きっと
なんだか心にぽっかり穴が開いた気分になったのは確かだって、認める。
良くも悪くも思い出の詰まった寮は閉鎖されて、それぞれの新しい1年が始まった。
それは私にとっても同じことで。
変わらないことを望む一方で、変化を楽しんでいるのも事実だった。
1学期の終わり、放課後。一人暮らしをしている真田先輩のもとを訪ねた。
そんなに遠いわけじゃないから、行こうと思えばいつでも行ける。そんな距離。
立ち寄ったスーパーで買った、二人分の食材を提げて、チャイムを押した。
実は、会うのは2週間ぶり。何かと都合が悪かったり忙しかったり。
言い訳みたいだけど、ほんとだからしょうがない。
毎日のように顔を合わせていた数か月前が懐かしい。
重そうなドアが開いて、目があったとたんに胸がいっぱいなった。
こういう瞬間、恋してるなあって思う。
「・・・馨」
ちっとも変わらないような、でも少しだけ大人っぽくなったような、
どちらにしろ大好きなその笑顔で、私を部屋に迎えてくれた。
・・・
二人きりの部屋。
もちろん寮の部屋よりは広いけど、ワンルームだし、置いてあるものは同じだし、景色はそれほど変わらない。
この部屋に来るのは初めてではないし、いくらか慣れてきた。
でも、久しぶりだからっていうのもあると思うけど、少し緊張した。
本当は、いますぐ荷物を放り出して抱きつきたい。
そうすれば、例外なくそのまま抱きしめてくれると思う。
想像するのは簡単。
でもなかなか実行できない。久々ならなおさら。
私のこの有り余る勇気も、先輩には通用しなかった。
そんな情けない焦りを隠すように、てきぱきと荷物を広げた。
にんじん、たまねぎ、その他もろもろ。
「なんだ、どうした?」
彼は不思議そうにしている。
挙動不審がばれたのかな。
「はい、これ明彦の分ね」
とっさにジャガイモを手渡した。
とぼけるようにそっぽを向いてエプロンを広げた。
先輩が大学生になったことで、名前で呼ぶきっかけが作れたと思う。
「先輩」っていう代名詞で呼ぶことに慣れすぎていて、こういうきっかけがないとなんだか恥ずかしかったから。
でもやっぱり、つい「先輩」って癖で呼んじゃうこともあるし、敬語とタメ口が混ざったおかしい日本語になることもある。
先輩は――明彦は、気づいてるかな。どうだろう。
この部屋に来るたびに、思ってたことがある。
ごはんはどうしてるんだろうって。
それとなくキッチンを見ても、使った形跡はあまりない。
お昼は学食、夜は牛丼かラーメンっていうサイクルが自然に想像できてしまった。
だからこその、今日の流れ。
「先輩の食生活、私が改善します!」
おせっかいかもしれない。
荒垣先輩の心配性がうつったのかもしれない。
「というわけで、今日は一緒にごはんをつくりましょう!」
・・・
料理部のおかげで、だいたいのレシピは頭に入ってるし、腕も上がってきたと思う。
ちなみに今日はカレーにした。
一番簡単だし、作りやすいと思ったから。
野菜を切っていると、隣の視線を感じた。
肩がぶつかるくらいの至近距離でばっちり目があった。
もう付き合って1年になるっていうのに、熱視線攻撃にはとことん弱い。
なかなか免疫がついてくれない。
要は照れ臭い。
駆け引きの上手な女の子のように、こういう状況をチャンスにできない。
まだまだだなあ、私も。
「もー、一緒に作らなきゃ意味ないんです!」
照れ隠しの末のやけくそ。
だいたいこれで明彦は察してくれる。
「いきなりどうしたんだ?」
ほら、こんな感じで。
ちゃんと聞いてくれる。
「これからは自炊できるようにならなきゃ。栄養偏っちゃいますよ」
そう言うと、彼は目を丸くした。
そんなことを言われるなんて、意外だ、という顔。
「んー、明彦、不器用ってわけでもなさそうだし、教えればできるかなって」
眉をひそめて、隣の明彦を見上げた。
私のこの長身は武器だったりコンプレックスだったりするけど、このちょうどいい身長差が好きだったりする。
・・・
「べつに、料理ができないわけじゃない」
帰ってきた返事は予想外のものだったけど、すぐに、なんとなくだけど彼の言いたいことはわかった。
思えば、荒垣先輩の料理を寮の皆で食べているとき、明彦はいつもより嬉しそうだった。
微妙な表情の変化だったけど、「彼女」だからそれくらいはわかる。
大勢の食事を懐かしんだり、憧れたりする気持ちは私もある。
それを踏まえて、私がすべきこととしたいことは、いつも一致する。
「じゃあ、これからは一緒に作って、一緒に食べましょう。
一人より二人の方が、楽しいし美味しいですよ?」
この気持ちは独りよがりかもしれないし、押し付けかもしれない。
けれど、いつもかえってくる優しい笑顔を見ていると、そうでもないかなと思える。
遠くない未来。二人より三人、三人より四人。
この先も明彦と一緒にいれば、いつかきっと、このささやかな夢は叶うと思う。