たりない


今日も、そうだった。

触れたと思った唇はすぐに離れた。いわゆる普通の、普通のキスだ。
これが長いのか短いのかわからないけど、本当はもう少しだけ長くしていたかった。
最近そう思うことが多くなった。

顔はすぐ離れるくせに、名残惜しそうに私の唇を指でなぞって、彼は目を細める。ずるい。
その指を咥えて舐めてみたら、どんな反応をするんだろうか。見てみたいけど私が無理だ。

「・・・、どうした?」
「え」
「なにか言いたそうだ」

こういう時の――こういう空気の時の先輩の顔は、ちゃんと直視できない。
だって恥ずかしすぎる。そんな一生懸命な目で見られたら、恥ずかしくてたまらなくなる。

「・・・、あの、ね」
「ああ」
「言っても怒らない?」
「怒らない」

「キス、短い・・・」
「えっ?」
「もうちょっと長くしたい」

先輩の腕の中に収まったまま、肩をこわばらせてそう言った。
「・・・」
「・・・」
沈黙。痛い沈黙。やだ。最悪。
先輩は「えっ?」と言ったまま表情を変えない。代わりに私の顔が真っ赤に染まる。

「うわあああんやっぱ言わなきゃよかった!帰る!帰るー!」

力任せに暴れても、彼は私を離してくれなかった。
むしろより強く抱きしめられる。するとさっきよりも、ぐっと顔は近づいた。
恥ずかしさで涙目になった私の赤い瞳を、先輩は強く見つめた。

「肺活量と、息継ぎなら・・・自信がある」
「へ・・・?」
「だから、いくらでもできる」
「・・・・」
「ただ、その・・・む、難しくないか?長いキスって・・・」

悔しいくらい整ったきれいな顔は、私に負けないくらい赤く染まって本気で焦っている。
だめ、もうだめ、心臓止まる。好きすぎてなんか苦しい。恋の病ってホントにあるのね・・・。

彼の胸をぎゅっとつかんで、軽く背伸びをする。鼻と鼻がぶつかるまで近づいて、止めた。
「やってみないと、わかんないですよ」
「・・・そう、だな」
「あと肺活量って、たぶんいらないです」
「そうか?」
「息継ぎだけできれば」
「それも・・・試してみなきゃわからない」

まるで言い訳のような言葉を交わして、自然に触れ合った唇。
今まで不満だったわけじゃない。でもやっぱり、もっと欲しかった。

「ん、」

自然に漏れる声と共に角度を変えると、だんだん唇が濡れてくるのがわかる。
その感触が気持ちよくて、思わず背筋が震えた。
一瞬戸惑うと、それを察知したようにお互いの舌先が触れた。初めてじゃない。けれど今この瞬間の方が、はるかに恥ずかしかった。
「は、ぁ・・・っ」
苦しい。自分から動いて隙間を作って、浅い呼吸をする。

「ッん、ん・・・!」
たどたどしい息継ぎは、すぐに奪われてより深くついばまれる。同時に口内に侵入されて、舌が絡まる。
あれ、おかしい。私ばっかり苦しくて、先輩の呼吸は乱れない。それどころか、やさしかったキスはさっきよりも激しくなる。

次第に立っているのがつらくなって、上から下に向かって体の力がすとんと抜け落ちていくのがわかった。
それを支えてくれた先輩の腕。それに安心して、そのまま脚をついて、ぺたんと座り込む。ベッドはもう少し先だった。
カーペットの敷いてある床は固くごわごわしている。足の次は腰に力が入らない。座っているのもつらい。唇を重ねたまま、促すように後ろの床に倒れこんだ。
平坦な床に頭をつけるとやっぱり固かった。もう後がない。だから存分にキスを受け止められると思った。

足は自然に崩れて、お互いの体がぴったり上と下に重なる。胸で息をすると、くっついているのがよくわかった。
どうしてこうなったんだろう。最初は立っていたのに、いつの間にこんな、押し倒される形になったんだろう。
私を支えていた彼の腕は、手探りで私の手首を取ると床につなぎとめた。手も身体も、顔も動かせない。
こうなるのは初めてじゃないのに。あの時よりも緊張する。キスを意識しすぎているからかもしれない。

ふと、ゆっくりと唇が離れた。ほんの少し。呼吸を落ち着かせるように静かに目を開けると、彼も私を見ていた。さっきとは景色が違う。
口元に感じる彼の吐息は熱くて速い。それを感じてドキッとしないわけなんてない。
「せ、んぱ・・・」
必死に出した声も、まだ舌足らずで甘えたような声になった。
すると彼は呼吸を整えないまま、反則的な声色でこう言った。

「そんな声出すな・・・我慢できなくなる」

さっきから鼓動は高鳴りっぱなし、どんどん追い打ちをかけられる。破裂しそう。
しなくていい。我慢なんてそんなのしなくていいから、もっと触ってほしい。

「・・・どうだった?」
「えっ」
「これで、足りるか?」

最初の趣旨はキスの長さだった。なのにどんどん飛躍して、いつの間にかこんな体勢。
時計くらい見ておけばよかった。体感時間は5分、10分、・・・わからない。1分もたっていないかもしれない。
「わからない」。素直にそう言うと、先輩は困ったように笑う。そして口の端を上げたまま、やさしくこう言った。

「さっきのはナシだ。・・・もっと聞きたい、おまえの声」

そして再び鼻と鼻がぶつかる。ぶつかったんじゃなくて、たぶんわざと。
私も小さく微笑んで、もう一度目を閉じた。

2012/03/06
北海道から沖縄まで2分で行ってこれそうな恥ずかしさだ。しかし二人がこんな調子だから仕方ない。