どうしようもねえ。
自分をハメた女のところに通う順平を、バカにできなくなった。
――オレもただのバカだった。ただ、笑顔が見たくなるなんて。





月の思い出







あいつらとは少し離れたラウンジの奥に一人でいると、玄関のドアが開いた。
・・・槇村が帰ってきた。

「あ、おかえり馨ー。部活?」
「うん、そのあとバイトもいってきたよ」
「うひゃー、なにそのタイトスケジュール。そんなんで、よくタルタロス走り回れるなあ」
「んー、よく寝てるからかな?」
「かな?って・・・」

「戻って」きてわかったことだが、槇村は誰よりも帰りが遅い。
9時、10時は当たり前らしい。
・・・。
一通り順平たちと会話すると、槇村はそのままオレの方へ来た。

「先輩、ただいま帰りました」
「・・・おう」

槇村はそう言ってにっこり笑った。
コイツは意味もなく無駄にキラキラしてやがる・・・。

「・・・?なんだよ」
いつもなら挨拶をしたらそのまま部屋に上がるくせに、今日はオレのそばから離れない。
「先輩。実は外に出たいんでしょ」
「・・・はあ?」
「一緒にお散歩、行きます?」

「・・・しょーがねえなあ、ついてってやるよ」
「やった!あ、美鶴せんぱーい、ちょっと出かけてきますね、荒垣先輩と」
「なんだ、せわしないな。帰ってきたばかりじゃないか」
「平気だ、すぐ戻る。――行くぞ」

寮の外。
暗い道を二人で歩いた。
「おまえ・・・いつも、一人で帰ってんのか?」
「え?はい」
「ったく・・・危なっかしいやつだ。いつも帰ってくんの遅えんだから、気をつけろよ」
「心配、してくれてるんですか?」
「・・・べつに」
ふと目があった。・・・すぐにそらした。コイツのキラキラ視線は心臓に悪い。

「やー、もう寒くなりましたねー」
「・・・」
「あ、冬服用意しなきゃ」

「なあ」
「はい?」
「おまえ・・・もっと、他のことした方がいいんじゃねえか?こんな風に、オレといないで」
学校、部活、バイトと、多分今日一日の体力を使い果たしたであろう槇村を、案じているつもりだった。
コイツは無理がうまそうだから。

「いいんです」
「あ?」
「先輩といるの、楽しいですから」
「・・・」

その笑顔を、初めて見たときからどれくらい経ったか。正直、つい最近だ。
なのに、何度も何度も――

「ついてこい」
「えっ」
「せっかく外に出たんだ。コンビニでアイスでも買ってやるよ」

「アイス!?やったー!」
「・・・ガキかおめーは」
「先輩、ハーゲンダッツがいいです!バニラとチョコ1個ずつ!」
「調子のんな」

・・・

できるだけ静かに、玄関のドアを開いた。出た時間が遅かったせいか、もう11時だ。
「あれ、誰もいない・・・」
ラウンジには誰もいなかった。
「タルタロスは昨日行っといたし・・・まあいっか」
「って、おまえ、今日も行く気だったのかよ」
「はい、満月近いですし」

「ったく・・・いつかぶっ倒れんぞ」
「大丈夫です!たまにこうやって先輩がアイス買ってくれれば」

槇村はソファに座って、コンビニ袋からアイスとスプーンをいそいそと取り出した。
「いただきまーす!」
・・・たった300円くらいのアイスでよくあんなに嬉しそうにできるもんだ。
合い向かいに座って、それを眺めることにした。

「もう、眠いか?」
「え?全然大丈夫ですよ」
「なら、もう少し・・・」
「・・・?」

「そうだな、おまえの話が聞きたい」
「私の?」
「ああ、なんでもいい」

「んー・・・あっ、じゃあ、楽しい話でも!」
「ああ。それがいい」

正直、話の内容はあんまり聞いてなかった。
手振り身振りで一生懸命話すコイツの顔を――
その笑顔を、少しでもこの目で見ておきたかった。

「毎日、楽しいみてえだな」

区切りのついたところで、小さくそうつぶやく。
綺麗な緋色の瞳はオレをまっすぐに見ている。

「おまえはそうやって笑ってんのが似合う」

「そうですか?」
「ああ。・・・だから、泣くなよ」
「・・・?」

「・・・なあ」
「はい」
「名前で・・・呼んでもいいか?」

え?と聞き返されてもおかしくない言葉だった。
しかし槇村は何も言わずに、少し顔を赤くして頷いた。

「・・・馨」
「・・・は、はい」

「なんだよ、その微妙な顔はよ」
「だ、だって、・・・ちょっと照れくさいです」
「いいだろ。誰もいねえし」

「・・・!ず、ずるいです!よし、じゃあ私も」
「あ?」
「おい、シンジ!」

「・・・」
「あ、あれ?」
「アキのモノマネか?」


何も置いてかないようにしないといけなかった。
迷いも、未練も――。

「わり、ちょっとキッチン行ってくる」
足早に立ち上がった。
ダメだ。
ごまかしきれない。
これ以上、どうすればいい?どうにもならないことは、わかっているのに。
冷たい水で顔を洗って、気を取り直してラウンジに戻った。 馨は――ソファにもたれかかって、眠っていた。

