I'm in Love


今は羨ましがられるくらい健康だけど、小さいころは体調を崩しやすい子供だった。
高熱をしょっちゅう出したし肺炎にもなりかけた。夜中に具合が悪くなることは当然で、そのたびにお母さんは起き上がって、私の看病をしてくれた。
つらいときにそばにいてくれる、そんな両親の記憶はどうしても忘れられない。思い出すたびにさみしい思いをするとわかっていてもだ。

冬の初め、私は珍しく風邪をひいた。「大丈夫」だと言う私に、釘を刺したのは意外にも美鶴先輩だった。
「今日一日しっかり寝ていろ。君はリーダーなんだ、倒れられては困る」
いつも通り真顔でぴしゃりとそう言われて、氷枕と薬を渡された。美鶴先輩は私にとって、「お姉ちゃん」みたいな人だった。


半分開いたカーテンの向こうに広がる青空。平日の昼間にこうして横になっているのはなんだか不思議だ。
皆勤賞を狙っていたのに、その目標はここで絶たれた。
ああ、残念。今日は調理実習があるから、楽しみにしていたのに。
一緒に作るはずだったゆかりは今どうしてるだろう。私の分も作って持って帰ってきてくれるかなあ。
そんなことをぼんやりと考えていたら、熱はどんどん上がり気持ちが悪くなる一方だった。そしていつの間にか、眠りに落ちた。


目が覚めたとき、薬のおかげだろうか、熱は下がっていた。がんがんと鳴り響くような頭痛は相変わらずだったが、いくらかマシになった。
ふらつきながら起き上がると、もう窓の外は暗い。随分眠っていたようだ。同時にノックの音が聞こえた。

真田先輩だった。制服姿で、きっと帰ってきたばかりだろう。
私は頭もぼさぼさで、熱のせいでかいた汗まみれで、とても恋人に見せられる姿じゃなかった。
先輩はそれに構わず部屋に入ると、私を強引にベッドに戻し、替えのタオルや水を持ってきてくれた。

「・・・、あの、嬉しいんですけど・・・うつっちゃいますから」
それは本音だった。そばにいてくれるのは嬉しいけれど、そのせいで先輩まで風邪をひいたらどうしようもない。
だからと言って押し返すわけにもいかないから、あいまいに口を開いた。
先輩は手を止めて、一瞬だけ私の方を見ると、再び視線を手元に戻した。何事もなかったように。

「余計な心配はするな。こういうときくらい、自分のことだけ考えてろ」

その言葉にはっとさせられる。まるで普段は自分のことが目に入ってないみたいな言い方だ。
先輩は一回席を外して、すぐに戻ってきた。小さなトレーを持って。底の厚い皿からは湯気が立っている。
そういえば今日、なにも食べていない。食欲はないが、その匂いは鼻をくすぐった。

「シンジが作ったんだ」
「・・・荒垣先輩が」
「俺だってやろうと思えばこれくらいできるがな・・・美味い方がいいだろ」

横になったまま、視線を彼の方に向ける。皿の中は見えないが、たぶんお粥だろう。
「起きれるか?」
その言葉に頷いて、力の入らない腕で上体を支える。自分でも驚くほどふらついていた。
彼は当たり前のように私の背中に腕を差し入れてくれたけど、乾ききっていない寝汗がひどく恥ずかしかった。

ぼうっとする視界に先輩の姿を映す。皿の中を軽く混ぜて、大き目のスプーンで一口分を掬い取ると、息を吹きかけて冷ましてくれていた。
この人のこんな献身的な姿を見るのは初めてだった。きっと慣れないことばかりだろう。なんだか胸がいっぱいになる。最悪な体調不良でも、それだけは感じられた。

湯気の消えたスプーンは、彼の手によって私の口元に運ばれた。
「ほら」
そう言われたら、口を開けるしかない。自分で食べられますから。そんな照れ隠しをするほどの体力は残念ながらなかった。

「・・・おいしい」
ほぼ一日ぶりの食事。本当は舌の感覚がなくて味はわからなかったが、きっとおいしいに違いない。
「だろう。シンジの料理だからな」
そう言って笑う真田先輩の顔は、いつもよりも、幼く見えた。

・・・

それからいつの間にか、また眠ってしまっていたらしい。再び目が覚めて、枕元の携帯電話を見る。
何と夜10時を過ぎていた。驚くことに、隣にはまだ真田先輩がいた。床に座りベッドの端に突っ伏して、私のそばにいてくれた。

ゆっくり起き上がると、それを感じたのか先輩も顔を上げた。薄暗い部屋の中で、自然と目が合う。
「起きて大丈夫か?」
「・・・はい、だいぶ良くなりました」
「そうか」

先輩の寝起きの声は小さくかすれていた。
大きく伸びをする先輩を見て、いろんな感情が一気に湧いてくる。嬉しいし申し訳ない。何と言ったらいいのかわからなかった。

「もう、一人で大丈夫ですから・・・ちゃんと布団で寝てください」

そう言って浮かべた笑顔はひどくぎこちなかった。顔の筋肉がこわばる。一日中寝ていたからだろうか。
「そうだな、そうする」
その言葉に、安心したようなさみしいような。自分勝手な感情も、思うだけならタダだと言い聞かせる。
しかし彼は、思ってもみなかった行動に出る。首元の毛布に手をかけられたかと思うと、そのままベッドに入ってきたのだ。
戸惑う間もなく並んで横になる形になった。覆いかぶさられるわけでもなく抱きしめられるわけでもなく。
ただ隣で、子供を寝かしつける親のような視線を向けられた。大きな手は、汗で湿った私の頭に添えられる。

「一人じゃさみしいだろ」

泣きたくなるくらい、やさしい声だった。
久しぶりに感じる他人の体温に、心底安心してしがみつく。それはどんな薬よりも、私の体を慰めてくれた。
「今日は一緒に寝よう」
「・・・でも」
「うつるならそれでもいい」

私の反応を確認するように、そっと静かに抱き寄せられる。こうした細かい気遣いが嬉しくてたまらなかった。
長い腕に包まれながら、ふと昔のことを思い出した。つらいときにこうしてそばにいてくれた両親。
すべてを失った気がしていたけど、そんなことはなかった。今の私には、こうしてそばにいてくれる人がいる。
つらいときにそばにいて、隣で一緒に寝てくれる、そんな人が。

ふと、涙があふれてくる。とめどなくあふれてくる。
彼の胸に必死に目を押し付けてみても、震える肩を隠すことはできなかった。
それすらもこらえられなくなって、声を上げて、嗚咽を漏らして泣いた。
咳き込むと、大きな手は何も言わずに背中をさすってくれた。

そうしていつの間にか迎えた朝。頭の重さと体のだるさは抜けきっていた。
顔がぱりぱりする。頬には涙の痕がくっきり残って、目は充血していた。
何があんなに悲しかったのかは、わからない。いや――嬉しかったのかもしれない。きっとそうだ。
どうしようもなく嬉しくて、泣きわめいた。

文句ひとつ言わずにそれを受け止めてくれた彼は、風邪をもらうことなく気持ちよさそうに、私の隣で眠っていた。

2012/02/23