4月といっても、まだ朝は肌寒い。
春の朝はすがすがしくて気持ちがいい、というのが一般論だが、
寒さと朝に弱い俺は、目をしきりにこすりながら10分かけて起き上がった。

眩しい光が降り注ぐ窓を目を細めてちらりと覗くと、
元気よくジョギングしてる仲のいい老夫婦。
何処にあんな元気があるのか不思議なくらいで。
ずっと毛布をかぶっている俺なんかよりずっと若くて健康そうだ。


薄いこげ茶色の髪を片手でくしゃりとかき上げて、
大きなあくびをしながらベッドからやっとの思いで這い出した。

いつもと変わらない、いつもどおりに迎える朝。
机の上の鏡を寝ぼけ眼で覗き込む。
いつもどおりの、白い顔。この肌の白さは母さん譲り。


目の下にクマが出来てる、なんてことは生まれてこの方一度も経験したことはない。
卒業式を迎える朝も。高校受験が間近に迫った日も。
緊張して眠れない
そんなことはなかった。
つまり、極端なマイペース。


そして今日、いつもどおりに迎える朝。
改めて鏡をじっと見つめる。

この瞳の色は、自分でも結構好きな色。
親父と同じ、茶色が混じる、透き通った黒い瞳。
親父に似たのは、この瞳の色だけ。
・・・ああ、あと髪の色もちょっとは親父寄りかな。

顔だって母さんにそっくりだと言われるし、親父みたいに大雑把でもないし短気でもない。
それでも母さんみたいに料理が下手なわけでもないし、頑固なわけでもない。
どちらともいえない、俺のこの性格。


真新しいブレザーを羽織って、今度は気を取り直して鏡の前に立つ。
新品特有のあの匂いが鼻をつついた。

真っ白なワイシャツを羽織る瞬間が好きだと、親父はいつも言っていた。
なるほど、確かに学ランの下に着るワイシャツとは一味違う感触だ。
悪い気はしない。
初めて着けるネクタイも、何だか照れ臭い。



今日から俺・・・リンは、高校生だ。





つづれ織り 06






「おーいリン、早くこねーとメシ冷めるぞー」
一階から聞こえてくる元気な親父の声。
俺は急いで階段を駆け下りた。

キッチンに行くと、ワイシャツの上にエプロンをした親父の姿があった。
「やっぱ何度見てもそれ似合わねーよ」
長身の親父は、スーツこそよく似合うものの、その上にエプロンというのは、大きな違和感がある。
しかも、明るいオレンジ色。
でも、こう言ったらなんだけど、結構可愛いかもな。


「うるせーな、ほら早く食え!」
俺たちのこんな会話で、我が家の一日は始まる。
「高校生らしくなったじゃねーか」
「だってもう高校生だろ」

親父の一言に、俺は反抗期の子供のような返事を返した。
でも、純粋に嬉しかった。
これは親父なりの祝福の言葉だと知っていたから。


ふと、俺はテーブルに目を向けた。
だが、半端じゃない料理の数に、思わず絶句した。

「なぁ・・・朝っぱらからこんなに食えねぇよ」
もともと俺は少食で、午前中に腹が減って早弁・・・なんてことは、中学時代一度も無かった。

その俺に、朝食をこんなに食べろと言われても無理がある。
「いくら入学式だからって張り切りすぎだよ親父」
「何言ってんだ、食べ盛りの高校生が」
親父は苦笑して、俺にお茶を渡してくれた。


でも、親父の料理は本当に美味いんだ。
これはうちの自慢の一つ。
おかげで俺は、好き嫌いの無い丈夫な体に育てられた。
これも親父が、俺の健康を考えて毎日手料理を作ってくれたから。
どんなに忙しくても、弁当だけは必ず作ってくれた。
・・・母さんと一緒に。

自分で作るからいい、って何度も言った。そんなに無理して倒れられちゃ困るから。
ただでさえ大変な医者という仕事だから。


俺の家はこの街で唯一の診療所。
ちゃんとした総合病院は、車で1時間もかかる隣町にあるだけ。
だから、この街の人にとって親父の存在とこの診療所は、なくてはならないものだった。

親父と母さんと、他に二人の看護婦が毎日慌ただしく働いている。
実はこの夫婦、正真正銘、本当のハンターだ。
それを知っているのは、俺と街のごくわずかな限られた人たちだけ。
・・・いろいろと、不都合だから。


医者になる為に、ハンターになった親父。
・・・・復讐をする為に、ハンターになった母さん。
二人の生い立ちは、話に聞くだけで・・・胸が詰まった。

俺の、知らない世界。
つらい過去。

俺が物心ついたときに初めて聞かされた。
俺なんかがこんな大事な話聞いてもいいの?
俺は何だか居た堪れなくなって、思わずそう聞いた。
「ばーか、お前だから話すんだよ」
親父は明るくそう言っていた。



「・・・母さんは?」
「もうとっくに起きて洗濯物干してる。お前より早く起きるなんて珍しいよな」
母さんは俺と同じで、朝に弱い。起きてくるのはいつも一番最後。
それでも、新婚当時よりはだいぶ早くなったそうだ。

