――何処見て歩いてんだよ、この女男!!
――ふざけんな、ぶつかってきたのはそっちだろ。

これがオレたちの最初の会話。
ロマンチックには程遠い。





つづれ織り 07






――正直、夏は嫌いだ。
だからといって冬が好きなわけでもない。でも四季があることは幸せだ。

とにかく暑い。だからといって、冷房はもっと嫌いだ。
そんなものに頼るくらいなら、うちわで扇いでいたほうがまだマシというものだ。
遺伝だろうか――親父も母さんも、人工的な涼しさは、あまり好きじゃないという。

今年も、夏がやってきた。


「・・・あちぃ・・」
「そっか?」
「リン・・・おまえ、よくそんな涼しい顔して歩いてられるよな・・・」
「オレだって暑いよ。だけどしょうがないじゃん、夏なんだから」

夏。
最初は戸惑っていた高校生活も、だいぶ慣れてきて。
入学式の日に些細な事で喧嘩になって、殴り合って、
初っ端から謹慎処分を食らったオレと、ノア。


”・・・ケンカして謹慎くらった”
顔に大きな痣を作って帰ってきた俺を、親父は怒るわけでもなく、ただ笑っていた。

”さすがオレの息子だなー。どうだ、一躍有名人か?”
”ケンカはいいが、一日で制服をこんなに汚してしまっては先が思いやられるのだよ”

普通の親だったらこうはいかない。
これっていいことなのかどうか俺には分からない。

オレの泥だらけになった新品だったはずの制服を見るなり、
母さんは、眉間にしわを寄せてオレを軽く睨んだ。
でもそれも全然怖くなくて、むしろ可愛く思える。
親父の気持ちがよく分かる気がした。




その「ノア」とは、今じゃすっかり打ち解けた。

”なんだよおまえー、女みたいな顔しやがって、ケタ外れに強ぇじゃんか”
”おまえもな”

初対面のオレをいきなり殴るやつだから、性格も口調も、背格好もそれなりだ。
背はオレより10cmは高いと思う。
体格もよくて、短い髪を立てている。
ちょっとだけ親父に似ている。



「リンはさぁ、いつもずりーよなぁ」
「なにが?」
「そんなキレイな顔して、頭もいいだろ?女が寄ってくるわけだよなぁ」
「そうかな?」
「何?おまえ、気付いてないの?ほら、今だって女子がちらちらこっち見てんぜ」
「気のせいだよ」

夏の廊下は蒸し暑くて、並んで歩くだけでも汗が流れる。
そんな暑さの中、こんな話題。
「でもさ、彼女くらいほしくねぇ?」
「ノアいないの?」
「・・・・いねぇよ」
「なんだ、おんなじじゃん」


「ちぇー。おまえ、思いっきりムカつくこと言ってんのに、全然嫌味っぽくねーんだもん。
おまえじゃなかったら殴ってるぜ?」
「うるさいな」
「まぁいいや、好きなコが出来たらオレに言えよ。情報収集してやっから!」
「いいよそんなこと」


「だっておまえ、恋愛とか下手そうだから」

持っていた教科書を丸めて、オレの背中をバシンと叩く。
「それ、借りたやつだろ?」
「いーのいーの」

顔に似合わずお節介なノアは、とことんいいやつだ。
短い赤茶色の髪を左手でかきむしって、ガキっぽく笑う笑顔が、親父とダブった。






「じゃ、オレ、バイトだから先帰るな!」
「ガンバレよ」
「まかしとけってー」

ノアは毎日、学校が終わったら真っ先にバイトへ行く。
なんでも父親と妹の三人暮らしで、なにかと大変らしい。
周りはアイツのことを馬鹿で短気な不良だといっているけど
オレは知ってる。

どんなにアイツが、カッコいい生き方をしてるかってこと。
だからあんなに、笑顔が眩しいんだと思う。
夕方の街へ消えていくノアを見送って、家路をたどる。



髪が伸びてきたから切ろうかなとか
明日の弁当なにかなとか、そんなことを考えていた。

平凡な、毎日。
これが、俗に言う「幸せ」なんだろう。
ありふれた日常――。
退屈だと思うことも、しばしばある。

でもそれが、人生というものなんだろう。
その疑問も、オレの頭の中で無理矢理自己完結させた。

オレって、つくづくイヤなガキだと思う。




家に帰るにはこの街を突き抜けなくちゃならない。
夜でもにぎやかなこの街を。



きっとそのときオレは周りを見ていなかった。
横から人が来るなんて思わなかった。
信号が青になり、一歩踏み出したその瞬間、強い衝撃を受けて倒れてしまった。
相手もしりもちをついた。


