week!!
テスト前の1週間というのは、馨に言わせれば退屈だった。
試験勉強はこまめにしている。だから大幅に勉強時間を増やす必要はなかった。
だから部活も生徒会もないこの1週間は、どうしても持て余してしまう。
学年首位にこだわっているつもりはないけれど、今回も授業への参加度を加味すると、まあいけるだろう。
今日はどうしよう。
舞子に会いに行こうかな?あ、今日火曜日か・・・。ゆかりも順平も図書室だし。
一人で校舎を出て、帰宅することにした。ポロニアンモールで買い物でもしようかな?あー、でも欲しいモノないしなあ・・・。
こういう時間は退屈だった。おのずと歩くスピードも遅くなる。つまりはぼーっとしていた。
校門を出てすぐに、真田とばったり会った。
お互い目を合わせて、なんとなく気恥ずかしくなる。むずがゆい、そんな感じ。つい最近、「恋人同士」になったから。
「あ、えと、先輩もう帰るんですか?」
「そういうおまえこそ、めずらしいな一人なんて」
そのまま流れで隣を歩いた。
ごく自然に。
「そうだ、暇ならちょっとつきあってくれないか」
「はい!どこですか?」
十中八九、そのままランニングコースか海牛、どっちか。どっちも好きだから、むしろ嬉しい。真田の返事を待っていたその時だった。
後ろから、騒がしい女子の声が・・・。
「真田せんぱーい」
「もうかえっちゃうんですか〜?」
ああ、いつものだ。
一人でいても誰といても、たちまちこうして囲まれる。
たいてい3,4人だが、たまに10人以上に取り囲まれることもある。
おかげで行動範囲が大幅に狭くなる。邪魔で仕方がない。
今日もそのパターンだった。彼女たちは瞳を輝かせてこちらに走ってくる。
今日は多いな・・・8人か。
「来たな」
真田は大きくため息をついて、もう一度息を吸った。
「馨、行くぞ」
「え・・・ちょっ」
追っかけ女子たちが追いつく前に、真田は馨の手を取って走り始めた。
突然のことに、馨は足をよろつかせ、それでもついて行った。
たちまち2人の姿は見えなくなる。
「・・・逃げられちゃった」
「ていうか、――またアイツ?」
「槇村・・・転校生のくせに」
・・・
「ここまでくれば大丈夫だろ」
かなり走ったと思う。もう学校は見えない。二人とも息は上がっていたが、正直まだ余裕はあった。ロードワークの成果だろうか。
「すまないな、いきなり」
「平気です。むしろ、いつもこんな感じじゃないですか」
制服を着ていても、私服でも、よく一緒に走ることが多い。今日もその一環に過ぎない。
「せっかくおまえに会えたのに、邪魔されたくなくてな」
とっさに掴まれた手は、まだ離れない。
できればもう少し、このままでいたい。
・・・
テスト終了日。
教室は解放感に満ち溢れている。特に、順平。
「だぁーー!おわったー!よっしゃー!」
「・・・うっさい」
「なんだよゆかりッチ!もっとこうさ、喜びを体で表したらどうよ!」
「・・・」
「ったくもー。じゃ、馨ッチ!はい一緒に、ばんざーい!」
「ばんざい!」
「馨まで・・・。元気ねーあんたら」
変わらない平和な光景だった。
しかし、突然の来訪者によってそれは崩れる。
「槇村、いる?」
教室の入り口で、馨を名指しにしたのは知らない顔の女子生徒だった。
一人ではない。後ろに控えるように数人いる。
彼女たちがまとう空気は穏やかではない。
それを察知したように、教室の中は静かになった。
「私ですけど」
馨は小さく返事をして席を立った。
「ね、ねえ順平」
「・・・ああ」
ゆかりと順平は共通の懸念を抱いていた。
以前起きた、馨の拉致事件。それは真田ファンクラブの過激派によるものだった。
今回の呼び出しも、あの雰囲気からして・・・。
「ちょ、馨!」
何の迷いもなく進む馨を、ゆかりが呼び止める。
「やばいって。やめときなよ」
「またあん時みたいな・・・」
「大丈夫。ありがと」
