甘い手
お互い部活後ですっかり暗くなってしまった帰り道、乗客もまばらなモノレールの中で目を引く中吊り広告を見つけた。
日本では最大規模を誇るテーマパークの広告だった。
俺たちの住む港区は便利なもので、だいたいの主要施設はそばにあるし、こういう遊び場も日帰り圏内だ。
(・・・キャンパスデーチケットか)
要は学割が効くってことだろう。それでも1日で4000円というのは高い気はするが。
隣の馨はペンを片手に手帳を眺めている。いつもの光景、いつもの二人の帰り道だ。
「なあ馨」
「はい!」
俺が名前を呼ぶと、馨はパッと顔を上げた。
まるで条件反射だ。俺の次の言葉を待って、にこにこと笑っている。
おかしいと思うかもしれないが、人が何と言おうが、こういう馨の反応がかわいくてしかたない。
いつも自然に顔が緩んでしまうのだが、なんとか耐えるすべを身につけた。
「明日、暇か?」
「そうですね、予定は特に」
デートの頻度、というのは重要らしい。
確かに多いに越したことはないのだろうが、正直俺たちは平均以下だと思う。
毎日学校で会えるし、同じ寮住まいだし、なかなか改まって「デート」に誘いづらい。
さっきの広告を見て、ふと思ったのだ。たまにはいいか、と。
「なら明日一日、つきあってくれないか」
「どこにですか?」
「・・・あそこだ」
さすがに少し恥ずかしい。天井付近の中吊り広告を指差して、言った。
馨は不思議そうに目線を上にやって、その意味を理解したらしい。
今度は驚いたように俺の顔を見て、花が咲いたように嬉しそうに笑った。
そんなかわいい笑顔を向けられて、無表情でいろという方が無理だ。
・・・
翌日。
運がいいことに、晴天だ。
いつも通りの時間に起きて、着替えて、頃合いを見て馨の部屋まで迎えに行った。
ノックをして少し待つと、慌ただしくドアが開いた。
「あっ、えと、おはようございます!」
急いで準備をしたのか、それともそわそわしているだけなのか。なんだかいつもとは違う。
・・・そうか、服だ。初めて見る私服だ。そのことに気付いた時、以前順平に口を酸っぱくして言われたことを思い出した。
――初デートってのは、休みの日に朝から待ち合わせして、彼女の服装をべた褒めして、
一緒にメシ食って、金は全部男が払って、手をつないで、そのまま白河通りでゴールっす。
最後のは無論却下だ。初デート、ではないが一応応用できるだろう。
さて、「べた褒め」か。どう褒めよう。少し考えてみた。
「・・・その、今日もかわいいな」
本音を言っただけだった。確かに、今日の服装がいつもと違うことはよくわかる。
スカートスタイルは変わらないが、今日はワンピースだ。ノースリーブのようで、上にアンゴラのカーディガンを羽織っている。
バッグもブーツもネックレスも、今日の服装にとてもあっていた。
さらに言えば、髪型も少しだが違う。アップではあるのだが、まとめ方が違う、とでも言うのか。
いつもより少しだけ、大人びて見えた。それはたぶん、化粧のせいでもあると思う。
キスしたくなる唇、とはまさにこのことか。
こんな感じに挙げればきりがないのだが、それをいちいち口に出すのもどうかと思う。
数秒で頭をフル回転させて迷った末に、出た言葉だった。
馨はたちまち顔を赤くして、言葉にならない声を出していた。
・・・間違ってはいなかったようだ。よかった。
寮を出たところで、馨の手を取った。
別に順平の言うことを鵜呑みにしているわけではないが、こういう時はこうするのが自然だと思う。
まあ、俺がしたいだけだ。
指を絡ませる。いつもとは違う繋ぎ方を、してみた。
・・・
電車を乗り継いで、あっという間に到着した。
まずその広さに圧倒された。入り口でもらった園内マップは複雑極まりない。
周りを見渡すと、休日ということもあってか人が多い。
家族連れも友達同士もカップルも、同じくらい多くいた。
馨は俺の一歩二歩先を歩いて、まったく落ち着きがない。
とりあえず歩いてみる。周りの景色は新鮮で飽きない。
「こういうとこ、すっごい久しぶりです!」
