キスの距離


長いようで短いその距離は、ふとした拍子に一気に縮まる。



「そうだ、おまえも一緒に走るか?」
スポーツマン特有の爽やかな笑顔、とは少し違う気がするが、真田先輩は珍しくいきいきした笑顔で私にそう言った。
たまたま校門の前で会って、一緒に帰っている途中のことだった。
こうして真田先輩と二人になるのは、まだあまり慣れてない。
順平とはタイプが反対だし、何より人目を引く。あそこまで女子の敵意丸出しの目で見られると、さすがに気になる。
まあ確かに、彼女たちの気持ちもわからなくはない。彼の完璧すぎる外見は罪にも思える。
顔がきれいなだけの男だったら正直どこにでもいる。転校を繰り返した経験から言えるのだが、
どこの学校にもそういう「イケメン」は一人や二人は必ずいた。
ただ彼らには何かが足りなかった。なにが、と聞かれたらうまく答えられないが。

一方真田先輩は、格が違うというかなんというか。ほめすぎだろうか。
顔はもちろん、細身の割に筋肉質な体とか、姿勢とか歩き方とか無駄に色気のある声とか、
さらには表情とか視線とか座り方ひとつとっても人の目を引く。要はオーラだ。
多分本人は、自分が人からどう見られているかなんて、これっぽっちも気にしてないんだろうな。
身に着けているものを見ると、外見にはそれなりに気を使っているようだけど、それとこれとは次元が全く別の話。

「走るかって・・・制服でですか?」
「別にマラソンするわけじゃない。すぐそこまでだからちょっと付き合えよ」

私がSEESに入部する(部活らしからぬ部活だが)時も、先輩は同じことを言った。
さすがに即答するには複雑な現状だと判断して少し迷っていたら、
「そんなに深刻に考えることないだろ。ちょっと付き合えよ」と。
まるで昼休みに一緒に購買に行こうという軽いノリだ。

流されたつもりは一切ないが、なんだかこの人に誘われるとノーと言えない雰囲気になる。
そういうオーラを持っている。まったく不思議な人だ。

人とすぐに仲良くなれるのは私の特技の一つだった。
それは転校の多い生活で嫌でも備わったスキルかもしれない。
けどこの人にはそれが通用しそうになかった。まだ試してもいないけど。
そう思ってしまう理由はただ一つ。初めて見るタイプの人だったからだ。
まったく読めない。言動も行動も考えてることも。つまり、天然?

「よし、行くぞ!」
「あっ、ちょ、待ってくださーい!」

彼は最初の一歩を驚くほどの軽やかさで踏み出した。
タルタロスで見せるフットワークはだてじゃない。
まあ確かに、私もリーダーとしていろいろ負けていられない。

それにしても、この人は仮に彼女ができてもこのスタイルを変えないのだろうか。
デート中にいきなり「よし!走るぞ!」なんて、言っちゃいそうで怖い。
ファンクラブの子たちは、そういう真田先輩の本質を知ってて好きなのだろうか?
よくはわからない。まあ私には関係ない。今はこれでなかなか楽しいから、それでいい。

・・・・

夏はまだ先といっても、春というには中途半端。
そんな季節がいちばんやっかいだ。
先輩曰く「ちょっと付き合え」のつもりが、寮の近くの神社に着くころには二人とも汗だくになっていた。

「・・・休憩するか」
併設された公園のベンチに並んで座った。もちろん、少し距離をあけて。いわゆるふつうの距離だ。
「さすがに暑いな。汗でべたべただ・・・」
先輩は息を吐き出しながらそう言って、いつもきっちり締められている制服のタイをその長い指でゆるめて、
シャツのボタンを器用に一つ外した。普段は見えない首筋がちらりとのぞいた。
・・・まったく無駄な色気をむやみやたらにまき散らさないでください。
そんなだからファンクラブまでできちゃうんですよ。罪作りはあとで痛い目にあいますよ。

「どうした?」
そんなおせっかいな心の声を実際言えるほどの勇気は持ち合わせていない。
おそらく言っても理解してもらえないだろう。
「なんでもないです」
「そうか。・・・普段は、寮の部屋か、部室でトレーニングするんだが」
じゃあ今日はどうして?自然すぎる流れでそう聞いた。
すると先輩は驚いたように、何でそんなこと聞くんだ?とでも言いたげな顔をして、こう言った。

「どうしてって、おまえと俺の部屋に行くわけにはいかないだろ」
いつもは淡々としゃべるのに、この時だけは語尾に少しだけ焦りが見えた。
照れ、という表現がいちばんしっくりくるかもしれない。
照れ。・・・この人が?

