春夏秋冬



馨が俺の前を歩くときは、決まってなにかを見つけた時だ。

「あーっ、みてみて!ほら!」

振り向きざまの、急かすようなその笑顔につられて小さく微笑む。
まるで子供に戻ったように、馨は瞳をきらきらさせていた。
その視線の先は、意外なものだった。


「ほら、桜のつぼみ!」


誰の家かは知らないが、通りがかったブロック塀から飛び出した桜の木。
枝先には、ぷくりと丸みを帯びた蕾がいくつも連なっていた。

「すごーい、もう春なんだね!」

女性特有の感嘆詞だと、俺は勝手に解釈している。
すごーい、かわいー、やばーい。
どれも大差はなく、男は取り敢えず同意していればいい。

「ああ、そうだな」

適当にそう返事をして、足を進めることを促した。しかし、馨はまだ立ち止まって蕾を眺めている。
まあ、急いでいるわけではないし。つられるように、馨の隣へ並んだ。


時間が止まっているようだった。
歩いている道路は、休日の朝という時間帯のせいか車の通りは少なく静かだ。
聞こえるのは、そばにいる馨の楽しそうな息遣いと、小鳥の鳴き声だけ。


ああ、――平和だ。
なにをしているわけでもないのに、満ち足りた気持ちになった。

毎日が目まぐるしくすぎていたあの頃も楽しかった。
それこそ、こんな風に花のつぼみ一つで幸せに浸っている暇なんてないくらい、充実していた。

「・・・明彦、なに笑ってるの?」

馨が不思議そうに俺の顔を覗き込む。
今日も変わらず、きれいでかわいい妻だった。

「いや、べつに」
「なによ、気になる」
「なんでもないよ」
「ふうん?」


バイトして、部活して、恋愛して、ついでに勉強して、学生時代が一番楽しかったなァ。
そんなセリフを同僚から聞いたことがある。
そんなことはない。
俺は今が、一番幸せだ。

2017/03/11
イメージソング→ヒルクライム「春夏秋冬」