「ったく・・・疲れてるくせに、無理してんじゃねえよ・・・バカが」
このままにしておくわけにもいかない。かと言って、起こすのもかわいそうだ。
こんなに気持ちよさそうに眠ってる。コイツどこでも寝れるみたいだ。

「・・・しょ、しょうがねえ」

やむを得なかった。
だってラウンジにはもう誰もいない。わざわざ美鶴や岳羽を呼ぶほどのことでもない。
出来るだけそっと、馨に触れた。柄にもない。オレの手は震えていた。
必然的に、あの恥ずかしい抱きかかえ方をするハメになった。女は好きだろ、お姫様抱っこ。

(こんなところ誰かに見られたら・・・やべえな)

別にやましいことをしているわけではない。けれど後ろめたい気持ちだった。
抱き上げた馨の体は、思ったよりもずっと軽かった。
ただ、少しだけ感じられる重みはなぜか嬉しかった。
馨に振動を与えないように、しかし素早く階段を上る。・・・こんなところで起きるなよ。

確か、確か。一番奥だった気がする。コイツの部屋。
記憶はあいまいだ。何せオレは最近ここに戻ってきたんだ。
女子の部屋割りまで把握してるわけがない。

・・・。
まずい。しょうがない、起こすか。

「あ・・・荒垣先輩?」

廊下で立ち往生していると、後ろから声がした。
山岸・・・!!

「え・・・えと、馨ちゃん・・・・?」
「違う。断じて違う。誤解すんじゃねえ」
「えっ、えっ?」
小声で、しかし凄みを利かせてそう言った。
「わかんだろ」
「わ、わかりません」
「・・・コイツの部屋、どこだ」
「そこです・・・」

目の前だった。やっぱり一番奥だったか。ドアノブに手をかけた。・・・開かない。
当たり前だ。鍵は馨が持ってる。

「・・・」
「あ、たぶん、ポケットですよ」
山岸は馨の制服のポケットにそっと手を入れた。
「ほら、ありました。馨ちゃん、前ここに鍵入れてたの見たことあるんです」
「・・・わりぃな。ついでに開けてくんねーか」
「あ、はい」

馨を抱きかかえる両手はふさがっている。山岸が開錠して、ドアを開けた。
しかし、ためらった。進めない。

「・・・」
「どうしたんですか?」
「おい、オレが入っていいのか」
「・・・じゃ、じゃあなんでここまで来たんです?」
「・・・」
「すぐ出れば、大丈夫ですよ。起こすの、かわいそうだし」

山岸が部屋の明かりをつけた。
――馨の部屋。ものは少なかったが、ぬいぐるみや化粧品などが置いてある、女らしい部屋だった。
出来るだけ見ないようにした。やっぱり後ろめたい。

「おい山岸、そこでオレを見張っていてくれ」
「え・・・えぇ?」
「いいから!」

山岸に念を押して、そっと部屋へ入る。馨を静かにベッドへ横たえて、布団をかけた。
腕から温かみがなくなる。やわらかい重みもなくなった。甘い香りも、離れていった。
だが、これでいいんだ。これ以上、馨を感じる資格なんてオレにはない。

「・・・よし」

これで一安心だ。起きる気配もない。風邪をひく心配も、変な体勢で寝る心配もなくなった。
さすがに着替えまではできない。そこまで面倒みられるか。というかオレが無理だ。
笑った顔も、寝顔も・・・かわいいな。
ほんとに、厄介なものを持ってきやがった。――未練なんて。
自然と顔が緩む。

「・・・おやすみ、馨」

馨の頭を撫でて、小さく呟いた。
この名前を声に出すのは、これで最後にしよう。もう十分だ。

馨に背を向けて、部屋を出ようとした。
――忘れていた。山岸の存在を。
山岸は開けっ放しのドアの前で直立していた。その表情は固い。

「ま、まだいたのかよ」
「せ、先輩がいろって言ったんです!」
「・・・わりぃ」

あのまま本当に二人きりになってしまったら――
と考えたくなかったから、山岸に頼んだ。オレを見張れ、と。
明かりを消して、静かにドアを閉めた。妙な空気が流れる、2人きりの3階廊下・・・。

「・・・秘密だぞ」
「・・・」
「頼む」
「・・・わかりました。馨ちゃんの寝顔見る限り、嬉しそうでしたから。信じてあげます」
「おまえでよかった」
「え?」
「美鶴とか岳羽だったら・・・たぶん問答無用で処刑だったな」


残された時間は少ない。けれど今日は幸せだった。




月コミュ後半のまとめ。ごちゃまぜですが。
どうしても、どうやっても切なくなっちゃう荒垣先輩・・・。
2011/08/24

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