それにしても汗が引かない。この湿度のせいだろう。曇っているがその分蒸し暑い。半ば強引に話題を変えた。
「先輩、風邪ひかないでくださいね」
「平気だ、このくらい」
さらりとかわされた。まあ予想はしていた。余計な心配なんて、するだけ無駄な部類の人だと思っていたから。
なんでも一人でできる。例外はない。ごくまれにそういう人は存在するものだ。
ただそんなのは、私の無知ゆえの思い込みだった。

「・・・くしゅっ」

先ほどの言葉とは裏腹に聞こえた小さなくしゃみ。
少し驚きつつ、言わんこっちゃないという視線を彼に送ると、先輩はばつの悪そうな子供のような顔になった。

「・・・平気だったら」

何この人
意味わかんない。
それがギャップなのかどうかもよくわからない。

どう考えても、私と彼では次元が違うと思っていた。先入観は私の悪い癖。
現実にはありえない「完璧」が備わっている人だと思い込んでいた。
あながち間違ってはいないけど、意外ともう少し近くに行けるのかもしれない。
そう思った。

「槇村」

はっと気づくと、先輩はもうベンチから腰を上げていた。

「帰る前に、あれ、やっていかないか?」
先輩が指差した先には、見るも懐かしい鉄棒があった。
中学生、いや小学生以来かもしれない。
懐かしんでいる間に、先輩は鉄棒にさっと飛び乗って一つの無駄もない逆上がりを披露して見せた。
腰のあたりを軽く手で払いながら、先輩はこう言った。

「おまえ、逆上がりできないだろ」

勝負は見えてるぞ、とでも言いたげな得意げな顔。そういう顔すら絵になるのがなんだかムカついた。
私も先輩並みの負けず嫌いな節がある。
「できます!!」
まるっきり機嫌を損ねた声を出して、眉をひそめてずんずんと鉄棒に向かう。

「なら今度やってくれ。スカートじゃないときにな」
隣の先輩の言葉をきれいに無視して、少し錆のついた鉄棒を両手でグッと握って体をひきつけた。
こう見えても運動神経はいい方なんですから!

「なっ、バカ!なにしてるんだ!」
先輩はいきなり声のトーンを2つくらい上げた。
「バカじゃないです!先輩よりきれいに回って見せます」
「だから、今度にしろ!その格好で何考えてるんだおまえは!」
「はーなーしーてー!」

私が本気だと悟った先輩は、すぐさま私を後ろから引き留めた。
軽く羽交い絞めにされただけなのに肩から先が動かない。
私の背中は完全に先輩の体に密着していて、心なしかいい匂いがした。
スポーツをやる人(それも本格的に)の汗はくさくないってよく言うけど、本当らしい。
しかし今はそんなのんきなことを考えている場合ではない。

「平気です、周りには誰もいません!」
「俺がいるだろうが!」
「なら問題ありません」
「俺が困る!」

意味のない攻防に、疲れてきた。
ついでに腕も痺れてきた。どうやったって男と女の力の差は埋めることができない。
ましてや相手はボクシングのチャンピオン。張り合うだけ無駄である。それが少しだけ悔しかった。

仕方なく反論するのをやめて鉄棒からパッと両手を離した。
とどまろうとする私の力と引き離そうとする先輩の力でちょうど均衡が保たれていたことを忘れていた。
片方がいきなり力を緩めたらどうなるかくらいわかっていたはずなのに。

「――うわっ!?」
「きゃっ」

その体勢のまま後ろにダイブして、先輩の体がクッションになって私はほとんど衝撃を受けなかった。
後ろが茂みで助かった。コンクリートだったら笑えない。先輩に怪我させるところだった。
ただでさえ毎晩毎晩生傷が絶えないっていうのに。タルタロス以外での傷はあまり増やしたくはない。

「ごめんなさい!大丈――」

大丈夫ですか。言えなかった。
パッと振り向くと、先輩の顔が至近距離にあったからだ。
人よりも色素の薄いきれいな瞳は、驚いたように瞬きを繰り返していた。
普通に接していたんじゃありえない距離だった。その距離は、キスするときの距離だと思った。
ちなみにキスなんて、したことないけど。

一気に顔が真っ赤になるのがわかって、けどとっさに離れられる体勢でもなくて、
とりあえず顔を隠そうと先輩の胸に熱いおでこを押し付けた。

きっとはたから見たら、私が公園の端っこで先輩を押し倒しているようにしか見えない。
ファンクラブならずとも、誰かに見られたら怪しさ120%だ。

こうして実際に先輩の体に触れてみると、予想以上に、うん、なんというか、・・・。
やっぱり鍛えてるんだな、と納得できた。夏服の薄い生地のせいで、体温がやたらリアルだ。
・・・この胸に抱かれて嫌な女なんて、いないだろうな。
それは率直な感想だった。やばい、これは危険な傾向だ。

「・・・おい」
「!!」

「大丈夫か?怪我は?」
いつまでも顔をうずめている私に、先輩は心配そうに声をかけた。

「だ、大丈夫です!」

慌てて顔を上げた。「キスの距離」は変わらなかった。・・・不覚。
そもそもこんな抱き合うような形になったのがいけない。私がすべき最優先事項は、まず立ち上がることだったのだ。
ビデオテープを巻き戻すように、再び先輩の胸におでこを押し付けた。


もう顔見れないじゃない。

2011/10/18
星コミュ2。 コミュランク的に言ったらまだこの展開は急すぎるんじゃないかとも思いましたが、 可能性がゼロではないところが真田先輩の恐ろしいところだ! 鉄棒にぐらつきながら乗る女主ちゃんの腰を支えるむっつりな真田先輩(←この状況は驚くことに公式です) を書いてもよかったんですが! 「ちょっとつきあえよ」が書きたかっただけ!あー!緑川ボイスで言われるとついていきたくなる!と思ったゲーム中。