笑顔に会いたい
馨が俺の部屋に来ることがあっても、その逆はあまりなかった。
なぜだろう。考えたこともなかったが、その日はたまたま馨の部屋に行くことになった。
初めて、ではない。けれど初めてに近い。そっと招き入れられて、鍵を閉める。
「ごめんなさい、散らかってて」と言い訳のように馨は頬を染めたが、そんな言葉は耳に入ってこない。彼女の部屋に入るのは緊張した。
ものが少なめで、カーテンやベッドなど、明るくやわらかいオレンジ色で統一されていた。
窓際に吊るしてある制服の上着。机の上の教科書。ひとつひとつ気付くたびに、うれしくなった。
そして見つけた、枕元のうさぎのぬいぐるみ。俺が馨に贈ったものだ。俺の視線に気づいたようで、馨は慌てて俺の前に立ちはだかる。
「あっ、あれはその、すごくかわいかったから目立つところに」
「そうか」
「決して一緒に寝てるわけじゃ」
「一緒に寝てるのか」
「あ」
「・・・」
「・・・」
ぬいぐるみを手に取ろうと馨を追い越すと、再び道をふさがれる。
「だだだめです見ちゃ!」
「は?」
「ちょっと汚れてるのは決してよだれを垂らしたわけじゃ」
「ぬいぐるみと一緒に爆睡してたのか」
「・・・」
「・・・」
穴があったら入りたい。馨はそう言わんばかりにその場にペタンと座り込んだ。
そうして再び部屋を見回すと、棚の上の写真たてを見つけた。馨が消沈している間に、それを手に取る。
「あっ、」
「・・・これは」
俺との写真だった。
馨はそれを見て慌てて立ち上がると、再び言い訳するように俺の腕にしがみついてきた。
「そそそれは、あの、携帯の写メでとったやつをちょっとだけ大きくしてプリントしてきれいに飾ってみただけで」
そういえば。そういえば、1回だけある。どうしてもというからせがまれて撮った、昼休み、誰もいない天気のいい屋上で。
「・・・」
「先輩来るのわかってたからちゃんと片付けておけばよかったんですけど、
ごめんなさい勝手に飾って、あとぬいぐるみもきれいに使ってなくてごめんなさい」
写真の中の馨は、いつも通りこんなにかわいい笑顔なのに、くっついた俺はどうしようもない顔をしている。
気まずそうな、恥ずかしそうな。こんなことならちゃんと顔をつくればよかった。
馨の中に、俺がいることが嬉しかった。
ぬいぐるみも写真も、ちゃんと馨の生活の中に溶け込んでいることが、どうしようもないくらいに嬉しい。
「・・・、先輩」
片手で隠すように顔を覆ってそっぽを向くと、馨は何かに気付いたように俺の顔を見つめた。
「今見るな」
「なんで?見たい」
精いっぱいの声を出すと、馨は期待を込めたような声を出す。追い打ちをかけるな。
「・・・だめだ、こんな顔見せられるか」
「こんなって、どんな?」
「うるさい」
「ねえこっち向いて」
馨はこうやって、いつも俺を煽る。きっとわざとだろう。
細い腕をぱっと取って、後ろのベッドに押し倒した。
ぼすん、という音は俺のベッドの音とは違った。シーツの色も匂いも、いつもとは違う。
手首をしっかり絡め取って、細い体を押さえつける。
もうこれで、真っ赤な顔は隠せなくなった。
「・・・、先輩、顔赤い」
「誰のせいだ」
「私?」
「ああ、・・・おまえのせいだ、全部」
いつだって、冷静でなんていられない。俺は意外と顔に出るタイプだったのかもしれない。
顔はすぐに赤くなるし汗は出るし、唇は震えて眉をしかめる。
きっと馨は、そういう俺の顔を見るのが好きなんだろう。証拠に馨は押し倒されたまま、満足したように目を細めていた。
悔しい。おまえだって人のことを言えない、相当悪趣味じゃないか。
「でも私、」
その声も唇も赤い瞳も、どうしても気になって仕方がない。目を離せない。いくら自分が変わっていっても。
「先輩のそういう顔も、だいすきですよ」
・・・
馨といると時間が過ぎるのが早い。
帰り際、ドアの前で馨を抱きしめながら口を開いた。お互い別れるときはいつもこうしている。
毎日会えるとわかっていても、余計未練がましくなることがわかっていても、だ。
「・・・今度」
「はい」
「ちゃんと撮ろう」
「え?」
「写真・・・」
「・・・!」
「俺も部屋に飾りたい」
馨が飾っていた写真は、携帯の画質を無理やり引き伸ばしたのが丸わかりだった。
――デジカメを買うしかない。できるだけ高画質最新式。そして来るその日まで、鏡に向かって自然な笑顔の練習だ。
2012/03/04
いつものふたり。だいすきです。