「・・・親父、入学式来なくていいよ?」
「・・・なんでだよ」
「だって、親父がこの診療所離れたら誰がみんなのこと診るんだよ。
隣のばあちゃんが突然発作でも起こしたらどうすんだよ?」

この街で、唯一の医者である親父。
街のみんなの健康を守っているのは親父。

「大丈夫だって!そのためにわざわざとおーく離れた大学病院から
俺の知り合いの医者を呼んだんだろ?それに心強い優秀な看護婦さん2名つき。
今日くらいはさ、医者としてじゃなく、お前のただの親父でいたいんだよ」
「・・・まぁ・・・それならいいけどさ」


なんだか
ちょっと複雑だ。
俺は飲みかけたお茶を、ぐいっとのどを鳴らして飲み干した。
と、その時後ろから聞こえたのは聞きなれた優しい声。
「リン、起きたのか。おはよう」
洗濯籠を持って、優しく笑いかける母さん。

母さんは、俺の自慢だ。
いつも綺麗で優しくて、俺は母さんが大好きで。
・・・怒ると親父より怖いんだけど。

化粧なんかしなくても整った綺麗な顔に、細い金色の髪。
息子の俺が言うのもなんだけど、母さんは、美人だ。
とても俺みたいな15の息子がいるようには見えない。

俺と並んで歩いていると、カップルに間違われることもしばしば。
正直、何処かあどけなさが残っている少女のような面に、ドキドキしてしまうことだってある。

そんな母さんが、どうして親父と一緒になったのか
本当に不思議だった。

親父は結構ちゃらんぽらんだし、軽率だし、いい加減だし、短気だし、スケベだし。
親父にはちゃんといいところがあるのは知っているけど。それでも、不思議だった。


「なあ、親父と母さんって、どうやって恋人同士にまでなった訳?」
親父に、それとなく聞いたことがあった。
「どうやってってお前、そりゃあ・・・」
言葉を詰まらせて、うーんとうなる親父に、俺は更に質問する。

「じゃあどっちが告白した?」
親父は照れ臭そうに頭をかいて、「俺だよ」と。

「あいつ全然恋愛とか疎くってさ。っつーか、最初会ったときは男か女かも分かんなかった。
それでも、時々あいつが見せてくれる笑顔がすっごく可愛く思えてさ。
いつのまにか俺はあいつに惚れてたって訳」

親父は俺のことなんか忘れたように、昔の思い出に浸っていた。
・・・こんなのろけ、聞くんじゃなかった。
聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなことばかり。

「クラピカは自分から好きだなんて滅多に言ってくれなかった」
とか
「俺が女のコとちょっと話しただけでもすぐヤキモチ妬いて、可愛かったな〜」
とか。
・・・本当に、心底親父が羨ましい
・・とか思ってみる。


親父は、俺に「親父」なんて呼ばれてるけど、「親父」なんて年じゃない。
まだ(ギリギリ)30代だし、顔だってもともと老けてるから20代のころとあまり変わらないらしい。
まあ、これは禁句だけど。

スタイルだってそこそこだし、伊達男を気取っているだけある。
腕もいいし、何より人徳が篤い。

診察に来た女の人たちはみんな
「レオリオ先生みたいな素敵な人と結婚したかったわ」と異口同音する始末。
そして、その後必ず
「でもあんな綺麗で可愛い奥さんがいるんじゃねえ」
と。
そう、みんなこの夫婦の仲の良さを知っていた。




母さんは
何で今こんな幸せそうに笑っていられるのか。
だって、家族も、仲間もみんないなくなって、一人きりで
寂しかったはずなのに
悲しかったはずなのに
俺には
無理だ。
そんなに強く生きられやしない。

復讐を果たすことが
母さんの目的で
生きる意味だった。

きっとその頃の母さんは
笑うことを忘れていたんだ。

それでも
親父と出逢って
好きになって
たくさん喧嘩して
たくさん愛し合って
笑顔を取り戻したんだと、思う。

母さんの笑顔は本当に幸せそうで
嬉しそうで
見ているこっちを幸せにしてくれるような
そんな笑顔。

例えば俺がテストでいい点取ったときとか、女の子をうちに連れてきたときとか。
ほんの些細なことでも、自分のことのように笑ってくれる。

親父も
この笑顔で何度も救われてきたんじゃないかな。
この笑顔を守るために
母さんと一緒にいるんじゃないかな。
母さんが笑うたび
そう思う。

そんな親父と母さんの間に生まれた俺。
・・・すごく、幸せだと思う。





「じゃあ俺、先に友達と行ってるから」
最後にトーストをかじりながら席を立つ。

「俺たちは後から行くからな。緊張してぶったおれんなよ?」
親父は白い歯を見せてにっこり笑い、大げさにガッツポーズをした。
いくら俺があがり症だからって、それはない。
母さんも、「行って来い」とだけ言って、笑顔で俺を送り出してくれた。


「・・・いってきます」


外は快晴。

春真っ盛り。



2008/06/21
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