それからオレは
毎日ケイトに会いにいった。

毎日音楽室に通ったのと同じように。






つづれ織り 09






オレは
キスをしたのは初めてだった。

驚いた。
ケイトの唇があんなにやわらかかったなんて。

「なにすんだ。バカ」
それがケイトの第一声だった。
真っ赤な顔を見られたくないのか、オレの胸に顔を押し付けてくる。

助かった。
だってオレも、情けないくらいに真っ赤な顔だったから。










それからオレは
毎日ケイトに会いにいった。

別に、来て、とも言われてないし
明日も来るよ、とは言わない。

けれどケイトは必ず病院の前のベンチに座っていてくれるし、
オレも必ずケイトに会いに行った。


ノアに言わせれば、近頃のオレは「どうかしている」。
やっぱり恋をすると男も変わるんだな、と自分のことのように言っていた。

ノアもいろいろ
あるんだろうか。

オレが知らないだけで
恋を、しているんだろうか。


「なあノア」
「なに?」
「オレ、おまえのことだったらなんでも聞いてやるよ」

友達だろ?
肩をポンと叩いて、そう言った。
ただ少し照れ臭くて、ノアの顔を見れなかった。




親父も「リン、最近楽しそうだな」なんて言ってくる。
朝の団欒。
「そうかな」
オレは忙しいふりをしてはぐらかす。

楽しそう・・・だって。
そんなにわかりやすかったっけな
オレ。



「レオリオ、今日は早いのだろう」
母さんがリビングに顔を出す。
やっぱりいつもどおり、眠そうだ。
「ああ、すぐ行くよ」

母さんの方に目をやってそう言う親父。
目が合うと、母さんは軽く微笑んだ。

「リンも遅刻するぞ」
「はいはい、大丈夫だよ」


オレは最近
気になっていることがある。
「なあ親父」
「ん?」

「なんで・・・二人とも指輪はめてないの?」
純粋に、ただ不思議だった。

親父は、なんだそんなことか、と言わんばかりに椅子の背もたれに大きくよりかかってこう言った。
「んーまあお互い指にはめると仕事上不都合が多くてな。
だから・・・ほら。こうして胸にさげてある」

親父はネクタイを緩めて、服の下に隠れていた、リングの下がったネックレスを見せてくれた。

「なぁクラピカ」

母さんもエプロンを着ながら小さくうなづいて、親父と同じネックレスを光らせて見せた。

「よほどのことがない限り、はずさねーしなあ」



オレはずっと、
羨ましかった。
親父と母さんの、お互いの絆の深さが。
あそこまで自分以外の誰かを信じられるなんて
愛せるなんて。
すごいと思う。誇りに思う。この両親を。

そりゃあオレの前で喧嘩だってするし
オレもよく怒られるし
でも
それでも
二人は離れない自信があるのだろう。
そしてオレをいつも見てくれている。


「ほらほら、二人とも早く行くのだよ」
「へいへい。じゃー行くぞリン」


親父と母さんのように
オレも、誰か一人だけ
死ぬまで守っていきたい。
そう思っていた。

そして今は
ケイトをこの手で守っていけたら、と思っている。


木は枯れて
風は冷たくなって
日が暮れるのが早くなって

季節はあっという間に冬になっていた。













ある日、いつものようにケイトと過ごす時間。
今日も、冷たい風が吹く。
オレはケイトに会うなり上着を脱いでケイトに渡した。

「ぜったい風邪ひくよ」

ケイトは、薄着、とまではいかなかったが、オレには寒そうに見えた。
「だって・・・リンが風邪ひいちゃうよ」
「黙って言うこと聞きなさい」

こういう時、男って
黙って上着を脱いで
彼女の肩にそっとかけてやるもんなんだろうか

なんか
考えただけで寒い。

でもきっと
親父がやると、サマになるんだろうな。

不器用なオレの優しさを、ケイトは「しょーがないなあ」と、
嬉しそうに笑いながら受け止めてくれた。

そういうケイトを見ると、
好きだという気持ちがあふれてくる。

なにかが胸にこみ上げてきて、泣きそうになる。

ケイトの目は涼しげな一重で、かわいらしい、というよりクールで大人びた感じの顔だった。
それでもこうやって笑うと、年齢より幼く見える。
笑うとえくぼができるところもかわいいし、なにより本当に嬉しそうに笑うから。
こっちも嬉しくなる。