一瞬振り向いて、いつもの笑顔でそう一言。馨は教室を出て、女生徒たちとどこかへ行ってしまった。
「だ、大丈夫って・・・。アイツ、わかってんのかよ?」
「知ってて行ったんでしょ・・・?ねえ、私たちも」
教室のドアが再び開いた。今日は来訪者が多い。
――真田だった。
「・・・なに?このタイミング」
都合いいっていうか。
ゆかりは小さくため息をつく。
入口で教室内を一通り見まわした真田は、順平たちに目で訴える。「馨は?」と。
「毎回なんなのよこの展開・・・って、ちょっと順平?!」
順平は突然立ちあがって、真田のもとへ勢いよく駆け出した。椅子は音を立てて倒れる。
順平は迷いなく真田の胸ぐらをつかんだ。
傍から見たら、ボクシングのチャンピオンに向かってするものとしては最大級の自殺行為。
それを証明するかのように、勢いよく掴み掛られても真田は体勢を崩さなかった。
しかし、順平の勢いはそんなことを問題としていなかった。
「――あんたが!あんたがしっかりしてなくてどーすんですか!」
「・・・な」
「彼氏だったらちゃんと気遣ってやってくださいよ!馨がどんな気持ちでいると思ってんすか!?」
ゆかりも――教室のクラスメイトも。その場を動けなかった。
順平はすぐに手を引いて、真田と話し始めた。距離があるゆかりには聞こえない。
「たぶんまだ遠くにいってないっす」
「順平――すまん」
真田は来た道を走って行った。ゆかりが控えめに順平の背中に声をかける。普段の順平はあんなこと、絶対にしないから。
「・・・どうしたの」
「あーあ、オレっちってば、どこまでもお人よし」
・・・
なんでこうなるんだろ?
ほんとに私、シャドウといい女子といい、敵多すぎ。
こういった予想外の出来事であればあるほど、馨は冷静になる。
しかしエネルギーが思考に向かう分、行動力がともなわなくなる。
それって、リーダーとしてやっぱダメだよなあ。直していかなきゃ。
なぜか空き教室に連れてこられた時、そんなことを考えていた。
埃っぽく日の当たらない1階の空き教室。
背中を乱暴に押されて中に入ると、よくもまあと思うほど、こわーい顔をした女子がたくさん。
ご丁寧に、席に着ききれない子たちが廊下にはみ出してる。
笑っちゃうよこの光景、他人事だったら。
ああ、ダメだ、悪い癖。どうにか脱出したほうがいいかな?
どん、と押されて近くの椅子に座らされた。衝撃で椅子の足ががたついた。
馨を連れ出した数人が、教壇に上がって、隣に座る馨をにらんだ。どうやらこいつらがこのわけわかんない集団のまとめ役らしい。
「ここに来た意味、わかるよね」
「・・・」
「真田君の彼女、なんだって?」
そうです、って肯定しようとして口を開いた。
そうしたら、初めから答えさせないつもりだとしか言いようがない罵倒の嵐。
「そんなわけないじゃん。いったいどんな弱み握ったわけ?」
「よくあたしらを差し置いてそんな真似できるよね」
席の方からも、野次が飛んできた。ファンクラブも、ここまで来ると、怖いなあ。
私自身、は、いいとして、真田先輩が気の毒になってきた。
あ、もしかして、私が身を引けばいいってこと?
そうすれば、先輩に迷惑かからないかな?
てな感じで、こういう時にマイナス思考なのも、悪い癖。
一回考え込んじゃうと、そこからもう悪循環スパイラル。
普段ポジティブすぎる反動だと思われます、私。
そばにみんなが――ゆかりとか、順平とか、美鶴先輩とか・・・いてくれたら、
もっと強気になれたかな・・・。
なんでこんなに弱いんだろう。一人じゃなにもできないなんて、最低かも。
「誓ってよ」
至近距離で大声を出されて、はっと我に返った。
「もう真田君に近づかないって、二度と話さないって誓って。そうすれば帰してあげる」
誓わなかったら?ああ、きっとそれを口にしたが最後、総攻撃だろうな。
どうしたらいいんだろう。
何が最善なんだろう?
私らしくない。決断に迷うなんて。
好きになっちゃ、いけなかったの?
