傷
馨がタルタロスで怪我をした。
満月も近いある夜の、探索中のことだ。
その時の戦闘パーティは、馨、岳羽、アイギス、コロマルだった。
その他はいつも通りにエントランスで待機。
山岸が自らのペルソナの中で小さく悲鳴を上げたのと、馨たちが帰還してきたのはほぼ同時だった。
戦いを終えた4人の様子がおかしいことは明白だった。
バラバラの場所に散らばっていた待機メンバーが馨たちに駆け寄る。
馨はアイギスに支えられて立っていた。その顔は馨らしくなく、深くうつむいている。
「槇村!・・・平気か?」
美鶴が真っ先に馨を介抱した。
馨は力なくぶら下がる右腕を、左手で強く抑えていた。
制服の夏服、白いブラウスには少量だが血が飛び散っている。
「あ、美鶴先輩・・・この通り、ちょっとドジっちゃいました・・・」
馨は眉をひそめて申し訳なさそうに美鶴を見上げた。
そばにいたアイギスが唇をかみしめているのが見えた。
まるで、「私がついていながら」とでも言いたそうに。
馨の腕の傷は、傷口自体は広かったものの、浅く、骨にも異常はなさそうだった。
切り傷のような、やけどのような、とにかく見ていられなかった。
処置はすべて美鶴が行なった。
「ひとまずは安心だ。だが、今日はもう無理だ。帰ろう」
美鶴は馨を支えながら立ち上がった。
他の者も、ぎこちない空気のままタルタロスを後にした。
俺たちがやっていることは遊びじゃない。
一歩間違えば命にもかかわる。
だからタルタロスへ行った後は、誰かしら怪我をする。
避けそこなってすりむいたり、あざを作ったり。
ただ、馨の今回の怪我は今までで一番の重傷だった。
俺はその場にいなかったから、詳しい状況は分からない。
ただ、やりきれない気持ちは抑えられなかった。
俺がいれば、あんな傷を作らせないで済んだのに、と。
・・・
翌日の放課後。
複雑な気持ちを抱えたまま、馨の教室まで迎えに行った。
都合を聞く気はなかった。
「病院に行くぞ」
「・・・えっ」
怪我をしていない方の手を取り、馨を引っ張って歩いた。
半袖から伸びている細くて白い右腕には、大雑把に包帯が巻かれていた。
肘上から手首にかけて、広範囲に。
ところどころに血がにじんでいるのが見えて、さらに顔が険しくなってしまった。
俺だってできればこんな表情をしていたくない。
馨は黙って俺についてきた。
病院に着くまで、会話はなかった。
総合受付のある、だだっ広いロビー。
並べられた青い椅子に座り、馨を待った。
絶え間ない院内放送に、医者や患者の往来や雑談。
ひどく耳に響いた。
馨はすぐに帰ってきた。
30分くらいだろうか。
素人巻きだった包帯はしっかりと直っていた。
その腕を軽く抑えて、馨は俺の隣に浅く腰掛ける。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「・・・どうだった?」
「大丈夫だそうです。消毒して、薬ももらいました」
「・・・痕は残らないよな?」
「ん・・・ギリギリ・・・?」
口を開けば開くほど
気持ちが抑えられない。
やりきれない。
普通の女の子にとったら、腕をぱっさり切ったなんて大怪我だ。
それこそ大事件だ。そのうえ痕が残るかもしれないなんて。
なのにどうしてこんなに、何もなかったように笑っていられるんだ?
見ていられない。
「まったく・・・気をつけろ!」
顔をそむけて、ため息をつきながらそう言い放った。
仕方ない。馨がどう思おうと、今はそれしか言えない。
本音なんだから。
少しの沈黙。
馨は不満そうな顔でうつむいていた。
そんな顔は見たくなかった。
「・・・前にも言っただろ」
馨が顔を上げたのがわかったが、目線をそらしたまま小さくつぶやく。
「戦っているおまえを見ていると、ハラハラするしイライラする」
「・・・」
「心配なんだ」
誰よりも頑張っているお前に言っていい言葉じゃなかったな。
以前はそう言って自分を納得させた。
だが今は違う。
そばにいてくれるのが当たり前になって、幸せを知ってしまった。
実際にその小さな体に傷を負うようになってしまった。
その事実は大きい。
「もし、おまえに何かあったら俺は、どうすればいいんだ」
次第に声が震えてくる。
こみ上げるものを抑えるように、静かに目を伏せた。
大事なものを全部失って、やっと得た力。
その力を持ってしても、もしまた失うようなことがあったら――
生きていけない。
「馨がいなくなったら、俺は、生きていけない・・・」
まだ顔は見られない。
気持ちが素直に言葉に出る。
ここまで弱気になったことが、いまだかつてあっただろうか?
こんなことで
こんな、たいしたことないことで大げさになって。
情けなく震える肩に、馨がそっと寄り添った。
――あたたかい。
「私は・・・いなくなったりしませんよ」
気のせいだろうか
馨の声も、か細く震えている。
「約束します」
今回のことで思い知った。
俺にとって、どれだけ馨が大切なのかを。
もうあんな後悔は、したくない。