知らなかったこと
馨は人当たりがいいし愛想もいい。
八方美人という言葉は当てはまらない。要は天然の気がある。
その証拠に、嫌いと思った人間にとる態度といったら。素直なのだ。
ただ、その範囲が限りなく狭いのが彼女のすごいところだ。
見て分かる通り、かわいいから(惚気ではない、事実だ)男にもモテる。
女子にしては背が高めだが俺と並べば問題ない。
スタイルもいいし、なにより健康的だ。
欠点を上げるとすれば、すぐ一人で抱え込むことくらいか。
少しは周りを頼ることをしてほしい。
好きな女のタイプ、なんて考えたこともなかった。
馨がそっくりそのまま当てはまった。俺は意外と「面食い」だったようだ。
なんでもないことでも嬉しそうに笑うその顔をずっと見ていたかった。「ずっと」だ。
これから先、俺と馨の関係がどう変わるかなんてわからない。
それでも、できることなら「ずっと」を望んでいた。
要は一緒に生きてほしかった。
そんな俺の気持ちを、馨は重いと言って迷惑がるだろうか。
実際こうしてつきあっているのだから信じていればいいのだが、
俺たちの関係は一般的にはまだ浅いものだった。最後の一線を越えていない。
それはお互いを今よりも信じ合ううえで、必須の行為なのか。
しかしそんなこととは関係なく、そういう気持ちは生まれていった。
その時は突然やってきた。いや、必然だったのかもしれない。
馨も俺も予定のない放課後、つまり一緒に過ごせる放課後。
ちなみに頻度はそんなに多くない。周りからしたら(いや、周りには秘密なのだが)ドライなカップルに見えるだろう。
付き合う前と変わらず食べに行ったりすることも多いが、選択肢に「俺の部屋」が増えた。
「連れ込んでる」なんて意識はなかった。
変な気持ちがないかと言ったらそれは嘘になる。けど現に、キス以上のことはしていない。
「これ。ありがとうございました」
「ああ」
馨は鞄の中から雑誌を取り出して俺に渡した。
表紙には大きく「体脂肪の燃やし方」という特集のロゴが入っていた。
俺がよく読むこのスポーツ健康情報系雑誌は女子高生が持つとかなり違和感がある。
以前部屋に来たとき、馨は興味津々に雑誌を読んでいた。それはファッション雑誌じゃないんだぞ?
顔を上げたと思ったら、「これ、借りていいですか?」と。
「おもしろかったです!たまにはいいですね」
「ならよかった」
馨が俺の部屋に来た時の定位置は、図らずもベッドの上だった。
来客を想定していないこの部屋で、二人並んで座れる場所なんてここしかなかった。
ちなみに馨がこのベッドに横になったことはまだない。ソファとして使う以外はないということだ。
今までは、こうして並んで座って本を読んだり苦手な教科を教え合ったり、たまにテレビを見たりした。
もちろんそれはそれで幸せだった。その幸せな時間のちょっとした瞬間に手に触れたり、肩を寄せることも、当たり前になっていた。
そしてそれは、今日も例外なく当たり前だった。
キスをするタイミングというのは、1回つかんでしまえば難しいものじゃなかった。
それは馨が同じ気持ちでいてくれるからなのかもしれない。
少し下の位置にある小さな肩がこすれるようにぶつかった。それが合図のように、ふと目があった。
馨が恥ずかしそうに微笑んで目を閉じるのと、俺が手袋を外して馨の顎を持ち上げたのは同時だった。
触れた唇はいつも通りやわらかかった。俺の目元に馨の前髪が触れる。少しくすぐったい。
微妙に唇の角度を変えると、甘い香りがした。
それはいつもの香水だった。いつも通りだった。どういうわけかそれがどうしようもなく愛しくなって、
唇を重ねたまま、出来る限りのやさしさを保ちながら強く抱きしめた。そのやさしさはギリギリの理性だ。
いつもならこのあたりで唇を離した。それ以上のことはしない。けれど今日は、離せなかった。
初めての長いキスに戸惑ったのか、馨は俺の腕の中で小さく身じろぎをした。
その反応を待っていたかのように、控えめに、けれど確実に舌を侵入させた。こういうキスは初めてだった。
生温いその感触に、思わず背筋が震えた。少し苦しそうな息継ぎとともに、初めて聞く馨の甘い声が耳に響いた。
まるでスローモーションのようにゆっくりと唇を離して、ぎこちなく目を合わせる。二人の間の空気が止まっているように思えた。
いつもとは確実に違っていた。なにかが。
無意識に漏れたさっきの声も、そして今のこのとろけそうな表情も、俺以外の誰にも見せたくなかった。
皆から好かれている「槇村馨」という存在の、こういう「女」の部分は、予想以上に俺の気持ちを昂らせた。
ああもう、ほんとうに。頼むから、そんな目でほかの男を見ないでくれ。そんなことをしたらそいつは一瞬でタガがはずれるだろう。
やっぱり俺はおまえ以外考えられない。骨抜きにされても構わない。
指先まで神経が研ぎ澄まされているような震える手で、馨の頬を包んだ。小さい顔はすっぽり収まる。
手のひらに感じる熱いくらいの体温は、どちらのものかわからない。夢中になっていた。要は。
「いつもなら」、しばらくしたら恥ずかしくなって笑い出す。そしていつもの距離に戻る。今はもう後には引き返せなかった。
「・・・馨」
その愛しい名前を呼ぶのに、気持ちを込めなかったことなんて今まで一度もない。怒りをあらわにする時でさえも、だ。
意識せずとも、今の声には彼女を求めている気持ちが表れていた。我慢強い方だとは、思っていたんだが・・・。
馨はそれを感じたのか、しどろもどろ、見る見るうちに泣きそうになっていく。
濃い緋色の瞳は潤んできて、次第に目じりには今にも溢れそうな涙がたまっていった。濡れた長いまつげがこの上なく美しく見える。
そんな彼女を目の前にして、たまらなくかわいいと思えない男が一体どこにいる?
