クラピカが家出をした。
この街で君と暮らしたい 13
その夜。
今日は綺麗な満月だった。
とぼとぼと歩く帰り道。
クラピカはもう
帰っているだろうか。
やっぱり
怒ってるよな・・・
事故であっても
オレがアイツと抱き合っていたのは事実だし
言い訳をしても
きっとクラピカは聞いてくれない。
当たり前だけど
恋愛なんて楽しいことばかりじゃない。
それでもオレはもう、クラピカ以外は考えられない。
諦めるつもりも手放すつもりもない。
それだけは確かだ。
オレたちの部屋へ
202号室への階段を静かに上がる。
そういや
夕飯はどうしようか。
買い物にもいってねえし
冷蔵庫も空っぽだし
きっとクラピカは何も食べてないんだろうな
もう、寝てるかな。
考えるのはクラピカのことばかり。
気付いたらもう部屋の前だった。
「・・・ん?」
鍵が
開いてる。
電気も、ついてる。
「・・・ただいま」
できるだけそっと、ドアを開ける。
「おかえり」
クラピカはいつものようにいつもの場所で座って本を読んでいた。
小さなテーブルの上には、コンビニの袋。
「・・・おまえの分の弁当だ」
クラピカは本から目を離さず、それだけ言った。
「・・・ああ、サンキュ」
オレはそのままテーブルの前に胡坐をかいて座り、コンビニ弁当を開ける。
クラピカは少し離れた本棚のところで、座ったまま。
二人の距離は、遠かった。
「クラピカ」
オレの声に、クラピカは顔をあげる。
しかしその表情はいつもとは何か違っていた。
「今朝のことだけど」
「・・・」
聞く気がないのだろうか
聞きたくないのだろうか
クラピカは再び顔を伏せる。
オレは言い訳をいうつもりも
嘘をつくつもりも
ましてやクラピカの機嫌をとるつもりも、ない。
本当のことを話すだけだ。
「オレがアイツと一緒にいたの・・・見ただろ」
「・・・」
「けどオレたちはもう終わってる。嘘じゃない」
しばらくの沈黙。
クラピカは蚊の鳴くような声でこう言った。
「・・・わかってる」
「え?」
「おまえが嘘をつく男じゃないのはわかってる。
おまえは悪くない」
クラピカの言葉は
オレにとって意外なものだった。
「不安なだけだ」
クラピカは、泣くことも、怒鳴ることも、なかった。
静かにそれだけ言って、黙ってしまった。
オレは弁当に手をつけられなかった。
翌朝。
結局ぎこちない雰囲気のまま。
「行ってくる」
クラピカはいつもの時間に、いつものように出かけていった。
エプロン姿で送り出すオレに、いつものように笑顔を見せてはくれなかった。
不安なだけだ、と。
クラピカのその一言は重かった。
オレはまだ、クラピカのことを
理解しきれていないのだろうか。
すれ違いというのは、こんなにも苦しい。
その日も帰るのが遅くなってしまった。
もう8時だ。
しかし部屋に帰るとクラピカはいなかった。
こんなにクラピカの帰りが遅くなることなんて、なかったのに。
いてもたってもいられなくて、そのまま探しに行った。
といっても・・・クラピカの行きそうな場所なんて、まったく見当がつかない。
オレはクラピカの交友関係も行動も把握していない。
それでも勘を頼りに夜の街を探し回った。
こんなに広いこの街を。
冬が近いこの時期でも
ずっと走り続ければ汗も出てくる。
諦めかけたそのときだった。
小さな公園。外灯もないその公園のベンチに、クラピカの後姿をみつけた。
暗闇でも僅かに映える金色の髪と、真っ直ぐ伸びた背筋と細い体。
クラピカだった。
「・・・おい」
園内は手入れがされていなく、クラピカの座るベンチの周りも草だらけだった。
オレは草を踏みしめてクラピカに後ろから声をかける。
クラピカは驚いて振り返った。
ぶつかりあう視線。
「なにしてんだこんなとこで」
平静を装っても弾む肩と荒い呼吸。
走ってきたのがバレバレだった。
「・・・」
クラピカは何も言わずに前を向き直る。
そんな姿にオレは苛立ちを隠せない。
「帰るぞ」
クラピカの細い腕を掴んで立ち上がらせようとした。
しかしその手は振り払われた。
「私はここにいる」
「なんで」
「おまえ一人で帰れ」
クラピカはオレに背を向け続けた。
必死に顔を隠すように。
