媚びる


媚びるなら彼氏の前だけで。これが私の持論だった。

「んー、じゃあ問1、そーだな、神崎」

物理の時間、竹ノ塚先生はあらかじめ指す生徒を決めていたように神崎愛の名前を挙げた。
私は斜め前の彼女にチラリと目をやる。そして思わず舌打ちしたくなった。

えー、どうしよう、わかんなあい。
そう言って隣の男子に助けを求めている姿を見ると平手打ちしたくなる。
確かに彼女は「ハイレベル」だ。まっすぐに伸びたサラサラの長い髪はいつも完璧、仕草も話し方も抜かりない。
そして自分がどう見られているかを必要以上に気にして、そのくせ天然を気取る。わざとらしくないのがあざとく見える。
明るくかわいいから、誰もが彼女に目を向ける。男に自然に媚びを売る、そういう女、私は一番嫌いだった。

指されてもじもじする、それも計算だろう。証拠に周りの男子生徒は彼女をうっとりと見つめている。
黙ったままの彼女に、先生はしょうがないなあと笑いながらため息をついて隣の男子を指した。
ほほえましい。そういう風景だ。だが吐き気がするほど不愉快だった。


「アホか」


ぼそっとつぶやくのは趣味じゃない。でも授業を妨害するほど大きな声は出せない。
つまりは適度なボリュームではっきりとそう言った。頬杖をついて、呆れたように目を細めて。
すると前の席のゆかりが驚いたように振り返った。ゆかりだけじゃない。神崎本人も私を振り向いた。そして目が合う。
私はその時の神崎の表情、見過ごさなかった。笑っちゃうほど醜い顔。文句あるの?とでも言いたげだ。
そうやって感情をはっきり出したほうが、かわいいと思うのに。

教室が一瞬だけ微妙な空気に包まれたと同時に、チャイムが鳴った。


「馨って空気読めるんだか読めないんだかわかんない」

休み時間になると同時に、ゆかりが椅子ごと体をこちらに向けた。
その顔は不快というより愉快そうだ。それを感じて、私も教科書をしまいながら口の端を上げる。
「ゆかりもああいうの嫌いでしょ」
「あんたほど敵は作らないわよ」

うまくやる。私にはそれができなかった。だから好きな人は好きだし嫌いな人は嫌い。
人間関係に苦労する性格かもしれない。けれど今の時点で、嫌いな人は数えるほどしかいない。

斜め前の神崎は席を立って、私の横を歩いて行った。わざとらしくない程度にぶつかられる。
周りの目を気にしたのか、対人用の笑顔だ。その接触は一瞬だった。

自分が人からどう見られるか、見られたいか。少なからず誰もが持つ感情だと思う。
けれどそれが過剰になって、「みんなから愛されたい」願望を持つ小賢しい女が嫌いだった。
媚びる。群れる。演じる。私が嫌いな行動3パターン。

「ねえゆかり」

次の授業の準備をしながら、顔を上げる。ゆかりは続きを待っている。
ゆかりはかわいい。こんなにかわいいつり目は見たことがない。
ハートのチョーカーにピンクのカーディガンと、自分の好きなものを好きなように着こなす、そんなゆかりが私は好き。

「媚を売るなら彼氏の前だけでって、おかしいかな」


馨ちゃんて何でもできて、かわいくて、やさしいし、もう完璧だよね。
小さいころからそう言われることが何よりも苦痛だった。

笑っちゃう。私はこんなにひねくれて、ゆがんでいるのに。
何でもできるのはいつも本気だから。
かわいいのはかわいくなりたいから。
やさしいのは、人に感謝されたいから。

真田先輩はそんな私を好きだと言ってくれた。
好きな人の前だけで媚びる私を、かわいいと言ってくれた。


彼は私にとってかけがえのない人になった。

2012/02/06
天才・漢・美しき悪魔の女主ちゃんも、こんな偏った性格だったらいいなと思います。