君じゃない誰かなんて
かわりになる人なんて、いないんだ。
「明彦か。おかえり」
「美鶴・・・ひとりか」
ラウンジには美鶴が一人、ティーカップを片手に読書をしていた。
いつかの馨と同じように、俺は泊りがけで部活の遠征に行っていた。
ちょうど今帰ってきたところだ。すっかり遅くなってしまった。もうすぐ影時間だ。
「昨日はどうだった?」
「タルタロスか?」
ああ、と目で訴えて、荷物を置いてソファに座る。
昨日は行ったはずだ。俺が参加できなかったのが少し悔しい。
すると美鶴は意味ありげに小さく笑ってため息をついた。
「ちなみに今日は行かないからな」
「なっ、俺は絶好調だぞ」
岳羽や順平には信じられないと言われるが、
集中して何かに取り組んだ後――たとえば試合やテストの後にこそ探索に向かうべきだ。
たまには負荷をかけないといつまでたっても成長しない。
「リーダーが疲れている」
「・・・馨が?」
「たいして無理はしていないはずなんだがな。実際進んだのは5フロアくらいだ」
「じゃあどうして」
「どうやらおまえがいないと調子が出ないようだ」
「なに?」
「もちろん彼女はそんなこと言ってないがな。見ていればわかる」
「たまたまじゃないのか?」
「さあな。自分で確かめてみろ」
それ以上の会話はせず、とりあえず荷物を持って部屋へあがった。
確かめてみろ、と言われても。今から馨の部屋へ行くなんてできないだろ。
いろいろな消化不良を残しつつ、その日は就寝した。
・・・
それから数日後のタルタロス。
エントランスでいつもと変わらず、馨はまず最初に俺に声をかけた。
「今日もよろしくお願いします、先輩」と。
ああ、任せとけ。これもいつもの返事だ。
それから少し間をおいて、馨はほかのメンバーに声をかけた。
リーダーとして戦闘パーティのバランスは常に考えているようだが、その中に俺が加わる確率は極めて高かった。
俺はリーダーと「セット」というわけだ。
残りの二人をいろんな要素を加味してローテーションで選ぶ。体調、フロアの敵の特徴、そしてその時の人間関係。
後悔はしたくないですから。無理するな、と誰かに声をかけられると馨はそう答えていた。
馨はいつもと変わらなかった。疲労は取れたようだ。
むしろ絶好調にも見える。振り回す薙刀はいつもよりキレがあった。
迷いがない。いい傾向だ。
「風花!残りあとどれくらいかな?」
「えと、20分弱です」
通信を通して山岸がそう答える。
「気を付けて、いつもより敵が多いです」。そう伝えられたフロアは確かにシャドウがうじゃうじゃいた。
いつもより戦闘回数が多い日だった。合間に息つくこともできないくらいだ。
「よし、じゃあ散開。転送装置見つけたら教えてください」
いつもなら、それを探すのはもっと後だ。5分前といったところか。
20分も前から帰還の準備という馨の判断は正しかったように思う。天田と岳羽が疲れている。
今日のペースはスタミナの低い二人にはきつかったようだ。
リスクは少ない方がいい。馨はそういうリーダーだ。
リスク回避して生じた機会損失は、別のことで補てんすればいい。その方法を彼女はよく知っていた。
だから全員が順調にペルソナのレベルを上げていける。そういう緻密で確実な戦略だ。
リスクが少ない方が、仲間を危険にさらすことも少なくなる。
その考え方はおおむね正しい。けど自分のことに関しては無頓着だった。
私一人なら多少無理しても大丈夫、そういう考えなのだろう。
いくら言ってもそれは直りそうにない。裏を返せばそれは仲間を信じてないとも言える。
だが馨にはそんなつもりは毛ほどもない。
大切なのと信じていないのは紙一重なのだ。
ただ、そういうのは本当にいいリーダーとは言わない。
当たり前だ、完璧な人間なんていないのだから。だから誰から支えてやらなきゃならない。
馨の判断を鈍らせる余計なものを近づけないようにしないといけない。それは俺の役目だと自負していた。
誰でもできる役割じゃない。一番そばにいる、俺にしかできない。それは押し付けか、あるいはエゴか。どうとられてもいい。
それは俺が決めたことで、やらなきゃいけないことだ。
岳羽が転送装置を見つけことが全員に伝えられた。
予想以上に時間がかかった。残りはあと5分。リーダーの判断は正しかったということだ。
小走りで岳羽のもとへ向かうと、まだほかの二人は来ていなかった。
岳羽は壁にもたれかかっている。その顔には疲労がにじんでいた。
「あ、真田先輩」
「なんだ、天田と馨はまだか」
「すぐ来ますよ。ついでに死神も出そうです」
「やめてくれ。こんな状態で」
冗談には聞こえない。現に、本当に出そうな雰囲気だ。
「つかれたなあー、今日は」
「俺のプロテインわけてやろうか?少しは鍛えろ」
「鍛えるのは賛成ですけど、プロテインはいいです」
きっぱりと断られた。まったく、プロテインをバカにするなよ?