歩きながら、馨は楽しそうな笑顔を俺に向けた。
実は俺も、初めてだ。お互い、連れて来てくれる大人がいなかったことが原因だろうが、今はそんなこと関係ない。
「小さいころは、よく来たんですけど」
馨が一瞬だけ瞳を伏せたのは、今日この瞬間だけだった。
ベンチに座って、改めて園内マップを広げてみる。
「・・・迷路みたい」
馨は小さくつぶやいた。たぶん素直な気持ちだろう。
「迷子になるなよ」
「・・・む」
「おまえはすぐどこかに飛んでいくからな」
だからこうして、ずっと手をつないでいればいいことを、俺は知っていた。
昼前に、園内にあるレストランに入った。
驚いた。遊園地にあるレストラン、のイメージとはまったく違ったからだ。
メニューはイタリアンが中心のようで、内装も細かいところまで凝っている。
店員の若い女性に、窓際のテーブルに通されて、向き合って座った。人口の湖が良く見える。
とりあえずメニューを広げた。ふと、馨がこちらを見ているのに気が付いた。
ほおづえをついて、楽しそうに笑っている。
「?、なんだ」
「なんか、不思議だなって」
「なにが?」
「先輩とイタリアンを食べる日が来るなんて」
言われてみれば、確かに。
これまで二人で食べたものといえば、牛丼とラーメンとたこやきというこれっぽっちも色気のないものばかりだった。
そう仕向けて、いや必然的にそうなってしまっているのは100%俺のせいか。
「うーん、何食べようかなあ。どれもおいしそー!」
馨はいつも以上に楽しそうだ。そうだな、これからはこういう店もチェックしておこう。
食事を済ませて、会計をする時だった。何かに促されたかのように、順平の言葉が再び頭をよぎった。
――金は全部男が払って、
そういえば男女の世界にはそんな不平等なルールが存在しないでもなかったような。
郷に入れば郷に従えと言うしな。財布を取り出そうとバッグをさがねる馨の手をそっと取った。
「俺が払う」
「え?なんでですか」
本気で言っているのか、表面的な遠慮なのか。
俺の知っている馨のバカ正直な性格を考えると、おそらく前者だろう。
人のことは言えないが、異性の扱いが少々なっていない気がする。
「いいから」
まだ何か言いたそうな馨の唇をそっと指で押さえた。
「おごらせてくれ」
馨は頬を赤くして口ごもった。有無を言わさずおとなしくさせる方法を、また一つ発見した。
・・・
普段と違う体験をすることは、必要以上にエネルギーを要する。
歩き回ったり手を引かれて走ったり列に並んだり乗り物に乗ったり。つまりは疲れていた。
しかし前向きに考えると、精神的負荷も期待できるいいトレーニングになるな。
疲れたが、同じくらい楽しいと思えた。普段よりも馨の笑顔が多く見られた気がする。これがデートの効用か。
――悪くないな。
そろそろ帰ろうと外に出る前に、出入り口前のエントランスに立ち寄った。
大きなモニュメントが飾られている。馨は携帯を取り出して、カメラを起動しながら俺の腕を引っ張って引き寄せた。
ちょうどフォトスポットにもなる、大きな花壇のあるモニュメントの前で。
「はい、笑って?」
少なくとも俺は笑えと言われてすぐ笑えるような種類の人間ではない。
そう思う前に、シャッターは切られたようだ。
「えへへ、記念写真」
俺の肩に寄り添ったまま、馨は嬉しそうに携帯の画面を見つめている。してやられた気分だ。
「待ち受けにしよーっと」
そう言う前に、すでに待ち受け画面は切り替わっていた。ちらりとのぞくと、意外とちゃんと撮れている。
「・・・なら俺も待ち受けにする」
「えっ」
「・・・いいから送ってくれ」
さすがに待ち受けにするかどうかは悩みどころだが、保存しておいて損はない。
これがあれば、卒業して離れてしまっても、そばにいられるような気がするから。
2011/09/21
遊園地デートだとケンカがつきものですが、この二人のケンカはなかなか想像つきません。
ちょっとしたことで小さなケンカをしない分、たまに被害の大きいケンカに発展するパターンの方がしっくり。