「あ、あの、その、ええと、私・・・っ」
少しひんやりした小さな手は、馨の頬を包む俺の手に重ねられた。はなしてくれという意思表示らしかった。
たしかに、触れ合った部分は異常なほどに熱を帯びていた。このままでは体のどこかがショートしそうなほどに。
馨が慌てると俺が冷静になる。その逆もしかり。俺たちはそうやってバランスをとっていた。それはこういう状況においても有効だった。
「私、なんだ?」
「・・・」
「なんだ」
「・・・よくわかんないです・・・」
馨は観念したように、へなへなになって力なく俺の胸に顔をうずめた。骨抜きにされたのはどうやら馨の方だったようだ。
そのかわいさは殺人的だった。ああ、笑えばいい。ここまで俺を惚れさせた馨が悪い。そのまま抱きしめたい衝動を抑えて、優しく頭を撫でた。
「奇遇だな。俺もだ。よくわからん」
「・・・」
「・・・初めてだな」
私も、初めてです。馨は消え入りそうな声でそう呟いた。
きっかけなんてなんでもよかった。お互いに、踏み出すためのなにかがほしかっただけだ。
・・・
触れる、の意味が違った。いつもは好意や気持ちを伝えるために手をつないだり肩を抱いたりする。
その根本に違いはないのだが、目的が違うのは明らかだった。あらゆる箇所から相手を感じたかったし、感じさせたかった。
さっきからまだ二人の行為は何も前進していないのに、指先で唇をなぞっただけで馨はあからさまな反応を示した。それが嬉しかったのは、言うまでもない。
首元の真紅のリボンに手をかけてそれを外した。本人が毎晩着替えるたびにやっているこの動作を、俺がかわりにすることはひどく不思議に思えた。
馨のブラウスのボタンはいつも一番上まで止められている。岳羽や美鶴のように、アレンジして着たりはしない。
他のメンバーのことをとやかく言う気はないが、馨の制服は一番清潔な着こなし方だった。
プチン、プチンと音を立てて上から一つずつ丁寧にボタンを外した。時間をかけたのはわざとだ。馨には悪いが、こうでもしないと気が落ち着かなかった。
露わになった胸元を、馨はどうしても隠したいようだった。いきなり背中を丸めて防御の姿勢を取った。
そんな抵抗が無駄だってことを、男を知らない彼女はわかってないのだろう。確かに馨は強い。だが女だ。腕も首もこんなに細い。
俺が少しだけ力を入れれば、どうにだってできた。それを示すように、手首をつかんでベッドに押し倒した。
一瞬、馨は目を見開いて、信じられないという顔をした。だがそこに拒絶の色はない。構わずに細い首筋に吸い寄せられるように、強めに唇を押し付ける。
馨の体が小さく震えたのがわかった。今「やめて」と言われたら、俺はやめられるだろうか。・・・わからない。
細い腰にするりと腕を回して、体を浮かせた。驚くほど軽かった。そのまま背中の方に腕を移動させて、予想通りの感触を確かめた。
丁寧に指を動かして、ホックを外す。意外と簡単なんだな。それから、馨と目を合わせた。何も言葉は交わさなかったが、それは必要なプロセスだった。
ほどいた長い髪が意外とくせっ毛なのも、下着の下に隠れていた胸が小ぶりだがきれいな形をしていることも、初めて知ったことだった。
今まで俺は馨の一部分しか知らなかった。こんなに想っているのに。すべて知りたい。奥深くまで。そう思うと同時に、体の芯がより熱くなるのを感じた。
無意識のうちにするりと手を伸ばした先は馨のスカートだった。女性はこんな頼りない布きれ一枚で平気で外を歩く。今だってそうだ。
不躾にその中に手を入れれば、もう抗うことなんてできない。思わずぞくりとするほどなめらかな太ももに触れると、彼女は小さく声を上げた。
その行為がエスカレートする前に、熱を持った息を吐いて自らの襟元に手をかけた。俺がシャツを脱ぎ捨てるのを、馨は黙って見ていた。
興味津々といった顔だ。たぶん無意識なのだろう。上半身の服をすべて取り去って、すぐに馨に口づける。一秒一秒が惜しかった。