「なあ、俺がいなかったとき、リーダーはどうだった?」
ふと、美鶴の言葉を思い出したのだ。確かめるには、第三者の意見を聞くのがいちばんだ。
「ああ、遠征の時ですよね。馨と私と美鶴先輩、あと天田くんで行きました」
俺が探索に参加しないときは、必ず美鶴が入る。それも馨の作戦だった。
ペルソナに目覚めて間もない後期メンバーのフォローをするには年長者がいた方がいいのだ。
それは本来リーダーの役目かもしれない。しかし指揮とフォローを同時に行えば必ずどこかに荒が出る。
それが命取りになりかねない。馨はそこまで考えを巡らせていた。
実際、順平と岳羽もうまくペルソナを出せなかった時期がある。昔の俺や美鶴だってそうだった。誰でも最初はそれがあって当たり前だ。
「べつに、いつもと変わりませんでしたよ」
岳羽は平然とそう言った。ほらみろ、美鶴、おまえの考えすぎだ。
「先輩がいないときはいつも、不完全燃焼って感じですよ」
岳羽は含み笑いを込めて俺に言った。どういうことだ。
「先輩がいないと全力出せないみたいなんですよね、馨。まあ探索と戦闘に支障はないから別に問題ないんですけど。
ただ、先輩が隣にいるから余計な事考えずに引き金を引けるのかな、って」
馨は攻撃の主力ではない。どちらかというと指揮と補助だ。
もちろん先陣を切って攻撃に回ることも同じくらい多くあるが、基本のスタンスは変わらない。
回復は岳羽か天田。攻めの要は順平か俺になる。
「ま、ちょっと悔しいですけどね。先輩はそれほどリーダーに信用されてるってことでしょ?
でも、馨の気持ちはわかるし、いちばんベストだと思います。でしょ?」
「・・・岳羽」
「ここまでやってきて、馨のやり方に文句ある奴なんていないんじゃないですか?
いたらとっくにバラバラになってますよ、あんな個性強いのばっかりそろってるんだから」
信頼。
それは大切なことだ。
俺はいまいちわかってなかったのかもしれない。一人一人とこうして信頼関係を作っていくのは並大抵の努力じゃできない。
実際何度もぶつかったし、深刻な問題が出てくるのも当たり前だった。それを踏まえての今だ。
「あ、来た来た。天田くんへとへとじゃない」
馨と天田が一緒にこちらに向かってきた。天田の後ろに馨がいる。まるで、さりげなく守っているようだ。
多分そんなことは誰も意識していない。天田本人も気づいてないだろう。さりげなさすぎて自然なのだ。俺だけが、それに気づいた。
俺に甘えるな、一人でも強くなれ、とは言わないでおく。
馨のやさしさを知っている人間なら、誰でもそう思うはずだ。