これが人を好きになるっていうことなんだと
思うようになった。



冷えた風が吹くと、ケイトの髪が揺れる。
ふと見えたピアスだらけの左耳。

「それ、そんなにしてて、痛くない?」
会ったときも最初に思った。
耳朶にも、その上の軟骨にも。
よくもまあそんなに開けたもんだと感心するくらい痛々しかった。

「生きてるうちにやれることはやろうと思って」

返ってきた答えは意外なものだった。

痛いこととか
嬉しいこととか
なにが楽しくて
なにが悲しいのかとか

そういうのって生きてるうちじゃないと・・・
感じられないから。

ケイトは笑いながらそう言った。

その笑いは安らかでもあったし、寂しげでもあった。
ケイトは今度はオレを見て、こう続けた。

「でもさ、リンといると、一人のときよりそういうのを強く感じられるんだよ。
あたし生きてんだなーって」


一人で生きるなんてやっぱ無理みたいだね。

ケイトのその最後の一言が
なぜか、頭から離れなかった。





オレの知っていること
見てきたもの
感じたこと
好きなもの
経験したこと

ケイトに伝えたかった。


オレのことを知ってほしかったというのもあるし、
なによりケイトはいろんなことを知りたがっていたから。


今まで、一人ではできなかったこと。
一人でしても、意味のなかったこと。
いろんなことを、ケイトに教えて、やってみて、共有した。

街を手を繋いで歩いてみる。
ケイトはいつも一人でさっさと早足で歩いていたから、
オレにあわせてゆっくり歩くのは、最初は大変そうだった。

「なんでもないときに急いだっていいことないよ」
生き急ぐケイトには、オレのこの言葉は大きな衝撃だったらしい。

ケイトはあきらめたように笑って、オレと手を繋いでくれた。


ケイトが海を見たい、といえば海に行った。
見たことがないものを見てみたい。ケイトはいつもそう言っていた。

でもオレたちはまだ中途半端な高校生だから、車だって自分で運転することはできないし、金銭的にも制限がある。
だから遠いところへはバスや電車で何時間もかけて行ったし、
食事もわざわざ高いものを食べないで、ケイトが弁当を作ってきてくれたりした。

大人から見ればそんなくだらない、他愛のない事でも、オレたちにはとても楽しくて、大切なことだった。


でも、ケイトはいつも元気でいられるわけじゃなくて、こうしたことを出来るのはたまにだった。

会えない日も増えていった。


それでもケイトはオレと過ごすその一日を、楽しそうに過ごしてくれた。
だから、あっという間に時が流れる。



1月。
今年はなかなか雪が降らず、昨日初雪が降ったばかりだった。


最近はケイトが外に出ることは出来なくなって、オレが病室まで足を運んでいた。


学校帰りのいつもの時間、いつものようにケイトを訪ねた。
個室のドアを開ける直前、背筋が冷たくなった。
嫌な予感がした。

ノックもせずに急いで部屋に入る。

嫌な予感というのは
当たるんだ。

ベッドの上で、ケイトは胸をおさえてうずくまっていた。

あの日の音楽室と、同じように。

オレは急いで医者を呼んだ。
なにがなんだかわからないまま
ケイトはどこかへ運ばれた。


あの日と同じ
オレはまたなにもできなかった。

そんなの
当たり前だ
当たり前だけど
悔しくて
手のひらに爪がくい込んで血がにじむまで
拳を強く握り締めた。


ケイトが目を覚ますまで、オレはずっと隣にいた。
医者に「心配ない」と言われても離れられなかった。

もうとっくに夜は更けていた。


オレにはいったい
何ができる?







オレは医者の息子なのに
病気がどういうものなのか
まるで知らなかった
自分には縁がなくて
知らなくても当然だと
ずっと思っていた。

その苦しみを分かってあげることも
分かち合うことも
できない。

はがゆくて
むなしくて
かなしくて
せつない。


情けなさ過ぎて
涙がにじんできた。




「・・・・なに泣いてんだよ、ばーか」
か細い声に、ハッと顔をあげる。

ケイトは呆れたように笑って、オレを見ていた。
「・・・よかった、起きたんだ」
「いまさっきね。・・・もう、なに泣いてんの?」
「な、泣いてないし」
オレは慌てて袖で顔をこする。


「・・・つられてあたしまで泣けてきちゃうじゃん・・・」
ケイトの顔から笑顔が消えて、さっきのオレのように――
頬を涙がつたった。


「怖いよ・・・」



横になったまま
顔だけをこちらに向けて
ポツリとそう言った。


「ほんとは怖い・・・死ぬのが」


ほんとは怖くて怖くてしょうがない
こうやって強がってるのも
ぜんぶぜんぶ嘘なんだよ


ケイトのその一言一言が
重く重くのしかかってくる。

襟元からふと見えた――きっと体中にあるのだろう、大きなアザ。
目をそらせなかった。
逃げ出したい。
それでも守り抜きたい。
一瞬のうちに対の感情が交差する。



「リンがいなくなったら・・・あたしが”終わっちゃう”よ・・・」


その泣き顔を見ているのがつらくて
ただもう一度笑ってほしくて

ケイトの腕をそっと引っ張って起き上がらせて、引き寄せて
強く強く抱きしめた。


抱きしめたケイトの体は
折れそうなくらいに華奢で
それでも温かかった。


オレの左肩は
ケイトの涙で濡れ続けた。

「・・・もう泣くなよ」
どこかぎこちなく
歯切れ悪く
オレはつぶやいた。

「・・・違うよ・・・嬉しくて泣いてんだよ」
ケイトは震える声でそう言って、オレの背中に腕を回してくれた。
「・・・忙しい女」

一方的に抱きしめるのではなく
抱き合えたことが
嬉しかった。


今まであたしと関わった人は、皆あたしに同情してた。
でもリンは違った。
いっつも一生懸命で
”一緒”に生きてくれてる。
それがすごくすごく嬉しいんだよ。


ケイトはそう言って
泣きながらも、笑ってくれた。
初めて会ったときの彼女の寂しさは
もう感じなかった。

お互いに、出会う前の二人とは何かが違ってきていた。
オレがケイトを変えているのか
それともケイトがオレを変えているのか
わからないけど。


オレにできること。
背伸びしなくても
かっこつけなくても
できることがある。

精一杯愛すること。

季節はめぐりめぐって
春が来る。








ケイトはその日から、これまで拒否してきた投薬治療を受け始めた。
そして3年後、オレは偶然ケイトの主治医と、看護士の会話を耳にすることになる。


「いやまったく、信じられない」
「ええ、本当に・・・」
「体中のアザが綺麗になくなっていたし・・・もしやと思って検査をしたけど、異常はなかったよ」
「・・・治ったってことですか?」

「信じられないが・・・予定していた手術も、治すところがないのだから、中止するしかない」




この3年後の未来
今はまだ見えない。



2008/07/08
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