僕たちの勝敗
悩み苦しみそれでも必死に生きてきた僕らの勝敗は、初めから決まっていたとでも言うのか。
馨の戻らないラウンジは静かだった。
彼女はいつも帰りが遅かった。でも必ず帰ってきた。
ただいま!あれ、みんないる!待っててくれた?
そう言って、疲れているだろうに荷物を持ったまま、自然に輪に溶け込んでくる。
別に帰りを待っていたわけじゃない。ただ、いつもなんとなく心配だった。
その予感が、こうして当たった。――悔やんでも悔やみきれない。
本来なら、今夜は3年生の卒業祝いパーティをするはずだった。いや、それはたった半日前に決めた。
卒業式中に、皆の記憶が戻った。ペルソナの、影時間の、そしてこの1年間の記憶が。
式を飛び出し、屋上へ向かった。約束の場所へ。真田は真っ先に階段を駆け上った。
その後ろ姿はあっという間に見えなくなる。
「あーもうちくしょう!足、おせえ!飛びてえ!」
「馨・・・いるよね!?」
「いるさ。必ず」
「そうだ!今日、パーティしましょう!祝うこと、たくさんありますから!」
風花の提案に、誰もがうなづいた。
はやる気持ちで屋上のドアを開けると、一番乗りした順平は急停止した。後ろは玉突きの大渋滞になった。
「ちょ、順平!あぶないっての!」
「あ、わり」
「どうしたの?」
全員の視線の先には、ああ確かに、少しくらいはそっとしておいたほうがいいかもしれない光景が。
「なんだよ、やっぱ真田サンずるいわ」
「・・・ほんと、かなわないっつーか」
少し歩いた先のベンチで、馨は真田の腕の中にいた。彼はしっかりとその体を支えている。
「そろそろ行くか?」
「はい!」
「よっしゃ!おーい、お二人さーん!」
こうして全員で寮に帰ることができた。おそらく今までで一番、充実した帰り道。
とりあえずのパーティ用品と、ケーキと、食事を買い込んで帰宅した。
寮に着いて間もなく、ラウンジのソファで馨がぽつりとつぶやいた。
隣にいたゆかりが気づいて耳を貸す。
「ん?どうしたの?」
「・・・ちょっと、つかれちゃったな」
馨は眠るようにゆかりの肩にもたれた。
その様子がおかしいことに、その場の全員が気づいた。
それからは、時間が途切れ途切れに過ぎて行った気がする。美鶴の手配ですぐに馨を病院に運んだ。
誰も冷静でなんていられなかった。そして、あっという間に夜になってしまった。
美鶴と真田が病院で馨についている。他の者は、とりあえず寮に帰ってきた。
誰も口を開こうとしなかった。本当なら全員がそばについていたかった。
「落ち着け!・・・冷静になれ。なにかあったら、すぐに連絡する。すまない・・・私も、混乱している・・・」
薄暗い院内の廊下に響いた美鶴の声。うつむいた美鶴の手は、小さく震えていた。
「意識が・・・ないなんて」
しんと静まり返ったラウンジで、天田が口を開いた。その声は、かすれていた。
「前にも・・・あったな、馨が倒れたの」
ゆかりが顔を上げた。
「いっちばん最初。馨がペルソナに目覚めた時で・・・何日も眠りっぱなしだった。
今回も、そうだって、信じていいよね?・・・だって、馨が死ぬわけないじゃん!」
「・・・ふざけんなよ」
順平が拳を震わせた。
「ニュクスんときだって、あいつ一人で・・・オレたちは何にもできねーのかよ?!」
荒げた声がラウンジに響き渡った。
「世界救ったってのに、馨がいなくなったら元も子もねーだろ?!」
「私たち、間違ってたのかな」
「・・・風花」
「馨ちゃんに、頼りすぎてたのかな・・・負担、かけすぎたのかな・・・」
「僕らのせい・・・ってことですか?」
「・・・」
何も言えなかった。
・・・
ただ何の問題もなく、眠っているようにしか見えなかった。
病院のベッドの上、といっても大けがをしたわけでもない。
腕を細いチューブでつながれただけで、馨の体に他の医療器具は見当たらなかった。
顔もきれいなままだ。あまりに静かだから、不安になって呼吸をしているか確認した。
浅い呼吸は耳を澄まして顔を近づけないと感じられない。
もう夜中の1時だ。もちろん影時間などやってこない。
