きみの瞳に恋してる
緋の眼は、感情が激しく昂ると発動する。
激しい怒り、深い悲しみ。打ち震えるような感動。緋の眼は、私の――私たちクルタ族の、人間らしい感情の象徴でもある。
怒り、そして喜び。相反する感情であっても、緋色は同様の輝きを放つ。
いや、違うのかもしれない。意識をしていないだけで、ひとつとして同じ発色はないのかもしれない。
クルタ族同士でも微妙な違いが、あるのかもしれない。もう――今となっては、実証するすべもない。
「ただいま」
私には帰る家がある。
帰ってくるたびに思うが、玄関の扉を開けば、そこは別世界だ。
柔らかい照明、複数の食材が調理された香ばしいにおい、そして彼の気配。
「おー、おかえり。さっすが俺、時間ピッタリ。さ、できたぜ」
レオリオは木製のスパチュラを片手に、キッチンへ入る私に振り向いて、笑顔を見せた。
ああ、よかった。今日も、私も彼も変わらずに、一緒に過ごせている。
その安堵の表情は、レオリオには疲れているように見えるようで、いつも心配されるのだ。
そのたびに、彼は、どこが痛いか、だの、寝不足じゃないか、だの、「私専属の主治医」の顔を見せるのだ。
彼は私に対してだけ、心配性だ。まあ・・・彼に言わせれば、私は「相当な無茶」をしてきたようだから、仕方ないのだが。
今はもう、昔ほど危険な仕事はしていない。
すべて終わったわけではないけれど、大きな目的は果たし得たから。
これからは、彼のために、もう少し、自分を大切にしようと思った。
帰宅したら、軽い抱擁と口づけを交わす。
一緒に住み始めて、最初の方こそ毎回のように赤面していたが、もう慣れたものだ。
二人だけの挨拶。積み重ねて、一緒に過ごしていることを実感する。
そして今日も変わらずに。
が、レオリオは一瞬、ほんとうに一瞬だけ、私の唇に触れる前に、なにかに気付いたように動きを止めた。
気のせいと言えばそうかもしれない。その後の振る舞いはいつも通りだったし、料理も変わらずに、美味しかった。
けれど、女の勘、というやつだろうか――
レオリオが今、なにに思いを馳せているのか、少しだけ、気になってしまった。
ベッドのシーツは、今朝とは違うものになっていた。
私はてっきり、レオリオが洗濯をして、乾いたものを再びセッティングしているかと思っていた。
朝、そういう話をしていたし、彼もそれを了解していた。忘れていたのだろうか。
まあ、困るわけではないし。替えてあればそれでいい。そう思い、読みかけの本を片手に、ベッドにもぐりこんだ。
就寝前の読書は、私の密かな楽しみでもあった。
あと2、30分もすれば、レオリオが私の隣に入ってきて、なにかしらちゃちゃをいれるのだろう。
私は文句を言いつつも、再び本にしおりを挟んで、ヘッドボードに置けばいい。
他愛ない会話を交わして、触れ合って、確かめて、その先へ発展したり、眠ったり。
それがもう、ルーティンだ。私と、彼の。
言い換えると、俗にいうマンネリ状態でもある。
同じ人と、同じ家で、同じように触れ合い、同じように眠る。
私は思うのだ。いったいそれの、どこにマイナス要素がある?