「すいません、大丈夫・・・」
「大丈夫じゃねーよ!ったく何処見て歩いてんだよこの女男!!」

――カチンときた。よく昔から女の子っぽいと言われるそのたびに不愉快だった。
「ふざけんな、ぶつかってきたのはそっちだろ」


殴りたかった。殴れなかった。
――相手は女だった。
しかも、制服を着ている。見覚えのあるこのスカートの柄。




・・・・・・・・・・・・・・うちの学校じゃん・・・。





ふと見えた左耳はピアスだらけ。・・・うわ、痛そう。
肩にかかる髪は派手な赤茶色。
短いスカート。履き潰したローファー。

ああ・・・苦手だ。こういう自己主張の強いタイプは。
ただ、印象的な一重の瞳は、なんだか寂しげだった。

よく言われる。人の事よく見てるねと。

初対面の人でも、なにか一つ、感じるものがある。
――彼女は寂しげだった。



(・・・楽譜?)
転んだ拍子に彼女のバッグから散らばった紙。
拾い上げると、楽譜だった。

別に盗るつもりじゃない。それなのに彼女はオレの手から乱暴にそれを奪い取ると、
「気をつけて歩け!バ―――カ」


ブチ切れ寸前だった。
どうやらオレは親父に似て、つまらないほど短気らしい。


しかし無情にも信号は赤になり、人ごみの中に彼女は消えた。


楽譜を一枚、拾い忘れて。











「なんだよ、朝からそんな顔して」
朝日がまぶしい朝の登校時間。
校門をくぐるとノアが後ろから声をかけてきた。
――そんな顔ってどんな顔だよ?

「なんかあったのか?」
さすが、よくわかってる。

「いや・・・誰だってそんな不機嫌そうな顔見たらなんかあったんだなって思うぜ」

あ、そう。
「おまえすぐ顔に出るんだな」
悪かったな、ポーカーフェイス苦手で。


――・・・ヤバイ、どんどん皮肉になってる。

「いや、実は・・・昨日ムカつくことあって」
「へー?またオレみたくいきなりケンカか?」

「・・・んーまあそんなもんだよ」

相手が女だって言ったら、どうにもよくない。
そんな気がした。


「ん、なにこれ。・・・楽譜じゃん」
オレのバッグからはみ出ていた紙をノアが手にとった。

「なになにー・・・ピアノソナタ第8番 イ短調・・・オレこれ知ってる」
「え?」


「妹がさ、うちでよくピアノ弾いてるんだ。ずっと聞いてたら覚えちまった」
「・・・弾けるの?」
「無理無理。『ド』がどこにあるかもわかんねーし。でももう耳タコだよ」
「ふーん・・・」

「で、どうしたんだよこんなの」

「実はさ・・・・」
どうやって説明したらいいのやら。
ここは正直に昨日のことを話すことにした。



「――ははっマジで?おっかねー女もいるもんだねー」
「笑い事じゃねーよ。ほんとに頭にきてんだから。かわいげのかけらもない」

案の定、笑われた。
やっぱり。
だから言いたくなかったんだ。



「楽譜・・・捨ててやろうかと思ったんだけどさ、なんとなく持ってきちゃって」
「でもどうやってそいつ見つけるんだよ。こーんな広い学校で」

「そーなんだよなぁ・・・」

結局オレとノアが出した結論は。



「・・・鍵あいてる・・・」


音楽室。
楽譜にふさわしい場所といったらここしかない。
やっぱり人のものを捨てるのは
気が引けるし。
だからといって
彼女を探し出すのも
気が遠くなるし。

だいいち
気まずいし。


さっさと置いてウチに帰ろう。
(・・・・・ピアノの音・・・)


うちの学校の音楽室は、無駄に広い。
部屋の奥に準備室があって、ピアノの音はそこから聞こえる。


オレは
ノアが言ったように、「ド」の音がどこにあるのかもわからない。
小学生の頃は音楽が一番嫌いだった。
歌を歌えばひとりだけ音程が違う。――斉唱なのに。
笛をふけばみんなが耳を塞ぐ。――そんなにひどいか?
音楽には縁がなかった。

でも、そんなオレでも
聞こえてくるピアノの音色はとても綺麗で、上手だと思った。

(・・・先生かな)
だったらちょうどいい。
これを預かってもらおう。

そう思ってドアを静かに開ける。

そこでピアノを弾いていたのは、先生でも誰でもなく
昨日の女だった。



まだオレには気づいていない。
目を閉じて、本当に楽しそうにピアノを弾いていた。

オレが見た顔とは
全然違う。
別人のようだった。

ぜんぜんピアノを弾くような女には見えなかったのに。


すると突然手が止まった。

そして彼女はやっとオレに気付いた。

「――なんでいるの」
目が合う。
昨日と同じように
オレを睨んできた。
そして今日も
寂しげな瞳だった。

「・・・これ。返しに来た」


バッグから1枚の楽譜を取り出す。
すると彼女は小さく溜息をついてこう言った。

「いくら探してもないと思ったら・・・なんのつもり?人のもんとって。嫌がらせ?」

なんでいちいち頭にくるような言い方をするんだ。
この女・・・。
「そっちが勝手に落としてったんだろ。・・・わざわざ届けに来るじゃなかった」


もう知るか。
届けに来たオレが馬鹿だった。
そのまま楽譜をバッグに突っ込んで部屋を出て行く。


「ちょ、ちょっと待ってよ、それがないとあたし――、」



ドサッ



・・・え?
振り向くと
ピアノの椅子が倒れていた。
すぐ傍に
彼女も倒れていた。



「ちょ・・・、おい!」



この女に会いにきたんじゃない。
たまたまこいつが音楽室にいただけだ。

なのに
どうして



「・・・・・くそッ」



どうしていちいち頭にくるようなどうしようもない女をおぶって、階段を駆け下りてるんだろう。



2008/06/21
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