いつか
一人でいることは当たり前だったし、これからも一人だと思っていた。
そりゃあ美鶴やシンジ、仲間や友人は人並みにはいると思う。
だが、こうして心から愛せる人ができたのは、人生の転機ともいえる。
大学に入学して数か月、一人暮らしの部屋に馨がやってきた。
学校帰りの制服姿で、食材の入ったスーパーの袋と鞄を提げている。
高校生の頃のように会える頻度は多くはないが、こうした時間を変わらずに過ごせることが嬉しい。
馨は買ってきたものをテーブルに広げて、せわしなくキッチンに立った。
いつもなら、部屋でのんびりするかどこかに出かけるのだが。
「なんだ、どうした?」
「はい、これ明彦の分ね」
手渡されたのはまだ土のついているジャガイモだった。
「なんだこれは」
「見ての通りですよ?」
馨はどこから取り出したのか、自前のエプロンを制服の上に着ながらそう答えた。
俺が高校を卒業してから、馨は俺のことを「先輩」と呼ばなくなった。名前で呼んでくれる。
敬語とタメ口が混ざるようになった。
たまに「先輩」呼びが復活することもある。
とっさのときや、小さなウソがばれたとき。意外とわかりやすい。
俺が思うに、呼び方も話し方も、あと数か月もすれば落ち着いてくるだろう。
今のこの違和感は、むしろ楽しもうと思う。
「先輩の食生活、私が改善します」
そう、こんな感じに無意識に出てしまうらしい。
「というわけで、今日は一緒にごはんをつくりましょう!」
こうして、二人並んでキッチンに立つことになった。
・・・
目線を少し下にずらして隣を見ると、馨が真剣な表情で包丁を使っている。
どうやら材料からして、今日はカレーを作るらしい。
馨は、女子にしては割と背が高い。
こうして隣に並んで、少し目線を下げて視界に入る馨の横顔。その微妙な角度が、俺としては気に入っている。
そんな感じで馨を見ていたら、なぜか怒られた。
彼女からしたら、ボーっとしているように見えたらしい。頼むから、包丁を置いてくれ。
「もー、一緒に作らなきゃ意味ないんです!」
意図が見えない。いきなりどうしたんだ、と聞いてみた。聞くのは2回目だった気がする。
これからは自炊できるようにならなきゃ。栄養偏っちゃいますよ。だそうだ。
「んー、明彦、不器用ってわけでもなさそうだし、教えればできるかなって」
馨は細い指を顎に当てて難しい顔をしている。
「それにほら、私、現役の料理部ですから!」
赤い瞳はそのまま視線を上げて俺を見つめている。
この角度からの、上目づかいに弱いなんて、死んでも言えない。
・・・
「べつに、料理ができないわけじゃない」
気を取り直して口を開いた。馨は意外そうな顔をしている。
今までの人生の半分以上を過ごした施設でも、必然的にそういう体験はしてきた。
必要最低限、生きていけるように。
だから炊飯器も使えるし、卵焼きも多分焼ける。
これから作ろうとしているカレーも、美味くはならないだろうが食べられるくらいにはできるはず。
ただ、自炊の必要性を感じなかった。
安くて美味いファストフード(おもに牛丼)は大量にあふれているし、自炊の方がかえって高くつくこともある。
料理を自分のためにするなんて、なんとなく実感がわかなかった。それだけだ。
「じゃあ、これからは一緒に作って、一緒に食べましょう。
一人より二人の方が、楽しいし美味しいですよ?」
馨は目を細めてにっこり笑った。
――なんとなく、感じてくれたんだと思う。俺の境遇、考え方、全てひっくるめて。
随分手前勝手な解釈だとつくづく思うが、そうであってほしい。
「先輩と食べる牛丼も、だいすきですけどね!」
その夜、馨と作ったカレーを二人で食べた。
たぶん、一生忘れないと思う。
家族全員で食卓を囲む。
そんなものは俺の中では夢物語だった。
ただ、馨との未来を思い描くと、少しだけ現実味を帯びた気がする。