その時ドアが大きな音を立てて、いや、壊れそうな勢いで開いたのがわかった。
その場の女子たちは突然のことに、小さく悲鳴を上げて体をびくつかせた。
馨にだけは、その光景がスローモーションに見えた。
いたのは真田だった。
教室の状況を一瞬で判断し、いつもの仏頂面に輪をかけて不愉快そうな顔をしている。
その細められた瞳は馨を見つけると、一直線に歩き出した。
そして――
馨の目の前に、一瞬で影が差した。
浅く腰掛けている馨の前で立ち止まった真田は、すかさず左手の手袋を脱ぎ捨てて、
その長い指で馨の顎を強引に引き寄せた。
そしてそのまま、唇を重ねられた。
それはたぶん刹那的な瞬間だった。証拠に、気づいた時にはもう真田は前を向いていた。
彼女たちを、見ていた。
もちろん彼女たちの時間は、止まったまま。一番ありえない光景を見せつけられたのだから。
「これでわかったろ」
教室中に真田の声が響き渡る。廊下から様子をうかがっていた女子たちにもそれは聞こえたようだ。
「おまえら全員勘違いしているようだが、俺が勝手に馨を好きなんだ。だからこうして彼女に迷惑をかけるな」
口調は淡々としていた。怒りも焦りもない。
真田は教壇に立っていた女子に目をやった。
彼女は一気に体をこわばらせる。
「約束してくれ」
真田自身が知ってか知らずか、
ファンクラブのリーダーである彼女に向けられて、力強く言ったその一言。
これ以上ダメージの大きい言葉はない。
「・・・はい」
彼女にはこう言う以外選択肢などなかった。与えられなかった。
「・・・よし」
その言葉を確認すると、真田はすぐに馨の手を引いて教室を出た。
まるで、その場にいたことを消去しに行くかのように速やかに。
・・・
「すまなかった」
教室を出た後の真田の最初の言葉はそれだった。人気のない廊下でパッと手を離されて、振り向かれて、頭を下げられた。
あれ、もしかして珍しい?
馨の思考は忙しかった。
こうして真田が非を認めて素直に「謝罪」するなんて、自分の知る限り一回も見たことがない。
それは、クールな外見とは180度異なる彼の「内面」。荒垣曰く、ガキでバカでまっすぐ。
「順平に、言われてな・・・。彼氏失格だと」
その顔は辛そうだった。拳を握りしめる音が聞こえる。
「おまえを守りたいのに、うまくいかなかった」
「私なら、大丈夫ですよ」
そんな顔を、させたくなかった。今できる精いっぱいの笑顔でそう言った。
おそらく少しひきつっている。動揺がにじみ出る。
「うまくいえないんですけど、大丈夫です」
「・・・」
「なんていうか、アレです。少しくらいの負荷をかけないと、人間成長できませんから。
だから今、私少しレベルアップした気がします」
「・・・そうか」
「先輩も、ですよ。ちょっと大人になれたんじゃないですか」
本当にそう思ったから。
あんなところでキスをされて、あんなことを言い放って。好きになってよかったんだ。そう思えた。
真田は観念したように笑って、小さく息をついた。
「リーダーのおまえが言うんだ、間違いない」
・・・
それから数日の間、学校は騒がしかった。
「この前の放課後、空き教室から大勢の女のすすり泣く声が聞こえた。
それは真田ファンクラブの敗北の涙だった。”あの”真田にマジな彼女ができた」――と。
あ、それ私も見た。えー、マジで?修羅場?
そんな会話があちこちから聞こえる。
ファンクラブの名物といってもいい「抜け駆け女公開処刑」を事実上撤廃に追いやった、
当の本人はというと・・・。
「ゆかり〜!今日のお弁当、見てみてー!荒垣先輩のお手製なの!」
昼休み。教室でゆかり、順平とともにランチタイム。いつもと変わらず、だった。
「・・・よかった、元気そう」
「え?」
「ふつーさ、あんな過激なことされたら、ショックで寝込むかなにかするよー」
「寝込んでる間にすることなんか、たくさんあるでしょ?」
当然のようなセリフ。
軽いようで、なんだか重かった。
「それにしてもさー、なに?このギャラリー」
順平は購買部で買ったやきそばパンのラップをはがしながら、ちらりと廊下側に目をやった。
いろんな意味で「有名人」になった馨は、噂の格好の的だった。
「皆好きだよな、噂話。低俗っつーか」
「人の噂も75日っていうじゃない」
「2か月ちょいも?つらくね?」
「いいんだ。むしろもう堂々と手つないで歩けるじゃない。正直言うとさ、”ふつう”に付き合いたかったんだ。・・・そだ、順平」
「ん?」
「ありがと」
「おう。いーってことよ」
お互い聞きあわなかった。わかっていたから。
順平が真田の背中を押してくれたこと。
それは馨にとっても大切なことだった。
「ほんと、順平いてくれてよかった」
「なーんだよ、照れるっつーの!」
小さいことでも、大きいことでも、二人で乗り越えていけることって、たぶんまだまだたくさんある。