私には私の、彼には彼の人生があり、お互いそれを尊重している。
彼がしたいと思った仕事には口を出さないし、彼もそうしてくれている。
元来、私は母親譲りの旺盛な好奇心、さらにはハンターという職業柄、知りたいこと、やりたいことは山ほどある。
四六時中、恋人のそばにいるわけではないのだ。
だからこそ、思う。
同じ人と、同じ家で、同じように触れ合い、同じように眠る。
これを繰り返していけることは、幸せ以外のなにものでもない。
きっと彼もそう思っている。
だからこそ、一緒にいる時間は彼のことだけ考えていたい。
そしてやっぱり、20分後、彼は私の隣にやってきた。
部屋の照明を落とし、手元の間接照明をつける。私は自然に本を閉じ、彼の胸にもたれかかった。
同時に、大きな手は私の金色の髪を優しく梳かし始めた。
こうやって、私が文句を言わないパターンも、ある。
「今日は、どんな休日だった?」
相も変わらず心落ち着く鼓動の音に耳を傾けながら、彼に聞いた。
髪を梳かす手は一瞬止まった。まただ。今日の彼は少しだけ様子がおかしい。
どこが、と問われればそれはわからない。が、女の勘だ。
「気づいたら終わってた。てか洗濯忘れっちたわ。わり」
「べつにかまわないが・・・めずらしいな」
そうしていくつかの話題を共有して、言葉が途切れる。そのタイミングで、キスをする。
今日もそれは変わらずだった。
しかし、やっぱり、触れる前に、レオリオは一瞬だけたじろいだ。
もう気のせいではない。彼の挙動の変化は、あからさまではない。けれど恋人だからわかる。
「レオリオ」
「な、なんだよ」
ベッドの中、体を起こして彼に向き直ると、レオリオもまた、同じようにした。
「なにかあったか?」
「なにかって・・・」
「なにか、だ。今日のきみは少し変だ」
逆の立場なら、よくあるのだ。
私が自分だけで抱え込み、彼に余計な心労をかけてしまうことが。
しかし今回のように、レオリオの様子がおかしいのは、かなり珍しい。
たいていは、まっすぐ私にぶつけてくるし、そもそも性格的に、細かいことは気にしないたちなのだ。
私の気のせいならばいい。けれど、近くにいすぎて、灯台下暗し、肝心なことが見えていないのは、いやなのだ。
心の中すべてをさらけ出せとは言わない。彼が彼らしく、私とともにいてくれれば、それでいい。
「レオリオ。私にできることがあれば」
「あー・・・いや、わりぃ、そうだよな、俺、かんじわるかったよな」
彼を思うあまり、体は前のめりになっていた。
レオリオは私の勢いに負かされたように、片手で手を覆い、顔をそむけた。
「・・・」
「その・・・まあ、あれだ、考え事っつーか」
ほんとうに珍しい。彼が言いよどんでいる。そんなに言いにくいことなのか。
まさか、私に関することなのか?ネガティブな事柄なのか?
一瞬にして血の気が引いたが、ここまできたら、彼の言葉を待つしかない。何を言われても、冷静に、真摯に接しなければ・・・。
「おまえ・・・どれくらいの頻度でセックスしたいのかなって」
「・・・・・な・・・に?」
彼は顔をそむけたまま、瞳を伏せ、顔を赤くしていた。
私はどう反応したらいいかわからず、硬直していた。
聞かれているのだから、答えなければならない。
彼はそのことで様子がおかしかったのだ。原因が私であるならば、解消せねばならない。
頻度。頻度?回数?・・・セックスの?レオリオと寝ることの?
いくつも張り巡らせているはずの私の思考回路は、一気にショートした。
「・・・っっっ」
「く、クラピカ!あ〜、そうなるよな〜ゴメン・・・」
レオリオは、突然力の抜けた私の体を、抱きとめてくれた。
そういえば、「こういうこと」について、具体的な会話をしたことは、あまりなかった。
理由は簡単で、私の知識も経験も乏しくて、不満や疑問を感じたことが、一度たりともなかったから。
彼もそれをなんとなく感じていたのか、交わった後は、私が眠りにつくまで、ずっとそばにいて、髪を撫でてくれていた。
きっとふつうの恋人は、頻度や内容について、もっと議論を交わすのだろう。それが満足度の高いセックスにつながるのだろう。
私はそれができない。回数を重ねても、そのたびにいっぱいいっぱいで、彼を満足させられているのかすら、わからない。
私は満足している。でも彼は?そんな当然のことに、考えが及ばなかった。なんてことだ・・・。
