
俺がわざとらしく大きい声でそう言うと、アップを始めていた真田は迷いもなく振り返った。
意外とこいつ、顔に出る。ポーカーフェイスは真田の武器だと思っていたのにがっかりだ。
口元こそ締まっているものの、目元は少し緩められた。
真田と、校内のアイドル――槇村馨が付き合ってるっていうのは聞いた。それは事実として聞いた。だがそれきりだ。もっといろいろ聞きたくてもなかなか話してくれない。
俺らトモダチじゃなかったの?同じ部活で同じクラスって、無条件でトモダチでしょ?
たとえおまえがどんなにとっつきにくくて意地っ張りで無神経だったとしても、だ。
そんな俺を尻目に二人は話し始めた。
「どうしたんだ」
「あ、生徒会の仕事です。相手校の交通費の清算」
「ああ、それならあそこにいるのが監督だ」
「はい!ありがとうございます」
そう言う彼女の手には封筒と書類。ポニーテールを揺らしながら、邪魔にならないように壁際をそっと歩いていった。
生徒会の仕事ねえ。部活をまとめる生徒会から部長に引き継ぐのが仕事だろうに、一言も言わずに彼氏の手間を省くなんて、なんていい子だ。
いやむしろ、それってマネージャーの仕事だろ?俺はいいことを思いついた。
「なァちょっとこっち来い」
「は、なんすか沢村さん」
現マネージャーである2年生の男子部員の肩を引っ張って壁に身を寄せた。
「おまえマネージャーの仕事大変だろ」
「そっすねー、正直自分の練習と両立しなきゃなんで」
「よし、俺に任せろ」
本当なら、ボクシング部のマネージャーをしたいっていう生徒(主に女子)は腐るほどいた。それこそ星の数ほど。
しかしほとんど100%が部長目当てだ。そんな不純な動機で部に入ってこられても士気が下がるだけだ。
だったらこうすればいい!
俺は再びこちらに戻ってきた真田の彼女をこっそり呼び止めた。
「ちょっといい?」
「はい!」
手招きをすると、何の迷いもなく俺の隣についた。こうして近くで見るとかわいいなあ。
「俺、副部長なの。提案があるんだよね」
「はい」
「うちのマネージャーにならない?」
「却下」
「痛っ」
彼女に向けた満面の笑顔は、いつの間にか背後に来ていた真田によって崩された。何も頬をつねることないだろう・・・。
真田は俺の頬をつねったまま引きずろうとする。その顔はいつも通り仏頂面だ。
「ただでさえこいつは忙しいんだ。これ以上面倒を増やすな」
真田の手を振り払って、赤くなった頬をさすりながら彼女の方に顔を向けると、なんだか申し訳なさそうに笑っている。
――他でもない真田の彼女なら、やれると思ったんだけどなあ。
すでに付き合ってるなら変に気を張らなそうだし、何よりてきぱきしてて気も配れる、まさにマネージャー向きの性格だ。
こんなことで諦めてたまるか!
「それがそうも言ってられないんですよ部長殿」
「なに?」
「現マネの田中くん、両立がつらくて辞めようと思ってるらしいぜ」
「なっ、」
いつの間にか話題に出されていた田中本人はそれを聞いて慌てて口を開いた。
「そ、そんなことまで言ってな」「いーから!」むぐ、と田中の口をつぐませる。
真田は口元に手を当てて考え込んでいた。
「そうか・・・いつの間にかそんなに心労をかけていたのか」
「そうそう」
「俺は部長なのに何も気づかなかった」
「どっちかっていうと副部長の俺の苦労にも気づいてほしいな」
「よし、なら俺がマネージャーも兼務しよう」
はあ!?
「部活に割く時間を少し増やせばなんとかなるだろ」
「おまえの志望校、半端なくレベル高いのに!?」
「勉強時間は減らさない。睡眠時間を減らす」
こうして真田は時々――いやしょっちゅうか。俺たちを驚かせる。
試合はあと5分で始まる。相手校はすでにアップを終えていた。固まって騒ぐ俺たちに、心なしか冷たい視線を送っているような。
それを念頭に置きながらも、全員で部長の説得にかかった。
まずは真田の彼女、槇村馨が口を開いた。
「だめですそんなの!タルタロスだってあるのに」
「は?タルタルソース?」
「あっ、」
彼女は明らかに「しまった」という顔をした。それをなぜか真田がフォローする。
「俺はタルタルソースが好きなんだ」
「そうなの?」
「自家製のな」
「すげぇ!」
「しばらく既製品で我慢すればいいことだ」
さらりとそう言いのける真田に、彼女は肩をすくめて謝った。
「せ、先輩・・・ごめんなさい」
「気をつけろ」
俺は気を取り直して論点を引き戻す。
「馨ちゃんをマネージャーにしとけばファンクラブ対策にもなるんだよ」
小さく息をついてそう言うと、真田は血相を変えた。そして「バカ野郎!」と怒鳴られる。
「それこそ自殺行為だ!俺はもうあんな迷惑行為は御免だ」
確かに。真田の彼女というだけでやっかまれるというのに、マネージャーになんてなったらそれこそひどい。
俺はそれを考えていなかった。まったく本当に女はめんどくさい。ここは部長に同意だ。
「悪い。そうでした」
「そりゃあ馨がマネージャーになれば、」
真田が再び口を開いた。俺はここから信じられない光景を目撃することになる。
「記録を取ってくれたり買い出しに行ってくれたりひたすらそばにいて見ててくれたり、
タオルを差し出してくれたりおつかれさまと言ってくれたり備品管理をしてくれたりスケジュールを組んでくれたり、
あとはそうだな、部活帰りに一緒に帰れるし癒されるし逆に士気が高まるし差し入れをしてくれたり」
まさにマシンガントーク。息つく間もなく一切噛まない早口言葉並み。
当の本人、槇村馨を含めて真田以外の全員が硬直していた。
真田はそれに全く気付かない。この中で一番真田のことを知っていると思っていた俺は一番ショックを受けた。カルチャーショックともいえる。
「待てよ、こんな男だらけの練習場にこんなかわいい女子が一人でいたらそれはそれで危険が・・・」
俺たちの何とも言えない視線に気づいたのか、真田は「はっ」と顔を上げると一瞬沈黙し、
何事もなかったように表情を「いつもの」仏頂面に戻した。
すごいと思う、それ。その顔芸。
「やっぱり俺がやるしかなさそうだ」
驚くべきことに本当に何事もなかった空気に戻った。俺はぎこちないながらも反論を続ける。
「マネージャーって地味に大変なんだぜ?めんどい仕事が山のように」
「な、ならやっぱり私が」
「ダメだ!おまえを危険な目に遭わせるわけにはいかない」
「ボクシング部の女子マネは命がけだからなー(外敵対策で)」
「大丈夫です!薙刀の扱いは慣れてますので」
「殺しちゃダメ!」
わいわいといつまでたってもまとまらない。
現マネージャー・2年生の田中が涙ぐみながら輪に入ってきた。
「もう・・・いいです、俺に続投させてください」
「しかし」
「お願いだから試合の準備をしてください・・・」
結局は現状維持。何も変わることはなかった。
――時々。真田の彼女が料理部の差し入れを持ってきてくれるようになった。