一人になった気がした日
思えば俺が美鶴に手を貸したのは、強くなるためだった。
「倒したい敵がいる。人間じゃない。ボクシングのルールを守ることもない」
中等部のある日の校舎で、初対面の美鶴は俺を口説き落とした。
最後のセリフが決定的だった。
「力を鍛えたいなら、今より大きなものを賭ければいい」
そう言って渡されたピストル――召喚器を初めて握りしめた感触を、今はもう思い出すことはできない。
力を鍛えたいなら、今より大きなものを賭ければいい。それは正論だった。
命を賭ければいい。
別に自殺願望があったわけじゃない。むしろ逆だ。生きるために強くなる。
美紀を失った時の俺はあまりにも無力だった。
美紀は俺を恨んでいないだろうと、幼さを言い訳にして逃げたいと思ったこともある。
自他ともに認める「最強」になったとき、果たして何を得るのか。
妹への贖罪を――ただ許しを請いたいだけじゃないのか。
たまにそうして悩むこともあった。
もうこれ以上、失うものなど何もない。
だからひたすら強さだけを求めることができた。
なのに、どうして出会ってしまったんだろう。
自分のことだけを考えるわけにはいかなくなった。
心配性で嫉妬深く、性格まで変わってしまった。
馨に出会わなければ、本気にならなければよかった。
人を愛する幸せを知らないまま、一人きりで一生を終えるべきだった。
それなのに、俺は馨を離せなくなった。俺にそんな資格はないと言い聞かせても気持ちは抑えられなかった。
失うわけにはいかない大切なものができてしまった。
失う怖さを人一倍知っている俺に、その重圧は辛かった。
それからより一層、強くならなければと思った。
自分のためじゃない、大切なものを守れる強さを求めるようになった。
目的が違うと質も違ってくる。今までの自分が小さく見えた。
それでも100%確実に守れる強さなんてものは存在しなかった。
だから怖い。突然失うのが。
馨が隣からいなくなっても、俺は何も変わらず生きていく。それは可能だ。
ただ
それは滅多に流すことのない涙が溢れるほど、悲しいことだ。
肩を揺すぶられる感触と、「明彦」と呼ぶ声に気づいて薄く瞳を開ける。
薄暗い部屋の天井と、視界の端に馨の心配そうな顔が映った。
古い古い、夢を見ていたらしい。
「・・・もう、なに泣いてるの・・・」
そう言った馨も涙ぐみながら、冷たい指先で俺の目じりをぬぐう。
夢を見ながら涙を流すなんて、本当は見られたくなかった。
珍しくぼんやりする頭を押さえながら、ゆっくりと起き上がる。
隣にいる馨の細い身体を静かに抱き寄せる。いつもと変わらない感触と匂いを確かめてから、少しずつ腕に力をこめた。
尽きることのない不安を話すか否か。考える前に口は開き、ぽつぽつと言葉を繋いだ。
本当はずっと、このまま抱いていたい。最後にそうつぶやくと、馨は俺の胸に頬を押し付けたまま小さく笑う。
「心配性ね」
子どもをあやすような優しさを含んだ声だった。
馨のその一言で、ずいぶん楽になった気がした。
次に泣くのは、何十年後かに一緒に死ぬ時だと、固く心に誓った。
2012/02/09
君と想い出・十題 「一人になった気がした日」…thanks! リライト