彼女の苦しそうな息継ぎは、スカートの奥の湿った部分に指で触れると、次第に甘い声に変わっていった。少しこするだけで、泣きそうな声で小さく抵抗する。
そういう顔をもっとさせたい。見たい。この時初めて、自分の中の独占欲に気が付いた。男なんて所詮こうだ。欲望には勝てない。
必死に理性を保とうと頭を働かせても、この状況では無駄に等しかった。五感すべてで彼女を感じている今の俺にはきっと誰の声も届かない。
激しいキスのせいか、それとも脈が上がっているのか、平常時の呼吸ではままならなかった。部屋に響く不規則なその音と馨の途切れ途切れの声は、行為の淫乱さを際立たせる。
確かめるように馨の頬に顔を寄せると、熱い吐息がかえってきた。痺れを切らしたように、馨の足を少しだけ広げて下着の隙間からそっと指を入れた。
「や、あ・・・っ、」
馨は反射的に腰を浮かせて、恥ずかしいのか顔をそむけた。直接触れたそこは、十分すぎるほど濡れていた。その事実を知って、手が止まるわけがない。恐る恐る指を進めると、くちゅ、と音を立てて俺の指を受け入れた。
「!、ふ、ぁ・・・」
馨は枕元にあった俺が脱ぎ捨てた制服のシャツをとっさに手に取って、口元を押さえていた。
それでも容赦なく攻め立てると、そのたびに細い腰は過敏に反応して、シャツの隙間からくぐもった声も漏れていた。
普段とは違う声を聴かれたくないのかもしれない。必死な細い手首をとって、やめさせた。かわりにキスで口をふさいだ。
その間にスカートのジッパーをゆっくり下げた。直接見えなくても、手探りでどうにでもなるものだ。丸みを帯びた体のラインが感じられる。
同時に下着にも手をかけて下にずらした。つるつるとすべる生地にはフリルがついていた。少し、もったいなかったか。
上も、ろくに見れてない。下着姿をしっかり目に焼き付けておくべきだった。そんなことを本当に一瞬だけ頭の片隅で思ったが、すぐにどこかに飛んだ。
いくらキスをしても足りなかった。頬に、首に、耳に、特に敏感な胸の突起に、くすぐったいと言って髪を引っ張られた脇腹に。それでもぜんぜん足りない。つかんだ手首が小さく動いて、俺の手を求めていた。しっかりと指を絡ませると、少し気持ちが落ち着いた。
ゆっくりと顔を離して視線をずらすと、上も下も裸になった馨が目に映る。馨は俺の視線に気付いて眉をひそめた。そんなかわいい顔で怒るな。
「・・・きれいだ」
心の底からそう言うと、馨はさらに赤面した。フェアじゃないって思うか?俺だっていっぱいいっぱいだ。初めてなのは一緒なんだ。
すでにベルトを緩めていて腰まで下がっていた制服と一緒に下着にも手をかけた。残念ながら女性よりは恥ずかしくはない。
脱いでいるのは俺なのに、なぜか馨の方が恥ずかしそうだ。始めたときは窓からの光で部屋の中は明るかったのに、今は薄暗い。日は暮れていた。そんなに時間は経ってないはずなんだが。
カーペットの敷かれた床に、一つだけ取り出したコンドームの箱をことりと落とした。まさか、こんなに早く使う時が来るとはな。
順平の言葉がなかったら今のこの瞬間はなかったはずだ。
馨の足の間に体を組み込むと、馨は初めておびえたような顔を見せた。ただそれは一瞬だった。その一瞬を見逃すことなんてしない。
腕を伸ばして、もう一度馨の頬を包み込んだ。顔を近づける。首筋はしっとりと汗ばんでいた。真っ赤な瞳は、薄暗い中でも美しく光って見える。
「・・・馨」
今日何度目かの、名前を呼んだ。
「好きだ・・・愛してる」
迷いなんかあったら、こんなことを真顔で言えない。それは馨にもちゃんと伝わったようだ。馨はいつもの笑顔とは少しだけ違う顔で小さく笑って、俺と同じことを言ってくれた。
先端を押し当てると、まだ何も知らないきれいな裂け目がゆっくり開くのがわかった。
いくらでも時間をかけるつもりだった。ある一定の場所で、馨がぎゅっと目をつぶったのがわかった。