しかしオレは見た。
泣きそうなクラピカの弱弱しい顔。
「ふざけんな」
クラピカの横に、どっかり腰を下ろす。
わずかな、隙間をあけて。
「おまえをこんなところに一人で置いていけるか」
「心配ない。いいから帰れ」
「おまえと一緒じゃなきゃ帰れねえよ」
「ほっといてくれ!」
クラピカは途端に声を荒げる。
オレは動じなかった。
「違うだろ」
「・・・え」
「ほんとはかまってほしいんだろ。わかるさそれくらい」
「・・・知ったふうな口をきくな」
「とにかく帰るぜ」
「いやだ」
「ほれ、行くぞ」
「帰らない」
お互いに、言い出したら聞かないこと。
負けないくらいに頑固なこと。
知っていた。
「おまえが帰るまでここにいるからな」
「好きにしろ」
「おう、そうするぜ」
オレの隣で
クラピカは月を見上げていた。
飽きもせずずっと。
クラピカはきっと、オレがすぐ帰るものだと思っていたのだろう。
まさかこんな自分勝手なわがままに、つきあうはずがないのだろうと。
そしてオレが諦めて帰ったあと、どうせ一人で泣くのだろう。
だから、10分おきにオレにこう言ってきた。
「もう帰れ」
オレの答えは変わらなかった。
「やだね」
そんなやりとりを数十回続けた。
気が付いたら、朝になっていた。
あのまま寝てしまったのだ。
目が醒めたとき、オレはクラピカの肩によりかかっていた。
オレよりも先に、クラピカは起きていた。
「本物のバカだなおまえは。とっとと帰ればいいものを」
目覚めの一言はそんなものだった。
ただ昨日のような、よどんだ表情ではなく
すっきりしたような、照れ臭そうな
そんな顔をしていた。
「私に朝までつきあうなんて・・・バカだ」
そのとき、久しぶりに見つめあった。
「おまえがわがままで、手のつけようのないじゃじゃ馬だってのは百も承知」
寝起きの体にこの太陽の陽射しはきつい。
オレは目を閉じながら、立ち上がって大きく伸びをした。
「おまえのわがままになら、どこまでだってつきあってやるぜ?」
しょうがねえ、惚れた弱みだ。
そう付け加えて、小さく笑う。
クラピカはおもむろに立ち上がった。
オレを見つめたまま。
「――・・・」
クラピカが自分から手を繋いだり、キスをしてきたり
抱きしめてきたりしたことは、あまりなかった。
拒絶されるのが怖くて、だからちょっとした勇気が、自信がもてない。
気持ちを見透かすことはできないから、いくらオレがクラピカを好きだといっても、きっといつも不安だったに違いない。
そこにオレの元カノが現れて
あんな場面まで見てしまったのだから、更に不安が募るのは無理もない。
理不尽な暴力で両親を亡くし、
たった一人残される寂しさと辛さを誰よりも分かっているクラピカだからこそ。
オレという存在を失うのが怖かったのだ。
素直にそう言えばいいのに
やはり自暴自棄にしかなれない。困った性格。
オレが何十年もかけて
その不安をとっぱらっていくしかない。
だからこうしてひとつひとつできることをするしかない。
「・・・っ!」
こうやって不意打ちで強く強く抱きしめて、言葉にできない分を補って。
きっとそれでも伝わりきれないから、年月をかけて繰り返す。
それでいいんじゃないか?
なあクラピカ。
そうやっていけば
いつかおまえの心も、明るくなってくれるだろう?
ほんとうは誰よりも素直で優しいはずだから。
「離せ」
「やーだよ」
「・・・離せ・・・」
「泣くなよバカ」
これでいい。まずは信じること。
「よく聞けよ頑固娘」
抱きしめたまま、髪をなでながら。
「オレをそこらの男と一緒にすんなよ。
オレはなにがあってもおまえを裏切ったりしない。
裏切られると案ずるよりも、まず信じ抜いてみろよ」
ちゃんと
聞いてるか?
じゃじゃ馬め。
「それから」
密着した体をそっと引き離して、肩を優しく抱いて
クラピカの顔を見つめる。
「オレはぜったいにおまえの前からいなくなったりしない」
そんな悲しい思いはもう二度とさせない。
ふっと笑顔が漏れる。
クラピカもつられて
笑った。
やっと笑ってくれた。
手間かけさせやがって。
そんな手のかかるおまえに、オレは心底惚れちまった。
この気持ちだけは譲れない。
つづく