君が見つめた海


一緒に生きていくことは、思い出の共有だ。



「おにいちゃん!」
足を止めて後ろを振り向くと、美紀は一生懸命俺の後をついてきた。
歩幅のことを考えていなくていつも置いて行ってしまっていた。
そのたびに反省して、そっと手を差し出す。つながれた手に安心したように、美紀は嬉しそうに笑っていた。

それは俺にとって当たり前の光景だった。
月日が流れ、距離が離れていっても、たった一人の家族。
ずっと支え合って生きていくのだと、幼いながらに感じていた。


「明彦!」

ふと気づくと、ぐいっと手を引かれていた。
あのころの、小さな美紀の手じゃない。
少しひんやりした、馨のしなやかな手だった。

「ほら、早く!始まっちゃう」

馨のもう片方の手には2枚のチケット。
イルカショー、13時開演と書いてある。
ああ、そうだ。今日は馨と出かけていたんだ。
水族館。初めてではないが、久しぶりだ。高校生以来か。
周りには俺たちと同じようにカップルが歩いていた。おそらく目的地は一緒だろう。
気を取り直して馨の隣に並んだ。

「見終わったら、あそこのクレープ食べたいなあ」
「終わったらな」
「はい!」

馨と過ごす時間は、俺の世界を確実に変えていた。
今まで見えなかったもの。見ようとしなかったもの。
共有する経験は、一つずつ増えていって、そのたびに馨との仲も深まった。
無意識に手もつなげるようになった。歩くペースもあわせられるようになった。
話すときの癖も、照れる仕草も、機嫌の損ね方も、手に取るようにわかるようになった。
わかりすぎてわからなくなることもあった。ケンカもしたな。

水族館に行ってみたい。きっと、すごくきれいだよね!
おにいちゃん、いつか一緒に行こうね。約束。
決してきれいとは言えない施設の広間で本を広げて、美紀は目を輝かせていた。
本は写真集で、鮮やかな青い海と魚が紙面いっぱいに広がっていた。読み回されて、色は褪せていた。
まだ幼い美紀の世界は狭かった。それを広げることなく、あっという間にいなくなってしまった。
かわしたいくつもの約束は、一つも果たすことはできなかった。

水族館に行ってみたい。海にも行きたい。ほんとにそんなに広いのかな?山にも登ってみたいなあ。
おしゃれなお店にも行ってみたいし、おいしいものも一緒に食べたい。
馨と一緒にいると、美紀ができなかったことを俺が代わりに体験しているようだ。
もちろん馨は美紀の代わりじゃない。それについてはとっくの昔にけじめをつけた。
もう子供じゃないんだ。固執も後悔も必要ない。ただ美紀が俺の妹だったことは、永遠に変わらない。

思うんだ。
俺と馨を引き合わせてくれたのは、美紀だろうと。


「楽しかったですね」
「ああ」
「また来ましょうね!」

馨はいつもの角度で俺を見上げると、嬉しそうに笑った。
つられて微笑む。そうだな、また一緒に行こう。そう言って、強く手を握り返した。
馨の笑顔は、紛れもなく俺の宝物だった。
月並みなデートに同じことの繰り返し。
そうした代わり映えのない幸せな思い出が、これから先も増えることを祈って。

2011/10/27