その痛みは、一生知ることができない。共有できない痛みは女性の方が圧倒的に多い。自分が非力に思えた。
出来るだけ静かに、名前を呼んだ。俺にはそれしかできない。頬を寄せると、馨は俺の首に腕を巻きつけた。
へいきだよ。耳元に寄せられた唇は、弱々しくそう発音した。
ゆっくり、確実に奥までたどり着いた。次第に呼吸が荒くなる。もう一度名前を呼ぶと、今度はこたえてくれた。
「っ、あ、き・・・ひこ」
馨は目にうっすら涙を浮かべながら、俺の手を握った。
小さく腰を動かすと、馨の体も小さく揺れて、再び甘い声が聞こえた。繋がっていることを実感して、目の奥が熱くなった。
先ほどとは違って、馨は口をシャツで押さえなかった。そんな余裕はなかったらしい。その分かわいい喘ぎ声がさらに俺を昂らせた。
注意深く力を強めると、その分馨の反応も大きくなっていった。もう、痛みはないようだ。
彼女の中を突くたびに、ぐちゅ、というリアルな音が聞こえた。中はキツく締まって溶けるように熱い。
引き抜こうとすると、より強く引き留めようとする。強く突き上げると痛いくらいの快感が襲った。
実際溶けているのかもしれない。十分ありえる。
馨の声は、感じたままに発しているというよりも懇願するような声に変わっていた。
「ぁ、ん、やぁ・・・ッ、」
「か、おる・・・、馨」
気づくとこめかみから汗が流れていた。頬を伝って、馨におちる。
馨は力の入らない手を俺の耳元に当てた。何かを言いたそうに、引き寄せられる。力を緩めないまま耳を貸した。
「・・・ぃ」
聞き取れず顔を見ようとしたが、拒否された。力尽きたはずの手はぷるぷる震えながら俺の首をおさえている。かわりに今度ははっきり聞こえた。
「・・・きもち、いいの」
思わず手が止まった。汗だけが流れる。首筋に押し付けられた顔を、見ることはできない。
「あきひこの・・・きもちいの・・・」
馨は涙声だった。ああ、もう・・・だめだ。・・・無理だ。それは反則だ。ほんとうに・・・・。
それまで体重を支えていた手で馨の腰をつかんだ。二人同時に果てたのは、そのすぐ後だった。
・・・
馨は裸のまま毛布にくるまって、岳羽に電話をかけていた。出だしの声が少し枯れていたのは別に俺のせいじゃない。
おい、見えてるぞ、乳が。・・・。見えてるものを触りたくなるのはいけないことか?
あの後、軽いキスを交わして深く抱き合った。二人で毛布にくるまっているうちに、極度の脱力感に襲われてうっかり眠ってしまっていた。
そして起きたら夜の11時。ギリギリ捜索願を出されない時間だった。慌てて電話をかけたのが岳羽だったというわけだ。
一応暖房をつけておいてよかった。今年初めての稼働だ。おかげで裸のまま寝たにもかかわらず風邪はひきそうになかったが、体中の水分が奪われてしまった。
しっかりと下を履いて(当たり前だ)ベッドから出て、小さな冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを2本取り出した。1本を馨の頬にぴたっとつけた。
予想通りの反応。はいはい、俺が悪かった。だからそろそろ胸を隠せ。
「なんて言ったんだ?」
「泊まる、って」
「それだけか?」
「はい」
基本的に寮生の外泊は禁止だ。厳密には外泊ではない。だって馨はちゃんと寮の中にいる。
岳羽はそれを察したのだろう。・・・しまった、借りができたな・・・。岳羽のことだから「昼飯おごれ」か?
馨はケータイを置いて、再び俺の肩に頭を乗せた。さっきまでしていたように。
「えへへ」
「・・・なんだよ」
「だいすき」
「知ってる」
知らなかったことがたくさんあった。今日を境に、それが少し減った。
例えば、ふだんはめったに甘えない馨が「好き」を連発したり、ああいうときにしか見れない表情がたまらなく刺激的だったり、そういうことだ。
だから、今日くらいは。こうして二人で一緒に朝を迎えよう。
きっと世界は変わって見える。