表情に悲壮感がつのっていく。彼はそれを見て、必死に言葉を付け加え始めた。
「いや、違うんだよ。どこまでマイナスな方に考えちまってるのか知らねーけど、純粋にさ、聞きたいんだよ」
「・・・?」
「結構、多い、からさ・・・おまえが嫌になってねーかなって・・・」
お互いに好き同士だと、こうして、思いやる気持ちがすれ違うことがある。
すれ違いは、紆余曲折を経て、いずれ、より強い絆だったり、深い関係になっていく。
きっかけはささいなこと。それを繰り返すのが、恋人という関係なのだろう。
レオリオがそんなことを悩んでいるなんて、それこそまったく想像もしていなかった。
だったら、レオリオもまた、私が彼に抱いているいくつもの不安なんて、知る由もないのだろう。
「したくないときはさ、言ってくれていいんだぜ?俺だってその方が」
「レオリオっ」
我慢ならなかった。思わずレオリオの手をとって、ベッドに沈めるように押さえた。
すれ違いを一秒でも早くなくしたい。その思いで。
「わ、私は・・・その、そういうことに対して、不満を感じたことは、一度もない」
「・・・そ、そうか」
「そりゃあ、本を読み終えてしまいたいのに覆いかぶさってきたり、夜遅くまで飲んだくれて帰ってきててそのまませまられたり」
「あるじゃねえか・・・てかスンマセン・・・」
「頻度とか、そういうのは、納得済みだし・・・」
「じゃ、じゃあ・・・イヤイヤ応じてるってときは・・・なかったり・・・?」
レオリオのその言葉に、私はふとひらめいた。
これを言えば、きっと納得してくれる。
「レオリオ。きみとそういうことをしているとき、私の瞳は、緋色だろう」
「・・・ああ、まあ、そうだな」
「緋色にならなかったときが、一度だって、あったか?」
論より証拠。
緋の眼は、感情が激しく昂ると発動する。それは喜怒哀楽だけにはとどまらず、性交渉の際も例外ではない。
私はそのことを知らなかったのだが、レオリオがその都度、私の緋の眼を「充血」と揶揄して皮肉りながらも、
きれいだ、きれいだと褒めてくれるものだから、興奮状態のバロメータにもなっているのだろう。
レオリオは、しばらく間の抜けた顔のまま沈黙し、次第に拳を震わせながら、顔をゆがませた。
そう、一度だって、ありはしない。レオリオと抱き合うときはいつだって、私の感情は昂っている。
そうこうしているうちに、だんだん視界が赤く染まってきた気がする。感情の起伏が目に見えてしまう、というのは、時に不便でもある。
なんだか恥ずかしくなって、瞳の色を悟られまいと、目を伏せて、今度は私が顔をそむけた。
「そうやって悩む前に、まず、物事の本質を見極めたらどうだ?きみはいつも短絡的に、直情的に動くから」
不要な憎まれ口ばかりはすらすらと出てくる。こんな自分に嫌気がさしてしまうが、許してほしい。
こうでもしないと、自分が自分でいられなくなってしまう。
そんな無駄な努力もむなしく、レオリオは、私の手を取って、押し倒してきた。
やさしく勢いよく。こんなふうに女を扱える男は、そんなに多くはないと、私はいつも思う。
「クラピカ・・・」
ああ、もう・・・だめだ。この目で、この表情でせまられたら、もう、後戻りできないことを、私は経験から知っている。
繋ぎとめられた手首をずらして、そのまま彼の手に指を絡ませて、握り合う。
お互いの吐息が熱い。
この瞬間、このまま時が止まってくれたら、どんなにいいだろうと、自分勝手なことを願ってしまう。
「今日は・・・いい?」
あえて、聞く。今日は、そういう日だ。
ならば私も、答えなければならない。
これからは、そういう会話を、大切にしようと思う。
「・・・、目を見て判断してくれ」
レオリオは嬉しげに微笑んで、私の目尻を指先でなぞった。
「・・・、今日も、きれいだな」
その指は頬に添えられ、深い深い、口づけが降ってきた。
私の緋の眼は、訓練の成果で自在に出現を操れる。
けれど、これだけは、コントロールできないのだ。
レオリオといるときの、極上の輝きの緋色。
この色は、もう、きみだけのものだ。
私はこの瞳を誇りに思う。
この緋色の輝きを、きれいだと褒めてくれるのは、この世でただ一人、彼だけでいい。
2019/08/25
→おまけ★
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