俺は無理を言って、ここに残った。制服のままだったが、構わなかった。
美鶴はずっと俺の後ろにいた。先ほど寮に帰した。もちろん送迎の車をつけて。
美鶴は渋っていた。彼女もここに泊るつもりだったらしい。
そんな美鶴に「大丈夫だから」とだけ言うと、あきらめたように帰って行った。
病室は静かだ。闇に溶け込むように眠り続ける馨の手を握って、ひたすら座っていた。
気づいたら学校の屋上だった。ああ、夢か。これは今日の昼間の記憶だ。
式を飛び出し、階段を駆け上り、屋上のドアを壊れる勢いで開くと、そこには馨がいた。
手すりに手を置いて、俺の方を振り向いた。目が合う。
馨が突然目に涙を浮かべたのと、俺が駆け寄って彼女を抱きしめたのは、ほぼ同時だった。
忘れていた分を取り戻すようにきつく抱きしめる。いつもの香水の香りが、胸を満たした。
「馨・・・」
無意識に名前を呼んでいた。そうすれば、いつもの返事が返ってくる。それを思い出したから。
「・・・はい!」
その笑顔はちゃんと存在している。なにも変わっていない。
それを確認して、心底安心した。
「おまえがいなかったから、どこかに行ってしまったんじゃないかと・・・」
抱きしめる腕に力を込めた。加減ができなかった。馨は痛かったかもしれない。
そうだとしてもしなくても、馨も同じくらい強く、俺の背中に回す腕に力を込めた。
「思い出したんだ・・・今までの戦いのこと、タルタロスのこと、
・・・俺がリーダーのおまえに恋をしたこともだ・・・」
どうして忘れていたんだ、こんな大事なことを。
「忘れたりして・・・悪かった」
そっと体を離して、馨と目を合わせた。真っ赤な瞳は俺をしっかり見つめている。
その表情が少し曇ったことに俺は気づいていたはずだった。ただ、この時は気に留めることができなかった。
馨は控えめに口を開いてこう言った。
「ねえ、ずっと一緒に――」
いてくれるよね?
当たり前のことを聞くな。
そう言いたくて、馨の頭に手を置いてそのまま俺の胸に押し付けた。
ぽふん、という小さな衝撃に、嬉しそうに笑う声が聞こえた。つられて俺も微笑む。
「これからは、一緒だ・・・」
・・・
はっと顔を上げると、部屋の中はだいぶ明るくなっていた。
もうすぐ日の出なのだろう。ということはもう朝か。
あのまま寝てしまっていたのか。見た夢は現実のはずだが、リアリティが感じられないことに不安を覚えた。
ぼやける頭を必死に起こして、馨が昨日と変わりないことを目でざっと確認した。・・・変わらずに、動いていない。
昨夜からずっと、馨の右手をつないだままだった事に気が付いた。大丈夫だ、ちゃんとあたたかい。
ずっと一緒に、いてくれるよね?
「・・・ああ、もちろんだ。ずっと一緒にいる。だから・・・」
はやく目を覚ましてくれ。
物音一つしない早朝の病室の中で、俺は祈るようにつぶやいた。
馨はなぜあんなことを聞いたんだろう。
なぜあんな顔をしたんだろう。自分の身に何が起こっているのか、気づいていたんだろうか。
おもむろに椅子から立ち上がった。そのまま寝たので腰が痛かったが、そんなのは感じていないも同然だった。
そうだ、美鶴たちに電話しよう。多分心配している。こんな時間だが、誰かしら起きているはずだ。
・・・こんな状況なんだから。
馨の顔を見つめる。そのまぶたはぴくりともしない。
繋いでいた手はそのまま、空いていた方の手でそっと頬に触れた。
ぞっとするほど冷たかったのは、3月の冷え込む朝のせいだと、言い聞かせられるほどの余裕はなかった。
けれど手はあたたかい。・・・。
怖かった。逃げたかった。現実から。けど確かめなければいけない。
馨がいなくなるなんて、そんなこと、俺には信じられなかった。
時間が止まっているような気がした。すべてのものが動きを止めて、馨もそのせいで動かないだけなのだ。
ふと、シンジと美紀の顔が頭に浮かんだ。
手が震える。そっと、馨の口元に顔を寄せた。
→頬に何かが当たった。(生存ルートへ)
→何も感じられなかった。(死亡ルートへ)